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田畑を相続した我が家の場合

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代々続いた田畑を相続した場合、あなただったらどうされますか? 夫の急逝で女性4人だけの会社員の家族が田畑を相続した。 日中はフルタイムで働く家族は、田畑を耕す時間がない。 「…
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「大きい畑」とこれからも関わっていく

※軽い咳が出て読み上げることができませんので今回は朗読無しになります。 ※今回は、こちらのnoteの続きです。 ↓ https://note.com/tukuda/n/n7960d9739fdf?from=notice 「大きな畑」の借主(Sさん)からの電話は次のようなことでした。 Sさんは私の親戚のAさんの土地を買うことになり、売買契約を交わし農業委員会へ書類を提出し、あとは今月下旬に行われる農業委員会の総会で承認を待つだけの状態でした。 しかし、つい先日、それを取り消したと言うのを電話で話されていました。 それはAさんとSさんとの話であり、なぜ私にその話をされるのでしょうか。 きっと、私の縁でまとまった話だったからその報告をされていらっしゃるのかなと思いながら私はSさんの電話に相槌を打っていました。 最初はAさんがSさんに畑を貸すという話から始まりました。そして、トラクターもあるからそれも一緒に貸しますということになりました。 その内、Aさんは土地とトラクターを売ってもいいとSさんに話を持ちかけました。 80代のAさんはひとり娘(50代後半独身)しかおらず、手広くやっていた農業の後継者はいません。 恐らくそういった背景もあるのだと思います。 畑とトラクターをAさんがSさんへ売るということが決まり、売買契約書を取り交わし農業委員会へ書類を提出しました。 ところが最近になって、畑もトラクターも売らない。貸すのだったらいいとAさんが言いだしたそうです。 そして、その件でSさんがAさんのお宅に伺った時に、またAさんの話が変わっていて、トラクターは貸さないとおっしゃる。 それはAさんの奥様が強く話をされていた。 売ると決まったものを売らない、貸すならいいと言い、貸すと言ったものを今度は貸さないと言い出す。 これから農業の事業拡大を構想しているSさんは、話がコロコロ変わるAさんに不信感を抱き、結局、今回の件は無かったことに決定されたそうです。 「そうなんですね。」と私はSさんのお話をお聞きしていた。 私がSさんの伝手でビニールハウスを解体してもらい、それを知ったAさんもSさんにビニールハウスの解体をしていただいた。 それが縁で、AさんとSさんの土地の売買の話が始まったから、今回、その話が無かったことになったから、一応、私にその連絡をして下さっているのだと私はのんびりとSさんのお話を聞いていました。 それで電話は終わるのかと思いきや、次の展開に私は想像もしていませんでした。 ビニールハウスは地面に鉄の棒が埋め込まれていて、今回、私のところもAさんのところも、その埋め込まれた鉄の棒は撤去していないとのことでした。 その撤去をするにはそれを引っこ抜くための重機が必要でそれをすると更にお金が掛かります。 Aさんの奥様は、その棒をいつ抜くんだと言われ、Sさんは、「今回の作業にそれは入っていないから抜きません」とお答えしました。 するとAさんの奥様は、それを撤去するのは当たり前だろうとおっしゃってきました。 更には、私の大きい畑に先日行き、私のビニールハウスの地面にも残っているのを確認したと話されたそうです。 その畑は、私がSさんに貸すことになった畑です。 その畑に入っていいのは、土地の所有者である私と、借主であるSさん以外は許されないことです。 家のように畑には周りに塀があるわけでもカギを掛けているわけでもありません。だから、誰でも中に入ろうと思えば入れます。 しかし、いくらAさんが私の親戚であろうと、勝手に人の畑に入ってその地面を調べるということは非常識です。 田舎の人はこういう非常識なことを当たり前にする方がいらっしゃいます。 Aさんの奥様はそういう方で、昔から嫌いでした。ニコニコしていて腹の底では何を考えているのか分からないい人。 あなたの周りにはいらっしゃらないでしょうか。 Aさんは「私のハウスの棒を抜いてくれるまで何度も電話するから。」と脅迫めいたことをおっしゃったそうです。 AさんとSさんだけの話でしたら私にとっては、他人事でした。 しかし、私の親戚で非常識な人がいる。 その人が、親戚だという理由だけで、私の土地に無断で入ってくる。 その土地を借りて耕作をするSさんは、Aさんの奥様からどんな嫌がらせをされるか分からない。 知らないうちに除草剤をまかれるかもしれない。 それはあり得ない事とは言えないくらいAさんの奥様は勝手な人なのです。 いつ、Aさんの奥様によって畑を荒らされるか分からない。 そんな不安を抱えて農業をすることはできないから、 私の「大きな畑」を借りることは無かったことにしてほしい、 とSさんから言われました。 そんな結末になるとは思ってもみなかった私は、最初、言葉に詰まりました。 Sさんは今年の植える苗を既に購入済みで、それが成長して出荷したら100数十万円の売り上げが見込めるのだそうです。 そろそろ、畑を耕そうと思っていた矢先のAさんからのお話でした。 Aさんからの嫌がらせを回避するために今年の100数十万円の売り上げを捨ててでもこの「大きな畑」の賃貸借を解除したいとおっしゃいました。 私にはとても申し訳ないと思っていますがAさんからの攻撃を心配しながらの耕作はしたくないとのことでした。 私は数秒間考えました。 今必要な事は、残念ではありますが、賃貸借の契約を早く解除してSさんの希望を叶えてあげることだと私は決断しました。 そして、今月下旬に行われる農業委員会の総会が近づいているため、事を急ぐ必要があると私は判断し、Sさんと都合を合わせ、その電話の二日後に、農業委員会へ二人揃って出向き、契約解除の手続きを行いました。 やっと、草刈りの心配から解放された。 そして「大きな畑」は信頼できるSさんによって新しく生まれ変わる。 そう思っていた矢先の出来事でした。 私は契約解除の当日、これまでのお礼として栄養ドリンク2箱をSさんにお渡ししました。 あの、草がボウボウで、ここは密林かと思うほどだった状態を綺麗に草を刈って下さった。 また、ビニールや農業資材が散乱していたものを一か所にまとめてくださった。 荒れ放題の畑を綺麗にしてくださったSさんには感謝しかない。 いい人に借りてもらうことができ、家族全員喜んでいましたが、事情をお聞きすると致し方ない。 やっと借り手が見つかった「大きな畑」は結局、親戚のAさんの理由で、契約解除になってしまいました。 夫から相続した「大きい畑」と「小さい畑」と「田んぼ」は 「小さい畑」と「田んぼ」はお陰様で売れました。 「大きい畑」は一旦、賃貸借契約まで行きましたが、結局、契約解除になりました。 農業をすることができない人が田畑を相続するとどうなるのか。 普通の人では経験できないことをさせていただき、また一つ、勉強になりました。 特に思い入れが強い「大きい畑」。 私はこれからも「大きい畑」と関わっていく。 今日は軽い咳が時々出るため、朗読はお休みさせていただきました。 ※note毎日連続投稿1900日をコミット中!  1811日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。 どちらでも数分で楽しめます。#ad  「大きい畑」とこれからも関わっていく

