Tullyz工房

Tullyz工房は、とある研究者たちによるプロジェクトです。ここには、学術論文にするま…

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Tullyz工房は、とある研究者たちによるプロジェクトです。ここには、学術論文にするまでもないメモをたまに置きます。反論は、筋の通った理論によってのみ受け付けます。

最近の記事

「北から目線」についての覚書

2024年2月5日現在、東京では10cmほどの雪が積もっていると聞く。たかが10cm程度の雪で「雪が積もった!」などと大騒ぎするのは、私のような雪国育ちからすれば滑稽だ。しかし、このように感じたり、それを大々的に表明するのは、いつからか「北から目線」とか「雪国マウント」とか呼ばれて批判されるらしい。 この覚書では、東京人によるこうした批判がいかに不当なものであり、場合によっては地方差別的になるかを、簡単にまとめておく。 「北から目線」批判の偽善性そもそも、雪国の人々が東京

    • オーラルコミュニケーション中心主義についての覚書

      口頭で話すことが苦痛な人にとって、この国はとにかく生きにくい。部屋を借りたりライフラインを契約したりする時も、普段の買い物も、さらには知人とのコミュニケーションも、ほとんどあらゆる場面で、口頭で話すことが前提になっている。企業の「お問い合わせ」には電話番号しか書かれていないことが少なくないし、だいたいの人はまず口頭で話しかけてくる。それに口頭で応じなければ、一発で「不審者」扱いだ。 これについて、次のように反論したい人がいるかもしれない。 こういって反論したくなった人は、

      • バカだと思われることについての覚書

        バカだと思われていい気がする人はいないだろう。たとえ世渡りの手段として自分を愚かに見せることが有益だとしても、そしてそれを意図的に選んでいるとしても、バカだと思われることは「必要なコスト」だと考える人が大半ではないだろうか。つまり、たとえ諸々を総合的に考慮した上で自分を愚かに見せるべきだという状況であっても、自分を愚かに見せること(それによって、自分は愚かだと人から思われること)そのものはマイナスのことだと考える人が大半ではないだろうか。 しかし、バカだと思われることに対す

        • 失敗についての思いなし

          私は力士ではないし、大相撲観戦者としてもかなりライトな部類だ。そういうわけで、私は白鵬と対戦したことがない。そのため、ごくトリヴィアルな意味で、私は白鵬に相撲で負けたことがない。 こんな主張は、普通に考えればつまらないジョークだ。もし白鵬と本気で対戦することがあれば(仮にそんなことがあればの話だが)、まず立ち合いで私は死ぬだろう。仮に一命を取り留めたとして、土俵の下に吹っ飛ばされるまで一体何秒もつだろうか。 同じことは、スポーツほど明確な勝敗がつかないものについても言える

        「北から目線」についての覚書

          適応と出羽守についての覚書

          適応的選好適応的選好(adaptive preferences)とは、大雑把に言えば、自分にとって実現可能なものに合わせて変わった選好のことである。よく知られた逸話に、あるキツネが、高いところになっているブドウを食べたいと思うのだが、そのブドウに手が届かないため「どうせあのブドウは酸っぱいはずだ」といって自分の選好を変えてしまうというものがある。これが、ヤン・エルスターが適応的選好の典型例として『酸っぱい葡萄』(原題: Sour Grapes)で取り上げるものである。 我々

          適応と出羽守についての覚書

          漢語とサ変動詞についての覚書

          以前書いた「いい加減に駆逐されてほしい表現についての覚書」で、私は、開いて書けばいいものをわざわざ漢字で書くことに強く反対した。そこで私が具体的に挙げたのは「ない」や「こと」だった。そのほかにも無駄に漢字で書かれがちな言葉があり、一つ一つ挙げればキリがない。 これと同じ理屈で、私は、漢語で書く必要がないのにわざわざ漢語で書かれがちな言葉についても強く反対したい。これも、無駄な漢字表記と同じように、自分の頭を実際よりもよく見せようとする人々がよく使うのではないかと勝手に思って

          漢語とサ変動詞についての覚書

          いい加減に消えてほしい表現についての覚書

          子供のころ、言語学者を名乗る人がテレビに出て「これは本当は間違った表現なんですよ〜」と言いながらニヤニヤドヤドヤしていたのを見て、漠然とした嫌悪感を覚えたような記憶がある。おそらく、そのときの嫌悪感というのは「よく使われる表現は変わっていくのだから正しいもクソもない」という見方に関連しているのだろう。もちろん、そこで「若者の言葉の乱れがけしからん」と説教していた人のニヤニヤが気持ち悪いというのが直接的な理由だったかもしれない。 そうは言っても、私にも「キモいからマジやめろ」

          いい加減に消えてほしい表現についての覚書

          家虎禁止論・擁護論についての覚書

          アイドル現場で生まれた広義のコールの中で、アイドルオタク以外にも比較的広く知られているものとしてイェッタイガー(家虎)がある。知られているといっても、基本的には悪い印象とともに言及される。早い話が「家虎やめろ」というのが家虎についての話題のそれなりの割合を占める。アイドルではない現場ではとくにそうだし、アイドル現場でさえ、主に地上(大手)の現場では家虎に対する態度は肯定的なものばかりではない。 私は、個々のオタクが家虎が好きかどうかにはそれほど関心がない。好きにすればいいと

          家虎禁止論・擁護論についての覚書

          駅や列車内でのアナウンスをやめるべきである理由の覚書

          私は駅や列車内でのアナウンスが嫌いだ。聴覚過敏もちとして、あれは非常につらい。アナウンス内容もくだらないし。他方で、多くの人々はあれを気にしていないらしい。むしろ「もっとアナウンスしてほしい」という人さえ一定数いるようだ。私があのアナウンスがいかに愚かしいかを語っても、いつも賛同を得られず、私の株ばかりが下がる。 駅や列車内でのアナウンスは、本当に何の問題もないのか? アナウンス擁護派・推進派の意見はどのくらい筋が通っているのか? これらの問題に対する私の暫定的回答を、私が

          駅や列車内でのアナウンスをやめるべきである理由の覚書