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結局自分の手の届く範囲は決まってるし、それでいい。

#時間は有限 #手の届く範囲 #限られている #何に手を伸ばすか #自分で決める #群れる #任せる #何もできない #中途半端 #と思うあなたに #自分の人生を歩んでいい #私はそうします  

どうも。最近は物思いにふけることが多い、じーもです。ここ二日間、何かと迷走していまして。(笑) 記事にその影響が出ています。

今日は、その中でも自分なりの結論として、元々そうだった気もしますが、改めて意識してみよう、と思う回です。

時間は有限

そもそも時間は有限である、という当たり前の事実を意識しておきたいです。どれほど気になる問題や解決したい課題があったとしても、時間は無限ではありません。つまり、何かに費やしている時間は、何かを捨てている時間ともとれるわけです。

そんなことは何度も聞いてきたことかもしれませんが、やはりそこに立ち返ることは重要だと思います。とくに、自分で何かをしたいと思った時(起業やイベントなど)は、「あれもこれもやりたい」という気持ちになってしまいがちだと思うからです。ふたを開けると何にも届かない、そんな中身のないことにはしたくないです。だって想いがあるのに、もったいないじゃないですか。

そう考えると、よく聞く言葉で言うところの、「優先順位」や「選択と集中」の話になるのかな、と思います。ただ、何を基準に優先順位をつけるか、選択するのか、ということについてはそれぞれの想いが反映されそうな気がします。

それに単に時間は有限だというだけでなく。年齢による制限もあると思うんです。体力的なこともそうですし、ある年齢層に届きやすい年齢というのもある気がしますし。例えば25歳の人から高校生に伝える言葉と80歳の人から伝える言葉とでは、受け取り方が違ってくると思うんです。

一番わかりやすいのは体力的な衰えですよね。例えば、年に何回も旅行や出張に出かけていても問題なく過ごせていたのに、ある年齢を過ぎてから疲れがたまりやすくなったり。

もう少し踏み込んで話をすると、考え方もそうです。年を重ねるほど、どちらかというと保守的な考えに陥りやすいと思います。それはどうしても生物的に、変わることがストレスやリスクにつながるからだろうと思います。

これらすべての意味で、「時間は有限」であることを意識する重要さが理解できる気がします。重要だからこそ、意識することで変えられることもあるのかな、と思ったりします。

手の届く範囲

さて、ここからが今回の本題みたいな話です。時間は有限であればなおさら、自分の手が届く範囲というのは決まっている。言い換えれば、手の届く範囲には限界がある、ということです。

この2日間で触れたように、私たちには知らない世界や見えていない世界が多々あります。そして触れるたびに、すべての世界が急を要する、全員で取り組むべき内容だと感じます。できることなら力になりたいし、何かを変える一因となれるようにしたい。でも、すべてに向き合うことはできない。

それは時間が有限であることと、自分自身が許容できるキャパにも関係があると思っています。正直、福島第一原発の問題にしろ、セクシャルマイノリティにしろ、障がいにしろ。他のすべての課題に対しても、すべてを受け入れ、向き合うためには相当なメンタルが必要です。

ですが、たぶん。人間はそれほど強くありません。成し遂げたい、向き合いたい課題を見つけたとしても、悩むことはあるんです。正しいのかどうか迷うことがあるんです。いくつもハードルを前に心が折れそうになることがあるんです。だから。全部を一人で背負うことはできないと思うんです。

何に手を伸ばすか

じゃあ、何に手を伸ばすか。自分の見える世界を定めて、どこと向き合っていくのか。そこを決めるのが自分の大きな役割だと思うんです。

ほんとはこんな話。考えなくても、直観的に感じる方、わかる方はいると思うんです。「自分にはやりたいことがある」「自分はこの世界で生きていく」という風に。でも、私の場合は、こうやって一度道を離れて、悩んで。違う道を覗いて。また悩んで。そうして、自分の道を決める。とっても回りくどくて、めんどくさい。でも、それが私にとっての納得できる道の探し方なんだな、と改めて感じています。

あなたは、どうやって道を選び、何に手を伸ばしますか?

だからこそ群れる

時間は有限であり、ひとりひとり手の届く範囲には限りがある。そのことに嘆く必要はなくて。自分が選んだ道を信じること。道を信じるというのは、やっていることを信じること以外にも、選んだということにも後悔をしない、ということだと思います。

この場合の後悔は、向き合わなかった(選ばなかった世界に対して)自分を責めない、ということでもあると思うんです。きっと、自分が向き合わなかったことにも向き合っている人はいるはずで。

だから人は、群れると思うんです。

群れると聞くと、ネガティブな印象を受ける方もいると思います。でもこれは、一つの大事な戦略だと思います。「弱者の戦略(稲垣栄洋)」においても生物にとって立派な戦略の一つであると考察されています(ちなみに生物の目的は生き残ることであり、それを成し遂げるための戦略)。だから、群れるということをこう考えてみてはどうでしょうか?

「自分はこっちをするから、あなたはそっちをお願いね。」

こう考えると、少しポジティブになるのではないでしょうか。そして、これって。企業や社会の中で一般的に行われていることだと思うんです。そこに負い目を感じる必要はないし、そういう役割をもっている、というだけの話だと思うんです。

そう考えていくと。たぶん悩むことはなくて。自分がしたいことに集中していいと思うんです。できることは限られているのが当たり前だし、それでいいんです。きっと。そのために、地球にはいろんな人がいると思うんです。そして、自分がどうにもできないことを知ってしまったのなら。

忘れなければいいんです。

今も誰かが私たちのことを救ってくれているという事実を。今も苦しんでいる人がどこかにいるという事実を。

直接的に関われなくても、それは目を背けているのとは違うと思います。忘れなければ、何か小さくても自分ができることが見つかった時に動けるはずです。そうやって、忘れずに。自分の人生を歩んでいいんだと思います。

最後に。

あれこれ書きましたが。なんだか全部自分に言い聞かせているような文になってしまいました。最後まで読んでくださったみなさん、お付き合いどうもありがとうございます。

以上。とりあえずこの何日間かのモヤモヤが少し晴れたような気が勝手にしている、じーもでした。(笑) よければまたお会いしましょう。では。

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