借り手が現れた「大きな畑」のその後【音声と文章】

※軽い咳が出て読み上げることができませんので今回は朗読無しになります。 ※今回は、こちらのnoteの続きです。 ↓人を騙して得たお金の価値はいかほどか?【音声と文章】 https://note.com/tukuda/n/ned279814ce79?magazine_key=ma35047324572 夫から相続した田畑は大きく分けて、「大きい畑」と「小さい畑」と「田んぼ」の3つです。 夫が急逝して私と3人の娘たちが残され、日中はそれぞれ仕事をしているから田畑を耕すことはできません。 また、重い噴霧器を背中に背負うことも、 夫が使っていた草刈り機を持ち上げることもできません。 稲刈りが終わった田んぼの中でトラクターを数メートル運転したことはありますが、公道を走ったことはありません。 それ以前に、トラクターの鍵の所在が分からない状態です。 ないない尽くしの私たちは、農業を引き継ぐことを諦め、農業委員会に土地を貸します・売りますの申請をしました。 しかし、土地や周りの農道の状態が良くないこともあり、借り手・買い手は見つからずに数年が経っていきました。 農業をしない。そう決めればそれで済むものだと勘違いしていた私は、田畑を耕さなくても、毎年経費がかかることをすぐに知りました。 固定資産税や土地改良区の賦課金はもちろん、広大な畑の草刈りや田んぼの草取りに想像以上の労力とお金が掛かりました。 想像してみてください。 収入は入ってこないのに、年間、数十万円の経費がかかる、そんな土地をあなたはずっと持ち続けることができるでしょうか。 田畑は「生き物」だから、刈った草はすぐに生えてきて、気にはなるが休みやお天気の関係で、丁度良くならず、その内、周りの田畑の方から苦情が来るのです。 恐らく「だらしない人」と噂されているかもしれません。 これまで人さまにご迷惑をおかけしないように注意して生きてきたつもりですが、田畑を相続してからは、苦情の電話や来客に気持ちが沈みます。 私たちだって好きで田畑を放置しているのではありません。 早朝の4:30から田んぼの草取りをしたり、女性でも使えるといううたい文句の草刈り機を購入して、草を刈ったりもしてみました。 でも、やってもやっても草はすぐに生えてきます。 これをずっと経験していかなければいけない。 農業に対するイメージは相続後にがらりと変わりました。 農業委員会へ、タダでいいから引き取ってもらいたいと相談に行きましたが、タダではできない、必ずお金の授受をしないとできないと断られました。そして、今の世の中、農業をする人が少なくなっているから借り手・買い手は難しいと言われました。 収入は入ってこないのに多額の経費だけが掛かるのです。私たちはそのような農業に絶望していました。 しかし、4年目にして山は動いたのです。 「大きい畑」は借り手が現れ、 「小さい畑」と「田んぼ」はそれぞれ買い手が現れました。 そして、全ての書類関係を農業委員会へ提出し、これでやっと肩の荷が下りたと安堵しました。 会社の帰りに、遠回りにはなりますが、たまに田畑を遠目で見て車を走らせます。 夕焼けに染まるお山に抱え込まれているような我が家の畑を眺める。 まだ保育園児だったころに、祖父母、両親、姉、弟、伯母さんと一緒に稲刈りをした風景を今でも思い出します。 あの頃はコンバインはなくて鎌を手に稲を刈っていた。 腰に下げた藁の束から数本を引き抜き、その藁で刈った稲を束ねる。 それを狛犬のような格好に組み立てて稲を干す。 棒掛けもしていた。 子どもの私たちは、赤とんぼを捕まえようと田んぼを走り回っていた。 乾いた田んぼの中を走るたびにバッタの大群が、「大変だー大変だー」と言っているように飛び跳ねて逃げていく。 10時と3時に出されるおやつを目当てにお手伝いに行っていた。 普段は食べない袋菓子がたくさん用意され他にふかし芋、枝豆、りんご、梨などもあった。 遠い遠い思い出です。 「田んぼ」と「小さい畑」は売ることができました。 でも、昔田んぼだった「大きい畑」は当分、売ることはしないつもりです。それも手放してしまえば、幼い頃の思い出も失くしてしまう気がするからです。 そして、縁あって、借主が現れました。 もう、草刈りの心配はありません。 草が大人の胸の高さまで生い茂り異様な雰囲気を醸し出していた「大きな畑」は、借りてくださった方によって、綺麗に草が刈られ、すっきりしています。 もうこれで、収入が無いのに多額のお金を出して土地の維持をしなくてもいいのが嬉しい。 若い頃は先祖代々から続いている土地を継承するのは当たり前と思い、跡取りになった私は、その常識を普通に受け入れました。 しかし、専業農家の夫が急逝し、女性だけの我が家では農業を継ぐことは無理だと分かり、私たちは苦渋の決断をしました。 田畑を相続することの現実の厳しさをこの数年間で思い知りました。 「大きな畑」にあった2つのビニールハウスは借り手の都合で、無い方が作業がしやすいと言われ、私は快くハウスの解体に同意し、その方が知っている業者さんによってハウスは解体されました。 ある日、親戚のAさんから、自分もハウスの解体をしたいのだが、どこの業者さんを使ったのか教えて欲しいと電話が来ました。 それでは、ということで私は大きな畑の借主さんに事の事情をお話したら、彼とAさんとで話をすることになりました。 その後、彼の知っている業者さんによって親戚のAさんのビニールハウスは解体されたようです。 しかし、話はそれだけでは終わりませんでした。 もう80代になるAさんは、農業を畳みたい気持ちを彼に話したところ、事業拡大を計画しているAさんがその土地を買うことになったのです。 Aさん宅は農業の後継者がいらっしゃいません。 Aさんはラッキーでした。私はそのことをずっとあとになって「大きな畑」の借主から知らされました。 幸運な人はどこまで行っても幸運なのだと、ブラックな自分がつぶやいているのを感じました。 その理由はこちらのnoteを読んでくださった方はご存じだと思います。 ↓ https://note.com/tukuda/n/ned279814ce79?magazine_key=ma35047324572 賃貸借契約も取り交わし、後は農業委員会の総会で承認されるのを待つばかりのある日、 「大きな畑」の借主から「至急、お話したい」と電話が入りました。 普段、落ち着いている彼とは違う雰囲気の電話でした。 それは、 親戚のAさんの土地を「大きな畑」の借主が買うことになっていましたが、その売買契約をつい先日、取り消したと言う事でした。 それはAさんと「大きな畑」の借主との話であり、なぜ私にその話をされるのだろうかと思いながら、私は彼の話を時々相槌を入れながら静かに聞いていました。 きっと、私の縁でまとまった話だったからその報告をされていらっしゃるのかなと思いながらのんびり聞いていたら、それは私が予想もつかない展開になったのです。 長くなりましたので、続きは別の機会にいたします。 今日は軽い咳が止まらず、朗読はお休みさせていただきました。 ※note毎日連続投稿1900日をコミット中!  1810日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。 どちらでも数分で楽しめます。#ad  借り手が現れた「大きな畑」のその後

