〈ポエジーの館〉彼がこれからどんなりっぱな人間になろうと

彼がこれから
どんなりっぱな
人間になろうと

あたしにとっては
あの時のまま

ナプキン
ふりまわしてた
あの姿のままよ

p108「櫻の園」(吉田秋生、白泉社、1986)

吉田秋生「櫻の園」より
杉山と会話しているときの由布子のセリフです。


由布子の話「vol.3 花酔い」って小学生だったころの自分にもわかりやすくて、
というか、ちょうど初潮を迎えた頃の少女にとっては「自分がいま感じている気持ちって、こういうことなのかなあ…」と、個人差はあるだろうけど味わい深い読後感を与えてくれる回なのです。


正直、このセリフを読んだときも、そしてそれから二十年くらい経ったつい最近まで、この言葉って「あいつ、まじ許さねえ…」みたいな怒りの礎というか墓標の立て方を教えてくれた意味で自分の中に残ってました。
いい大人になった今もすごい腹立たしいやつに出会うと「おれの中のお前は永遠にその仏頂面姿のままだからな…!!」と由布子リスペクトのあまり怒りを琥珀に変えていたものです。



しかし、今更考えてみたのですがこのセリフってただの恨みの結晶化というだけではなくて、

そもそもなぜわたしたちは、『恥ずかしい存在』でなければならなかったのか

…という、少女だった自分を囲む周囲への静かな抗議が根底にあるのでは、と思いました。


なにも悪いことをしていないのに、なぜ生理が始まっただけでわたしたちはあんなにもこそこそしていなくてはならなかったのか。
なぜ、「弱み」のように他者からそこを攻撃されなくてはならないのか。


いまや生理のことを気にせず人と話せる年齢や風潮になっても、由布子の言葉が心からほどけていかないのは、わたしたちの心に楔のように打ち込まれた悲しみと怒りの経験に、いつまでもそれが括りついているからではないか。


従兄弟と最後に話す場面の由布子の表情は、とても素晴らしく、子どもの頃よりも今のほうが鼻につーん…ときます。。
でも、訊けてよかったね、と大人になった今は思います。

きっとみんな
忘れたというわ

あの男の子たちも
あの男たちも

p118 同


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