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なぜ書くか

短歌にしてもエッセイにしても 拙くても書くのは 書いてしまうのは


頭に浮かんできてしまうからだ



そういうと 笑われるかもしれない 

私の知っている言葉は限られている
たとえ少しずつでも 新しい言葉を知り、辞書で引いたとしても ほんのちょっと私の頭の図書館に並ぶものが増えただけ。むしろ忘れる この歳(65歳)になると。その忘れる速さといったら‥

私の知る言葉は 日本語の ほんの一握りに過ぎない そして私の知識も ほんのほんの一握りだ

そんな私の言葉を使って 書く

こんな小さな世界しか知らない 世界しか持たない私の言葉など大したものじゃないのはわかっている 降って来る言葉もきっと僅かだ

でも 

頭に浮かぶ言葉を 拾う ことをやめられない


格好つけるわけではない 
私にとって書くことは「誰かに聞いてもらいたい」
とは違うような気がする
「誰かに聞いてもらいたいから」が先行するわけでは無い、と言うことだ

自転車でふんふんと漕いでいると
言葉が降ってくる
その言葉をガムみたいに噛んで忘れないようにして 赤信号で止まった時 慌ててスマホにメモする

ダンナの運転でドライブしてる途中思いつくと メモする

読み返すと なんだこんなもんと自分でも笑えるものが大半なのだけど 
書くことをやめられない

なぜ書くか
の答えが
むしょうに書きたいから

小学生の答えか?


私は短歌を同人誌に月一で載せている もし「読んでもらう」「共感される」ことを優先にして短歌を作ったならば この短歌誌は今メインが70歳、80歳代である 90歳代も珍しくない。その方達が共感しやすい 受け入れられやすいような歌を書くことになる
それは ない

誰かに聞いてもらいたい、読んでもらいたい
というよりむしろ

この歌に 私の個性がちゃんと入っているだろうか のほうが私自身は大事である

書いたものが クズなのか ダイヤモンドなのか それは人様が決めることだ 私としては 黙々と書く

以上が 書く理由 の大きな一つである。


しかし同時に 

〆切 

というものがある
〆切はストレートになぜ書くかの答えである
〆切は先に述べたように なんらかの言葉が私に落ちて来なくてもやってきてしまうものである
そこでどうするか
短歌に限って言うと
またまた笑われてしまうだろうけど

庭に出る

庭に出ると
何かが私に下りて来る確率が高いのだ こんなふうに

庭に度々出ているので
それも何するわけではなく ボーっと空を見ていたりしているので
この間は近所の人に「何か見えますか?」と声をかけられてしまった
ガーデニングも趣味ではあるが

出さねばならない短歌は月7首なので 私の何か下りて来る待ち でもなんとかなるだろう 出す歌は7首でも作る歌はもう少し多いが。それだけだと物足りないので 自分で
〆切を作る

賞に応募

賞は〆切が必ずあるので


理屈ではない 

書くことは病気の一つなのかも知れない

 


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