農業の未来【音声と文章】

我が家は代々、お米の専業農家だった。 祖父母が住む実家に住んでいた頃、母と伯母の二人姉妹のところへ父が婿入りした。 そして何町もの田んぼを耕していた。 一町はおよそ1万平方メートル(3千坪)で野球場のグラウンド部分くらいの広さになり、それを数か所所有していた。 それらを祖父、父、母、伯母、そして雇われている男性が数人で、稲作を続けてきた。 それから時代は流れ、いろいろな事情があって両親は祖父母の家から独立した。 一番の理由は50代の祖父が若いお嫁さんをもらい男の子が生まれ、母が跡取りではなくなったことだ。その男の子は母の第一子の二年後に生まれた。 父は数反の田んぼを遺産相続し、農業を続けていた。 祖父の息子は相続した田を全て売り払い、大きな家を建て、そこに一人で暮らしている。 あの頃、先祖代々から続いている田を全部売ってしまったその人に対し私は、なんてひどい人だと思っていた。 あれから数十年が過ぎ、私の夫が急逝し、私は夫から田畑を相続した。 気持ちの上ではその田畑を継続したかった。 しかし、正社員として働いている事、我が家は女性三人の娘しかおらず男手が無いこと。 みんな忙しくて農業をする時間が無かった。 農業をするために会社を辞めるのは正論ではない。夫は亡くなったが私たちはこれからも生きていかなければならない。 だから田畑を耕作するのは諦めた。そして農業委員会へ田畑を貸したいという申請を出した。 田畑を耕作しないと決めたらそれでいいと私は勘違いしていたことにすぐに気が付いた。 田畑は生き物である。草がどんどん生えていく。山奥の誰も住んでいない土地だったら放置しても良いが、周りが田畑の場所で草が伸び放題の我が家に苦情が来て初めて耕作をしなくても草刈りや堰の管理が必要であることを知った。 それを最初は自分たちの手でやってみたが私たち女性だけでしかも仕事を持っている身で、田畑の管理は難しいことが分かった。 結局、お金を出して草刈りや草取りをしてもらうことになった。 田畑からは何も生まれないのに、税金や管理費がかかる。それは年間で6桁の金額になる。 この先、何も生み出さない土地を持っているという理由だけで、お金を無駄にしないといけないのかと思うとやり切れなかった。 農業委員会に何度か出向き、タダでもいいから土地を誰かにもらってほしいとお願いした。しかし、土地をタダで譲渡することはできないと言われ、数年間、無駄金を出してきた。 その時、祖父の息子が何町もの田んぼを全て売り払った理由が分かった。 耕作できな田畑を持っている場合、その土地は「資産」ではなく生活を圧迫する「負債」でしかないのだ。 耕せば「資産」だが、放置していれば「負債」なのだ。 私の周りには年老いた農家の方しかいない。 草取りを依頼していた方は、「腰が曲がってきて、もうできない」と言われ草取りの契約が切れ、どうしようと困っていたところだった。 夫が亡くなって4年目に、我が家の田畑は売買と賃貸借がそれぞれ決まった。 もう、草刈りで悩むことは無くなった。 高齢化が進み、日本の農業に対する期待度は私はとても低く感じていた。 しかし、今回、我が家の田畑を売買、または借りて下さった方々は、30代後半か40代前半の若々しい方々ばかりだった。 体格も良く明るくて、お話をお聞きすると農業に対する将来の計画がしっかりしていて、嫌々でやっていないのが手に取るように分かった。 これからの農業は私が思っているほどは暗くはないのかもしれない。 若いやる気のある人が私の知らないところにたくさんいらっしゃるのかもしれない。 どうか続けていってほしい。 農業を諦めた私は切にそう思う。 ※note毎日連続投稿1800日をコミット中! 1749日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。 どちらでも数分で楽しめます。#ad  農業の未来

