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もしも、考えることをやめてしまったら…

こんばんは。

今日は山極寿一さんの『スマホを捨てたい子どもたち』を読みました。

人間はこれまでコンピュータを考え出し、インターネットを発明し、AIを発展させてきました。こうしたものを「考え出してきた」時代はよかった。しかし、人間がこうしたものに誘導され、自分の好みはこうだと思い込まされてしまい、考えることをやめてしまったら、自分の欲求はこの方向に向かっているに違いないと錯覚して、もうくよくよと考える必要がなくなります。もしかしたら、そのほうが楽かもしれません。でも楽になったその自分とは、いったい何者なのでしょうか。考えることをやめて、AIに操作される存在になった人間は、もう人間ではなくなってしまうのではないでしょうか。

特に印象に残った部分です。
中高生の頃、「なんで勉強しなきゃいけないの?」という問いをずっと抱えていて、考えること、学ぶことは面倒くさいと感じていました。


できる限り楽をしたいと思いました。
動画を見まくって、時間があれば友達と色々なところに遊びに行って、その時が楽しければそれでいい!と。

でも、「勉強は分断されているものではなく、思わぬところで繋がってくるものだよ」「自分を自由にしてくれるのが勉強なんだ」と母や書物が教えてくれました。


「もしそれが本当なら今すぐ証明してよ!」と思いつつ、そんなことは叶いませんでした。
分からないなりに、いつか実感する日が来るかもしれないと信じて、そして将来の自分に後悔はしてほしくないという気持ちもどこかにはあって、学校の勉強はそれなりにやってきました。

中学受験を1度しただけで、あとは受験と無縁の生活だったけれど、付属校ならではの、比較的広い分野の勉強ができたと思います。


人間だから楽をしたいと思うのは当然のことでしょう。
脳は怠け者だから。
でもそれをした結果、知らないうちに何者かにコントロールされ、自分が自分でなくなるのはとても怖いと感じます。


私が私でいられない。そこまでして生きている価値はある?
ただ感情の上がり下がりを楽しむだけ。
良いことがあったら嬉しい、嫌なことがあったら落ち込む。
欲求のままに心を動かし、刺激を求めて生きるのは一見シンプルだけれど、日々が断絶されてしまうと思います。極めて刹那的な生き方、、。


youtubeのおすすめ機能などは便利ですが、それらにすべて委ねて、自分で選び取ることができない人間にはなりたくない!と思います。


分からないから、分かりたい、知りたいという気持ちが芽生えます。
人と関わる時、大学の勉強、自分との対話。


大学の先生が、「新しいことを学ぶと新しい自分に出会える」と以前仰っていました。
知識が増えると、物の見方が変わって、自分の視点が変わります。
学ぶことと自分自身って切り離せるものじゃないんだなぁと…。


大学での学びは楽しいなと思います。
興味のある日本文学を、色々な観点で捉えて考えられるところが好きです♡


この1年を通して「考える」行為が、息をするくらい自然なことになったなと思います。
当たり前だと思っていることを1つずつ「それは本当?」と疑ってみると意外と思い込んでいただけだったりして、あっけなく崩れていきます。

価値観が180度変わって、最初は今までの自分が変わっていくのが少し怖かったけれど、今はその揺らぎにワクワクしています。
考えることや学ぶこと楽しんで、これからも日々新しい自分に出会いたいです!


読んで下さってありがとうございます。
それでは、また~!

#スマホを捨てたい子どもたち #勉強する理由 #新しい自分 #考える



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