〈ポエジーの館〉ぼくはこの時 初めて知った

―――ぼくは
この時 初めて知った

昔むかし
ヴィーが話したラクダのこぶに
はいっている水のこと…

あの水は
きみなのだ

…愛という
水なのです

はるばると飛びつづけるかなたには
きみがいつもいた――

すべての水は
きみなのだ
…いとしいヴィー…

すべて
きみがくれたものなのです――
p151「ゴールデンライラック」(萩尾望都、小学館文庫、1996)

萩尾望都「ゴールデンライラック」より
ビリーのモノローグです。

このモノローグの次の場面がラストシーンなので、かなり終盤の言葉です。
この場面の直前のヴィーの涙も、とてもうつくしい。。

読み返して気づいたのですが、お話のほんとにいちばん最初で、ヴィーはビリーと出会った3歳の頃の記憶を語ります。
自分のことを生まれて初めてレディーとして扱ってくれたビリー…
そしてその嬉しさのあまり、父がくれたエジプトのお土産のラクダのぬいぐるみに「ビリー」と名付けた、というのです。

なぜラクダなのか、
ヴィーが言うには ラクダのこぶには水が入っているから 砂漠をどれだけあるいても、何日も水を飲まなくても平気なのだ…と。

自分はずっと↑のビリーの場面が好きでしたが、この冒頭を読み返して、いちばん初めにビリーが愛をヴィーに与えたんだ、と気づきました。
ビリーが与えた愛を糧に、ヴィーは『砂漠をどれだけ歩いても』頑張ってこられたのだな… と、そのあとのいろんな場面を思い返しながら思いました。


愛を渡して、愛を受け取る、すばらしい作品です。

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