「小さい畑」の裏話【音声と文章】

致死性不整脈で夫は突然亡くなった。 そして私は専業農家の夫から田畑を相続した。 相続した田畑は大きく分けて「田んぼ」「大きい畑」「小さい畑」の3つ。 私と娘3人の我が家は、農業をする時間も体力もなく、農業をすることを諦めた。 そして農業委員会へ田畑の売買または賃貸の希望を出したが、農業の高齢化が進む中、誰からも何もなかった。 しかし、夫が亡くなって4年目にしてことは大きく動いた。 「大きい畑」は借り手が見つかった。30代の若い方が農業を始められていて、今後拡大したいからと言うことだ。 農業をしたいという若い人がいるのは意外だったが嬉しい。 一番条件が悪い「田んぼ」も買い手が見つかった。売買契約も済んだ。代金も入金になった。 「大きい畑」と「田んぼ」に関してはこれまでnoteでお伝えした通りだ。 「小さい畑」に関してはまだnoteに書いていなかったが、こちらも運よく買い手が見つかった。 こちらは、お隣の畑の方が買ってくださった。お客様は実はすぐ目の前にいたのだった。 これまで農業委員会へ売りたいという申請を出していたがなしのつぶてだった。 農業委員会の調整委員の方から何度か連絡があったが、昨年、「隣の畑の人が買ってくださったら一番いいのにな」と言った私のひと言で、「では、お隣の所有者に相談してみますね」ということになり、聞いたら「いいですよ」となったのだ。 ブロッコリーを綺麗に植えていらっしゃるその畑を見るだけで、我が家とは違ってしっかりされていると感じる。 この小さな畑をお隣の方に売るという段階になって驚くことが分かった。 土地の売買にあたり、法務局から図面を取り寄せ調べたら意外なことが分かったのである。 それは今まで我が家の土地だと思っていた部分の一部が、登記上はそのお隣さんの持ち物だったということが分かったのだ。 そこには我が家の大きなビニールハウスがあったのだが、ビニールハウスの後ろ3分の1くらいがお隣さんの持ち物だと判明したのだ。 私の父も、お隣さんのおじい様も既に他界しているからはっきりしたことは分からないのだが、恐らく、お互い口約束で「ここ、使っていいよ」「ありがとう」ということで話がついていたのだと思う。 知らぬとはいえ、長年、人さまの土地をタダでお借りしていたのだ。 そのことを農業委員会の調整委員を通じてお隣さんに謝罪とお礼を申し上げた。 これまでの賃借料を私は覚悟していた。 しかしお隣さんは、「別にいいですよ」とおっしゃってくださった。 そして、快く私の土地を買ってくださることになった。 そしてこの小さな畑は農業委員会を通して売買契約をし、手続きは全て終わった。 夫から相続した「田んぼ」と「小さな畑」は売ることができた。 そして、まだ所有していたい「大きな畑」は貸すことができた。 大きな大きな肩の荷が下りた。 夫から相続してからのこの期間は 農業の後継者問題を痛感した4年間だった。 ※私が夫から相続した田畑に関する無料マガジンはこちらです。 https://note.com/tukuda/m/ma35047324572 ※note毎日連続投稿1800日をコミット中! 1726日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。どちらでも数分で楽しめます。#ad 

