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田畑を相続した我が家の場合

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代々続いた田畑を相続した場合、あなただったらどうされますか? 夫の急逝で女性4人だけの会社員の家族が田畑を相続した。 日中はフルタイムで働く家族は、田畑を耕す時間がない。 「…
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「大きい畑」とこれからも関わっていく

※軽い咳が出て読み上げることができませんので今回は朗読無しになります。 ※今回は、こちらのnoteの続きです。 ↓ https://note.com/tukuda/n/n7960d9739fdf?from=notice 「大きな畑」の借主(Sさん)からの電話は次のようなことでした。 Sさんは私の親戚のAさんの土地を買うことになり、売買契約を交わし農業委員会へ書類を提出し、あとは今月下旬に行われる農業委員会の総会で承認を待つだけの状態でした。 しかし、つい先日、それを取り消したと言うのを電話で話されていました。 それはAさんとSさんとの話であり、なぜ私にその話をされるのでしょうか。 きっと、私の縁でまとまった話だったからその報告をされていらっしゃるのかなと思いながら私はSさんの電話に相槌を打っていました。 最初はAさんがSさんに畑を貸すという話から始まりました。そして、トラクターもあるからそれも一緒に貸しますということになりました。 その内、Aさんは土地とトラクターを売ってもいいとSさんに話を持ちかけました。 80代のAさんはひとり娘(50代後半独身)しかおらず、手広くやっていた農業の後継者はいません。 恐らくそういった背景もあるのだと思います。 畑とトラクターをAさんがSさんへ売るということが決まり、売買契約書を取り交わし農業委員会へ書類を提出しました。 ところが最近になって、畑もトラクターも売らない。貸すのだったらいいとAさんが言いだしたそうです。 そして、その件でSさんがAさんのお宅に伺った時に、またAさんの話が変わっていて、トラクターは貸さないとおっしゃる。 それはAさんの奥様が強く話をされていた。 売ると決まったものを売らない、貸すならいいと言い、貸すと言ったものを今度は貸さないと言い出す。 これから農業の事業拡大を構想しているSさんは、話がコロコロ変わるAさんに不信感を抱き、結局、今回の件は無かったことに決定されたそうです。 「そうなんですね。」と私はSさんのお話をお聞きしていた。 私がSさんの伝手でビニールハウスを解体してもらい、それを知ったAさんもSさんにビニールハウスの解体をしていただいた。 それが縁で、AさんとSさんの土地の売買の話が始まったから、今回、その話が無かったことになったから、一応、私にその連絡をして下さっているのだと私はのんびりとSさんのお話を聞いていました。 それで電話は終わるのかと思いきや、次の展開に私は想像もしていませんでした。 ビニールハウスは地面に鉄の棒が埋め込まれていて、今回、私のところもAさんのところも、その埋め込まれた鉄の棒は撤去していないとのことでした。 その撤去をするにはそれを引っこ抜くための重機が必要でそれをすると更にお金が掛かります。 Aさんの奥様は、その棒をいつ抜くんだと言われ、Sさんは、「今回の作業にそれは入っていないから抜きません」とお答えしました。 するとAさんの奥様は、それを撤去するのは当たり前だろうとおっしゃってきました。 更には、私の大きい畑に先日行き、私のビニールハウスの地面にも残っているのを確認したと話されたそうです。 その畑は、私がSさんに貸すことになった畑です。 その畑に入っていいのは、土地の所有者である私と、借主であるSさん以外は許されないことです。 家のように畑には周りに塀があるわけでもカギを掛けているわけでもありません。だから、誰でも中に入ろうと思えば入れます。 しかし、いくらAさんが私の親戚であろうと、勝手に人の畑に入ってその地面を調べるということは非常識です。 田舎の人はこういう非常識なことを当たり前にする方がいらっしゃいます。 Aさんの奥様はそういう方で、昔から嫌いでした。ニコニコしていて腹の底では何を考えているのか分からないい人。 あなたの周りにはいらっしゃらないでしょうか。 Aさんは「私のハウスの棒を抜いてくれるまで何度も電話するから。」と脅迫めいたことをおっしゃったそうです。 AさんとSさんだけの話でしたら私にとっては、他人事でした。 しかし、私の親戚で非常識な人がいる。 その人が、親戚だという理由だけで、私の土地に無断で入ってくる。 その土地を借りて耕作をするSさんは、Aさんの奥様からどんな嫌がらせをされるか分からない。 知らないうちに除草剤をまかれるかもしれない。 それはあり得ない事とは言えないくらいAさんの奥様は勝手な人なのです。 