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ごめんなさい、個人的なメッセージです。

#特定の人たちに向けた #メッセージ #伝えたい #無性に #伝わらなくても #なぜここに載せるのか #つながりに感謝 #人に #ありがとう  

どうも、前回の投稿記事から、Facebookにメッセージをくれる方が多く、居ても立っても居られなくなった、じーもです。

さて、今回は、特定の人たちに向けた個人的なメッセージです。正直、感情的な理由で書いているため、読者を限定することになるかもしれません。(そもそもそんなたくさんの読者を想定して記事書いているのか、っていう話ですけど。)それでもnoteに載せる理由は、やっぱり、同じような境遇の人たちはいるかもしれない、と思っているからです。

反省

前回の記事に、「伝えたいことと伝わることはリンクしないと考えた方がいい」と書きました。基本的には、そう考えた方がいいとは思っています。でもそこには理由があることを書いていませんでした。

理由として、伝えたいことが伝わっていなかった場合、お互いに苦しい想いをすることになりかねない、と感じたからです。伝えたつもり…だったのにうまく伝わっていなくて、トラブルに。伝わったことをもとに相手へ返すと、見当違いの返答で気まずくなる。なんてことはザラにあると思うんです。

そうならないためにも、伝えたいことがうまく相手に伝わらない、と思った方が気づかいや思いやりが生まれる、と思ったのです。「相方(配偶者)は他人である」と同じような意味合いかもしれません。

そこには冷たい、突き放すような思いではなく、だからこそ分かり合いたい、という気持ちなんです。だって、究極的に言えば、あなたや私と同じ心をもってる人なんていないじゃないですか。人は分かり合えないから理解しようとする。人と違うからこそ、自分を認知できると思うんです。だから優しくなれると思うんです。

そして、もう一つ大事な、大事なこと。

"あの人”からもらう心のこもった言葉は、伝えた人や受け取った人の想像以上に、心に響くということ。

"あの人”というのは、自分の中である一定以上の関係性を気付いた人だと思います。それは時間じゃないと思うし、だからといって時間が関係していないわけでもない。なんだか矛盾してるけど、響くときはとっても、とーっても響くんだよ、っていう話です。

感謝

私のFacebookのメッセージには、温かい言葉が並んでいました。熱く語る、想いが溢れる、それらが濃縮された場にいて。プレゼン発表会が終わった次の日(前回の記事のことです)で、正直、快く思わない人もいたと思うんです。なのに。

この記事を読んでくれて。メッセージを送ろうとしてくれて。文面を考えてくれて。

ほんとうに感謝しかありません。

みなさん、ありがとうございます。

最後に。

この記事は、思い立って書いてしまっている記事なので、わかりにくいことや少々熱くなりすぎているところがあるかもしれません。(後日読んで、おかしければ消します…たぶん消さないと思いますけど 笑)

それでも、何か伝えたくて。熱い想いを熱いまま綴るのも悪くないかな、と思って。書いてみました。

最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございます。よければまたお会いしましょう。では。

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