人を騙して得たお金の価値はいかほどか?【音声と文章】

専業農家の夫から相続した田畑の内、「大きい畑」はAさんに貸すことになり、先日、 手続きの関係でAさんが我が家へお見えになった。 風除室に立つAさんの頭上にはふわりと雪が乗っていた。 「寒いので中へ、どうぞどうぞ。」 私はそう勧めたがAさんは玄関で大丈夫ですと言われた。 私は事前に用意した印鑑証明書をAさんにお渡しした。 これで書類が進むとの事。ニッと笑うAさんの八重歯が印象的だ。まだ30代後半のAさんは私にはない若さとバイタリティを感じる。 Aさんは、次に、我が家の親戚のBさんの話をされた。 山田家の親族の中で、大本家様(だいほんけ様)の次に偉いBさんは、我が家がビニールハウスを解体処分したのを知り、その業者を教えてほしいと、以前、言われた。 ビニールハウスの解体と処分はAさんの知り合いにお願いしたので、私はAさんに事情を話し、AさんとBさんとでやりとりができるようにした。 その後、どうなったかは知らなかったし、知りたいとも思っていなかったのだが、Aさんはその件を話し始めた。 結局のところ、Aさんの知り合いにやっていただくことになったそうだが、話はそれだけではなかった。 なんと、事業拡大を計画しているAさんは、Bさんの畑を購入することになったそうだ。 Bさん夫婦は昔から手広く耕作をされていたが、もう80代になられ、足腰も弱くなり畑を手放そうと思っていたのだそうだ。 ビニールハウスを処分する件を話している時に、その話を聞いたAさんは、Bさんの畑を購入したいと願い出て、「売りたい」「買いたい」が合致して、話はトントンと進み、私の畑の賃貸借契約と、Bさんの畑の売買契約を同時進行することになったそうだ。 手続きは全て農業委員会の指示の下で行われるから確かなことだ。 つまり、なんと、私がビニールハウスを処分し、その業者を教えたら、Bさんは自身のビニールハウスを処分できたばかりではなく、使わない土地を売ることができたのだ。 何も知らない方だったら、これは美談と感じるだろう。 しかし、私はBさんの運の良さに嫉妬した。 どうしてこの人はそんなに運がいいのか。 ブラックな自分が左の背中の当たりでニヤリとしている。 以前のnoteに書いたが、少しだけご説明したい。 私の父が長年耕作していた畑と、Bさんが所有する田んぼをある意味、だまされたような形で「等価交換」した経緯がある。 昔々、ご先祖様からの遺産分けの関係で もともと大きな畑だったものを、手前をBさんに、奥の一角だけを父に遺産相続された。 父が相続した畑に行くには農道がなく、手前のBさんの畑を通らなければいけなかった。 長年、そのようにして使っていた。 そこでは、じゃがいも、人参、枝豆、トマトなどを栽培していて、私は小さいころ母について行き、もぎたてのトマトにかぶりついた思い出がある。 ある年から大本家様は父の畑をBさんの田んぼと交換しなさいと言うようになった。 「いつまで人の土地を勝手に通るんだい?」と何度も父は大本家様に言われるようになった。 しかし、父はそれに従わず、畑を続けていた。 しかし、時が過ぎるごとに大本家様からの言い方がきつくなっていった。 それはあとあと振り返ってみると、切羽詰まったものがあったのかもしれない。 大本家様の大きな圧力に父は屈し、仕方なく自分の畑とBさんの田んぼを交換した。 等価交換だからそこにはお金は発生しなかった。 その時父はただ単に、土地を交換すればいいとしか言われていなかった。 しかし、これには裏があったのだ。 父が手放した畑は、数年後に全て県道に変わった。 大本家様のお婿さんは県庁にお勤めの方で、どこにいつ、道路が作られるかを知ることができる立場にいた。 今私は仕事上、建設新聞を読む機会があるから、数年後にどこがどうなるのかは、業界外の人よりは情報を早く得ることができる。 入札の書類にも関わっているから建設をするずっと前から知ることもできる。 これが県庁職員のその部署だともっと早くに分かっているだろうと予測はつく。 尋常小学校しか出ていない両親は全くの無学である。 数年後に、自分の畑が県道になるとは勿論、知るすべもなかった。 それを知っていた大本家様がBさんに利益になるようにうまく取り計らったのだ。 その後、大きな県道ができ、Bさんはすぐに大きな新居を建てられた。 新築祝いに我が家も呼ばれたが、父は絶対に行かなかった。 当時、私は小学生だったから、あんなにお酒が好きな父が、Bさん宅に呼ばれたのに行かないのを不思議に思っていた。 その話を大人になり跡取りになった私は母から聞いた。だから、私も大本家様とBさんに対しては恨みがある。 知らないとは損なのである。 知っているものだけが得をするのだ。 今回、私がBさんにAさんを紹介したから結局、Bさんの土地が売れた。 どこまで行ってもBさんは運がいいのだ。そういう人は世の中にいる。 心が狭い女だと言われても、父の等価交換の件を私は絶対許さない。 Bさん夫婦は、私が何も知らないと思っているらしく、にこにこと私に近づいてくるが、にこやかに笑う私の本心は氷の様に冷えている。 ある日、娘たちにその話をした。 「そうなんだ。そんなことがあったんだ。 Bさんは土地で大金を得たけれど、幸せではないと思うよ。 だって、Bさんの跡取りであるお嬢様はもう50代後半だけど未婚でしょ。お金がたくさんあって大きく立派な家があっても、あとを継ぐ人がいないんだよ。 Bさんはバチが当たったんだよ。」 「お母さん。私たち、まだ全然予定はないけれど、でも、その内、お母さんに孫の世話をしてもらうから。それまで待っててね。」 私の周りをふんわり優しく包むような娘の言葉に 私は「うんうん」と頷いた。 ※私が夫から相続した田畑に関する無料マガジンはこちらです。 https://note.com/tukuda/m/ma35047324572 ※note毎日連続投稿1800日をコミット中! 1725日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。どちらでも数分で楽しめます。#ad 