いつ、Aさんの奥様によって畑を荒らされるか分からない。 そんな不安を抱えて農業をすることはできないから、 私の「大きな畑」を借りることは無かったことにしてほしい、 とSさんから言われました。 そんな結末になるとは思ってもみなかった私は、最初、言葉に詰まりました。 Sさんは今年の植える苗を既に購入済みで、それが成長して出荷したら100数十万円の売り上げが見込めるのだそうです。 そろそろ、畑を耕そうと思っていた矢先のAさんからのお話でした。 Aさんからの嫌がらせを回避するために今年の100数十万円の売り上げを捨ててでもこの「大きな畑」の賃貸借を解除したいとおっしゃいました。 私にはとても申し訳ないと思っていますがAさんからの攻撃を心配しながらの耕作はしたくないとのことでした。 私は数秒間考えました。 今必要な事は、残念ではありますが、賃貸借の契約を早く解除してSさんの希望を叶えてあげることだと私は決断しました。 そして、今月下旬に行われる農業委員会の総会が近づいているため、事を急ぐ必要があると私は判断し、Sさんと都合を合わせ、その電話の二日後に、農業委員会へ二人揃って出向き、契約解除の手続きを行いました。 やっと、草刈りの心配から解放された。 そして「大きな畑」は信頼できるSさんによって新しく生まれ変わる。 そう思っていた矢先の出来事でした。 私は契約解除の当日、これまでのお礼として栄養ドリンク2箱をSさんにお渡ししました。 あの、草がボウボウで、ここは密林かと思うほどだった状態を綺麗に草を刈って下さった。 また、ビニールや農業資材が散乱していたものを一か所にまとめてくださった。 荒れ放題の畑を綺麗にしてくださったSさんには感謝しかない。 いい人に借りてもらうことができ、家族全員喜んでいましたが、事情をお聞きすると致し方ない。 やっと借り手が見つかった「大きな畑」は結局、親戚のAさんの理由で、契約解除になってしまいました。 夫から相続した「大きい畑」と「小さい畑」と「田んぼ」は 「小さい畑」と「田んぼ」はお陰様で売れました。 「大きい畑」は一旦、賃貸借契約まで行きましたが、結局、契約解除になりました。 農業をすることができない人が田畑を相続するとどうなるのか。 普通の人では経験できないことをさせていただき、また一つ、勉強になりました。 特に思い入れが強い「大きい畑」。 私はこれからも「大きい畑」と関わっていく。 今日は軽い咳が時々出るため、朗読はお休みさせていただきました。 ※note毎日連続投稿1900日をコミット中!  1811日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。 どちらでも数分で楽しめます。#ad  「大きい畑」とこれからも関わっていく

借り手が現れた「大きな畑」のその後【音声と文章】

※軽い咳が出て読み上げることができませんので今回は朗読無しになります。 ※今回は、こちらのnoteの続きです。 ↓人を騙して得たお金の価値はいかほどか?【音声と文章】 https://note.com/tukuda/n/ned279814ce79?magazine_key=ma35047324572 夫から相続した田畑は大きく分けて、「大きい畑」と「小さい畑」と「田んぼ」の3つです。 夫が急逝して私と3人の娘たちが残され、日中はそれぞれ仕事をしているから田畑を耕すことはできません。 また、重い噴霧器を背中に背負うことも、 夫が使っていた草刈り機を持ち上げることもできません。 稲刈りが終わった田んぼの中でトラクターを数メートル運転したことはありますが、公道を走ったことはありません。 それ以前に、トラクターの鍵の所在が分からない状態です。 ないない尽くしの私たちは、農業を引き継ぐことを諦め、農業委員会に土地を貸します・売りますの申請をしました。 しかし、土地や周りの農道の状態が良くないこともあり、借り手・買い手は見つからずに数年が経っていきました。 農業をしない。そう決めればそれで済むものだと勘違いしていた私は、田畑を耕さなくても、毎年経費がかかることをすぐに知りました。 固定資産税や土地改良区の賦課金はもちろん、広大な畑の草刈りや田んぼの草取りに想像以上の労力とお金が掛かりました。 想像してみてください。 収入は入ってこないのに、年間、数十万円の経費がかかる、そんな土地をあなたはずっと持ち続けることができるでしょうか。 田畑は「生き物」だから、刈った草はすぐに生えてきて、気にはなるが休みやお天気の関係で、丁度良くならず、その内、周りの田畑の方から苦情が来るのです。 恐らく「だらしない人」と噂されているかもしれません。 これまで人さまにご迷惑をおかけしないように注意して生きてきたつもりですが、田畑を相続してからは、苦情の電話や来客に気持ちが沈みます。 私たちだって好きで田畑を放置しているのではありません。 早朝の4:30から田んぼの草取りをしたり、女性でも使えるといううたい文句の草刈り機を購入して、草を刈ったりもしてみました。 