相続した「田んぼ」が売れました【音声と文章】

※note毎日連続投稿1700日をコミット中! 1676日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む、 どちらでも数分で楽しめます。 おはようございます。 山田ゆりです。 今回は 相続した「田んぼ」が売れました をお伝えいたします。 我が家は代々、お米と野菜の農家だった。 父が急逝し、その翌年、お婿さんである夫は会社を辞め専業農家になった。 私は会社員をずっと続けていて、定年退職になったら夫の農業をお手伝いしたいと思っていた。 いつかはネット販売もしようと考えていた。 一緒に暮らすアルツハイマー型認知症の母を自宅で介護しながらの生活は、ちょうど3人の娘たちの進学・就職時期と重なり、当時はてんやわんやだった。 そして、母の介護は突然、終止符が打たれた。 自宅のトイレで倒れた母はそのまま戻って来なかった。 父が亡くなって母が亡くなるまでの10年間は特に激動の日々だった。 母の死を悲しむ暇もなく過ごしていた1年後に夫が突然死した。 母の葬儀が終わって、「もう当分はこんなことないから静かに暮らせそうだね」と夫と話していた矢先の出来事だった。 私は夫から田畑を相続した。我が家の田畑は大きく分けて、「田んぼ」、「大きい畑」「小さい畑」の3つになる。 夫のいない我が家は、3人の娘たちと私の4人家族だ。 それぞれ仕事をしているから日中、田畑を耕せない。 重い農機具を持てない。 だから私は農業を諦めた。 田畑を貸したいという申請を農業委員会へ提出したが、全く反応は無かった。 農業をしないと決めた私は、それでいいものだと思っていた。 しかし、田畑は生き物である。 放っておくと草が生える。 耕作しない田畑を見に行くことが無かった私に苦情が来た。 伸び放題の田んぼの堰の草が、周りの田んぼへの水の流れを止めているということだった。 自分が田んぼを耕作しないのだから何もしなくて良いとその頃思っていたが、何もしなくても草の処理はしないといけないことをその時初めて知った。 最初は4時台に起きて田んぼの草を抜いていった。5時には朝の支度と朝活をして7時には家を出ないといけない。 忙しい日々が続いた。そして、思った以上に草取りは進まず、それをしてくださる方を紹介していただき、お金をかけて草を取ってもらうことになった。 労力は減ったが、その分、金銭的負担が出てきた。 その田んぼの草取りは年に3回、取らないといけなかった。 田んぼを持っているのに植え付けをしていないから収入はゼロ。 しかし、固定資産税や土地改良区の賦課金、草取りの手数料などの経費がかかる。 耕作しない田んぼを相続した場合、このように毎年、ただただ、お金だけが出てゆく。 よく、田畑は資産だと言うが、私の場合は負の遺産である。 早くこの田んぼは手放したかった。 農業委員会に出かけて田んぼは売却の手続きに変えた。 安い金額でいいから、誰か買ってほしい。そう思っていたが、買い手は4年間現れなかった。 農業委員会に、「タダでいいので手放したい」と相談に行ったら、「タダはできないことになっている」と言われ落胆した。 こうしてこれから先も、負の遺産の経費を払い続けなければいけないのか。 田畑は我が家にとって重い存在だった。 しかし、4年目の今年、この件は大きく動いた。 田んぼを買いたいという方が現れた。 農業委員会の調整委員の方が四方八方に話をされ、見つけてくださったのだ。 私たちは喜んだ。 田んぼがなかなか売れないのには訳があった。 田んぼのトラクターなどが通る道があるのだが、我が家の近くのその道が崩れやすくなっていて、U字溝を設置した方がいいと言われていた。 しかし、その工事には数十万円かかるそうだ。 耕作しない田んぼに数十万円をかける気持ちは私にはない。田んぼの道が良くないことが田んぼが売れない理由の一つになっていた。 それを承知で買って下さる方が現れたのだ。 売却金額は田んぼの道の状態を考慮して、本来の価格の5分の1の値段になった。 普通だったらそれに異論を唱えたいところだが、今は一日でも早くその田んぼを手放したい。 タダで売ってもいいと思っているからだ。 私は娘たちに話を伝えた。 娘たちはみんな、賛成してくれた。これまでの苦労や金銭的なことを私から聞いていたから、田んぼが売れたことを素直に喜んでくれた。 先日、農業委員会の調整委員の方が自宅に見え、申請書類をお持ち下さり押印した。 あとは農業委員会の会議に掛けられて承認されると金銭の授受をしたら農業委員会へ出かけて書類手続きをすれば良いことになった。 まだ手放したくない「大きな畑」のことは以前、noteに書いた。 愛着のある畑だから、まだ、「売る」ことはできない。当分、「貸す」方向で話はついている。 一方、この「田んぼ」には、愛着はない。 勿論、両親や夫、子ども達と一緒に田植えや稲刈りをした思い出はたくさんある。 夕焼けがあっという間に終わり、暗くなった田んぼに向かってトラクターのライトをあてながら稲刈りをした思い出もある。 でも、この田んぼは草取りの作業やあぜ道などに今後もお金がかかりすぎる。 この田んぼにあまり愛着がないのは、この土地はもともと、親戚の田んぼだったから。 我が家にはその親戚の方(Aさん)の敷地の近くに畑を持っていた。 その畑に行くためには、Aさんの畑の中を通ることになる。 親戚の大本家様が、「いつまで人の畑を通っているんだ。この畑と、少し離れたところにあるAさんの田んぼとを交換したらどうだ。」と言われていた。 父は最初それを拒んだ。 しかし、大本家様はことあるごとに父に言ってきて、次第にその回数が多くなってきた。なぜそのように強くおっしゃるのだろうかと思うほど。 そして父は諦めて、等価交換に同意し、今の田んぼが父に渡った。 しかし、これには実は、裏があったのだ。 いままで耕してきた父の畑に数年後、県の道路ができた。 大本家様のお婿さんは県庁に勤めていらっしゃる。 無学な父は、そんな情報は全く知らなかったのだ。 そして、Aさんはそのお金で豪華な家を建て替えた。 知らないということは損なのである。 そういういきさつを私は父や母から聞かされていた。 だから、この田んぼには、根底では愛着を抱いていない。 相続した「田んぼ」「大きな畑」「小さな畑」。 「田んぼ」は売り手が見つかった。 「大きな畑」は借り手が見つかった。 そして「小さな畑」も今年、大きな動きがあった。 それについては後日、また書くことにする。 今回は 相続した「田んぼ」が売れました をお伝えいたしました。 本日も、最後までお聴きくださり ありがとうございました。  ちょっとした勇気が世界を変えます。 今日も素敵な一日をお過ごし下さい。 山田ゆりでした。 ◆◆ アファメーション ◆◆ .。*゚+.*.。.。*゚+.*.。.。*゚+.*.。 私は愛されています 大きな愛で包まれています 失敗しても ご迷惑をおかけしても どんな時でも 愛されています .。*゚+.*.。.。*゚+.*.。゚+..。*゚+

田畑を相続した我が家の場合~大きい畑 その4~【音声と文章】

※note毎日連続投稿1700日をコミット中! 1647日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む、 どちらでも数分で楽しめます。 おはようございます。 山田ゆりです。 今回は 田畑を相続した我が家の場合~大きい畑 その4~ をお伝えいたします。 前回はこちらになります。 ↓ 田畑を相続した我が家の場合~大きい畑 その3~ https://note.com/tukuda/n/naddfcf558cc7 「大きい畑」を借りるSさんからビニールハウスの解体についての連絡はなかなか来なかった。 フットワークが軽い印象のSさんのことだから、お忙しいんだろうなぁと思っていた。 また、私自身、本業が忙しくて残業が時々あり、こちらから催促することができなかった。 ビニールハウスを解体する業者は、Sさんが知っているその会社にやってもらいたい。 だから、とりあえず先方に連絡をしてくれないかと私はSさんに依頼していた。 Sさんは「分かりました。ではまず、連絡を取ってみます。そしてまた山田さんに連絡してから解体してもらいます。」とおっしゃっていた。 だから私はSさんからの連絡を待っていた。 平日はいつも帰りが真っ暗なので畑の確認ができない。 ある休日の日中に買い物へ出かけた時、遠回りして畑の近くを車で通った。 後続車がいないのを確認して、ゆっくり走行して畑を見た。 周りは一面、稲刈りが終わり、散髪のあとのようにさっぱりした風景になっていたが 私の畑だけは、草がうっそうと茂り、密林のようになっていて、遠目から見てもその空間だけが異様だった。 その様子を見て、胸の奥がチクリとした。 そろそろ、ビニールハウスが見える、はずだった。 しかし、なんと、2つのビニールハウスは既になかった。 ハウスの骨組みもビニールもなく、そこにあったことさえなかったことになっていた。 Sさんにビニールハウスの解体をお願いをした時、解体業者に連絡が取れたら、まずは私に連絡をくださると言っていた。 仕事の受注の段取りとしては、まずは見積もりをしてそれを了承したら工事を始める。仕事とはそういうものだと思っている。 だからSさんからの連絡を待っていたのだ。 これでは話しが違うではないか。 私はSさんにほんの少し、不信感を抱いた。 その件について、こちらから電話をしようかどうか私は少し躊躇した。 連絡をくれると言ったではないかと、今さら言ってもどうにもならない。 もう、ことは済んでいるのだから。済んでしまったことをねちねち言うのもみっともない気がして私から電話はしないことにした。 ビニールハウスが既に撤去されていたと知った日から3日後に、Sさんから電話の着信があった。私はその電話に気が付かなかったからその後、Cメールが入っていた。 私は日中、携帯電話はロッカーの中なので、日中の電話には気づかない。 だから、こんな時はCメールの存在がありがたい。 Cメールの内容はこうだった。 「ハウス解体無事終わりましたので報告いたします。あとはゴミ片づけを合間見て行います。 トラクター代金など一旦精算したいのですが、都合よろしい日ありますでしょうか?」 無事終わりましたって、その前に連絡を下さると言っていたじゃないか。 「代金の精算など」ということは、直接お会いするということ。 お会いできるとしたら私は夜しかない。 それとも日中、有給休暇の時間休をいただくしかないか。 と、迷っていたら催促のCメールが届いた。私は休日の夕方に来ていただくことにした。 当日、Sさんは時間通りにお見えになり、我が家の仏間にお通しした。 仏間には大きなテーブルがあり、座布団を勧め、対峙した。 私は、「解体をする前に連絡を下さると言ってましたよね?」と言いたいのを我慢した。 もう済んだことだ。お互い嫌な思いをするだけだから、私はその思いを飲み込んだ。 Sさんは解体の前に私に連絡を下さらなかった件について、何も触れず勿論弁解もなかった。 つまり、Sさんの頭の中には、事前に私に連絡をするという思考が無かったのだとSさんのケロッとした様子を見て感じた。 解体業者さんは県外の会社の人で、あと2~3日で県外の会社に戻ってしまうから急いで解体をしたとおっしゃった。 解体の代金は、当初、Sさんがおっしゃっていたより5千円高くなった。想像以上の重さで、それは100㎏を超えたから少し高くなったということだった。 それは仕方のないことだと思う。 そして、当初の約束通り、解体費用の半分はSさんが負担することになった。 なぜ半額負担して下さるかと言うと、Sさんの方から、ビニールハウスを解体してくれた方が今後の農作業がしやすいとおっしゃってきたからだ。 その申し出がなかったらビニールハウスはそのままにする予定で、解体費用も発生しないはずだったから、解体費用の半分はSさんが負担するとご自分から申し出ていたからだった。 そして金銭の授受をした。 まずは、私からトラクターを買ったので、その代金が入った封筒をSさんがテーブルの上に置かれた。 これが私への入金である。 そして、Sさんが代わりに全額払ってくださったビニールハウスの解体費用の領収証を見せて下さり、その半分を私が払うことになった。 トラクター代金が入り、解体費用が出て行って、結局、差し引き、5千円が私の手元に残った。 トラクター代金の領収証は後日私からSさんへお渡しすることにした。 トラクターの所有者変更手続きは既に私が市役所へ出かけて終わっている。 その「原動機付自転車 小型特殊自動車 標識交付証明書」の原本をSさんにお渡しした。 ちょっとした行き違いがあったが、「大きい畑」を貸すという事実が、とりあえず、これでまた一つ前進した。 今回のことを振り返ってみた。 解体業者さんへ話をしてみてとお願いする時に「一応、見積もりがほしい」とはっきり私が言えば良かったと反省した。 曖昧な言い方は誤解を招く。私はその一押しが足りないと自覚している。 この「大きな畑」の次なるミッションは、Sさんが畑に散乱している農業資材(ビニールなど)や特大の焼酎のペットボトルなどのゴミを一か所に集めて下さる。 それが終わったら私に連絡が来る予定で、私は処理業者に依頼してそれを撤去すること。 そして、来年の3月までに、畑をSさんに貸すという手続きを農業委員会に提出する。 「大きな畑」についてはこのようになっている。 夫から相続した田畑は、大雑把に言うと、「田んぼ」「大きい畑」「小さい畑」の3か所になる。 これまで4年間、固定資産税や土地改良区の賦課金、草刈りの労力や代行手数料など、田畑からの収入はゼロなのに出費や労力がかかって困っていた。 農業委員会には、土地を「貸したい」「売りたい」の手続きはしていたが、立地条件が良くないため、誰からも手は上がってこなかった。 この状態がいつまで続くのだろうかと心配していたが、今年はそれが大きく動いた。 「田んぼ」も「小さい畑」に関しても、「大きい畑」同様、大きな動きがあった。 その件については、今後、書き記したい。 今回は 田畑を相続した我が家の場合~大きい畑 その4~ をお伝えいたしました。 本日も、最後までお聴きくださり ありがとうございました。  ちょっとした勇気が世界を変えます。 今日も素敵な一日をお過ごし下さい。 山田ゆりでした。 ◆◆ アファメーション ◆◆ .。*゚+.*.。.。*゚+.*.。.。*゚+.*.。 私は愛されています 大きな愛で包まれています 失敗しても ご迷惑をおかけしても どんな時でも 愛されています .。*゚+.*.。.。*゚+.*.。゚+..。*゚+

田畑を相続した我が家の場合~大きい畑 その3~【音声と文章】

※note毎日連続投稿1700日をコミット中! 1628日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む、 どちらでも数分で楽しめます。 おはようございます。 山田ゆりです。 今回は 田畑を相続した我が家の場合~大きい畑 その3~ をお伝えいたします。 ※このシリーズの一つ前はこちらです。 ↓(大きい畑その2) https://note.com/tukuda/n/nb9320677f5ad 「大きい畑」に関して、 「ハウスの解体と鉄骨代金の回収」 「ビニールなどの農業資材の収集運搬と処分」 二つが課題として上がってきた。 その件をまずは農業委員会の調整委員の方に報告の電話をした。 私が電話するより前に、借りたいという人(Sさん)から調整委員の方に電話が入っていて事の次第は知っていた。 調整委員の方はこれまでとても親身になって対応をしてくださっていて、私たちはその方に全幅の信頼をおいていた。 その方は分からない事をお聞きすると丁寧に教えて下さった。 農業に関する相談先がない我が家としては調整委員の存在はとても大きい。 だから、今回の件も調整委員の方に全てお話をした。 しかし、その日の電話は言葉を選んで言いにくそうにおっしゃっていた。 どうやら今回の件は調整委員の仕事の範囲を超えているらしい。 それは今回が初めてではなく、これまでのこともそれに該当しているようだった。 その方は、突然配偶者を失くし頼るあてもない私たちに感情移入され、どうやら、自分の仕事以上のことを請け負っていたということが分かった。 言葉を選びながら、でも、とても申し訳ないという気持ちが手に取るように分かる。 そうか。 なんでも調整委員の方に頼っていいものだと勘違いしていた私の落ち度である。 つまり、今の問題は、Sさんと私とのやり取りで決めることであり、調整委員の方がどうこうすることではないということが分かった。 私の腹は決まった。 とにかく、あの畑のことはすぐに取り掛からなければいけないことだ。 「大きい畑」に対して私がすることは二つ。 まずは、ビニールハウスを解体して撤去すること。 Sさんが、「山田さんの方で、どこかに見積もりを取ってもらって、その中から選ばれてもいいかもしれない。 そしてもしも、丁度良い業者を見つけることができなかったら、私の知り合いでそういう業者を知っているから、値段的に合うのだったらそちらを紹介してもどちらでもいい」とおっしゃってくださった。 なるほど。業者さんに見積もりを取っていただくこと自体、仕事柄なれているから気持ちの抵抗は全くない。事務を30年以上してきた経験がここで役立つことに嬉しさを感じた。 私は早速、PCで検索してみた。 すぐに見つかると思っていたが、そうでもなかった。 恐らく、検索のワードが適切ではなかったかもしれない。 地元の地名も入れて検索したが、かえってヒットしなくなった。 あれこれ1時間以上、ネットの世界をぶらぶらし、全国ネットの業者を選んだ。 その日は日曜日だったので電話ができず、とりあえずメールを送った。 「メールを受け取りました」のメールが届いた。これは自動返信メールであり、私のメールを実際は見ていないのは分かっている。 翌日の午前中にメールが届いた。 どんな業者さんを紹介してくださるのだろうかとワクワクしてメールの本文を読んだ。 <<弊社の提携先では対応可能な解体業者がおりませんでした。<< 全国ネットだとうたっているのに、対応できる業者がいないとは。 つまり、私の住んでいるところは「国内」ではないということか。 これは良くあることだからさほど落ち込まなかった。 またネットの世界で探さなければいけない。 私はもともとネット検索があまり得意ではない。 ネット検索は一見便利そうで、実は、知らず知らずの内に時間が過ぎてしまう。 それがとてももったいない。 私は自分で探すのを諦め、Sさんが知っている業者さんを使うことに決めた。 さっそっく、その日の夜にSさんへ電話をし、業者さんと連絡を取ってほしいとお願いした。 そして二つ目は、農業資材の撤去だ。 Sさんが、まずはビニールハウスを解体・撤去すれば、農業資材を一か所に集める作業がやりやすいから、先にビニールハウスを解体させてほしいとおっしゃっている。 どちらもいつかはやらなければいけないことだから、迷っている時間はない。 夫が残した負の遺産の清算は私の仕事だ。 これを次の世代へ丸投げしてはいけない。そう思っている。 あと一か月もすれば雪が降り始める。 その前までに終わらせないといけない。 Sさんからの電話を私は待った。 今回は 田畑を相続した我が家の場合~大きい畑 その3~をお伝えいたしました。 本日も、最後までお聴きくださり ありがとうございました。  ちょっとした勇気が世界を変えます。 今日も素敵な一日をお過ごし下さい。 山田ゆりでした。 ◆◆ アファメーション ◆◆ .。*゚+.*.。.。*゚+.*.。.。*゚+.*.。 私は愛されています 大きな愛で包まれています 失敗しても ご迷惑をおかけしても どんな時でも 愛されています .。*゚+.*.。.。*゚+.*.。゚+..。*゚+