でも、やってもやっても草はすぐに生えてきます。 これをずっと経験していかなければいけない。 農業に対するイメージは相続後にがらりと変わりました。 農業委員会へ、タダでいいから引き取ってもらいたいと相談に行きましたが、タダではできない、必ずお金の授受をしないとできないと断られました。そして、今の世の中、農業をする人が少なくなっているから借り手・買い手は難しいと言われました。 収入は入ってこないのに多額の経費だけが掛かるのです。私たちはそのような農業に絶望していました。 しかし、4年目にして山は動いたのです。 「大きい畑」は借り手が現れ、 「小さい畑」と「田んぼ」はそれぞれ買い手が現れました。 そして、全ての書類関係を農業委員会へ提出し、これでやっと肩の荷が下りたと安堵しました。 会社の帰りに、遠回りにはなりますが、たまに田畑を遠目で見て車を走らせます。 夕焼けに染まるお山に抱え込まれているような我が家の畑を眺める。 まだ保育園児だったころに、祖父母、両親、姉、弟、伯母さんと一緒に稲刈りをした風景を今でも思い出します。 あの頃はコンバインはなくて鎌を手に稲を刈っていた。 腰に下げた藁の束から数本を引き抜き、その藁で刈った稲を束ねる。 それを狛犬のような格好に組み立てて稲を干す。 棒掛けもしていた。 子どもの私たちは、赤とんぼを捕まえようと田んぼを走り回っていた。 乾いた田んぼの中を走るたびにバッタの大群が、「大変だー大変だー」と言っているように飛び跳ねて逃げていく。 10時と3時に出されるおやつを目当てにお手伝いに行っていた。 普段は食べない袋菓子がたくさん用意され他にふかし芋、枝豆、りんご、梨などもあった。 遠い遠い思い出です。 「田んぼ」と「小さい畑」は売ることができました。 でも、昔田んぼだった「大きい畑」は当分、売ることはしないつもりです。それも手放してしまえば、幼い頃の思い出も失くしてしまう気がするからです。 そして、縁あって、借主が現れました。 もう、草刈りの心配はありません。 草が大人の胸の高さまで生い茂り異様な雰囲気を醸し出していた「大きな畑」は、借りてくださった方によって、綺麗に草が刈られ、すっきりしています。 もうこれで、収入が無いのに多額のお金を出して土地の維持をしなくてもいいのが嬉しい。 若い頃は先祖代々から続いている土地を継承するのは当たり前と思い、跡取りになった私は、その常識を普通に受け入れました。 しかし、専業農家の夫が急逝し、女性だけの我が家では農業を継ぐことは無理だと分かり、私たちは苦渋の決断をしました。 田畑を相続することの現実の厳しさをこの数年間で思い知りました。 「大きな畑」にあった2つのビニールハウスは借り手の都合で、無い方が作業がしやすいと言われ、私は快くハウスの解体に同意し、その方が知っている業者さんによってハウスは解体されました。 ある日、親戚のAさんから、自分もハウスの解体をしたいのだが、どこの業者さんを使ったのか教えて欲しいと電話が来ました。 それでは、ということで私は大きな畑の借主さんに事の事情をお話したら、彼とAさんとで話をすることになりました。 その後、彼の知っている業者さんによって親戚のAさんのビニールハウスは解体されたようです。 しかし、話はそれだけでは終わりませんでした。 もう80代になるAさんは、農業を畳みたい気持ちを彼に話したところ、事業拡大を計画しているAさんがその土地を買うことになったのです。 Aさん宅は農業の後継者がいらっしゃいません。 Aさんはラッキーでした。私はそのことをずっとあとになって「大きな畑」の借主から知らされました。 幸運な人はどこまで行っても幸運なのだと、ブラックな自分がつぶやいているのを感じました。 その理由はこちらのnoteを読んでくださった方はご存じだと思います。 ↓ https://note.com/tukuda/n/ned279814ce79?magazine_key=ma35047324572 賃貸借契約も取り交わし、後は農業委員会の総会で承認されるのを待つばかりのある日、 「大きな畑」の借主から「至急、お話したい」と電話が入りました。 普段、落ち着いている彼とは違う雰囲気の電話でした。 それは、 親戚のAさんの土地を「大きな畑」の借主が買うことになっていましたが、その売買契約をつい先日、取り消したと言う事でした。 それはAさんと「大きな畑」の借主との話であり、なぜ私にその話をされるのだろうかと思いながら、私は彼の話を時々相槌を入れながら静かに聞いていました。 きっと、私の縁でまとまった話だったからその報告をされていらっしゃるのかなと思いながらのんびり聞いていたら、それは私が予想もつかない展開になったのです。 長くなりましたので、続きは別の機会にいたします。 今日は軽い咳が止まらず、朗読はお休みさせていただきました。 ※note毎日連続投稿1900日をコミット中!  1810日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。 どちらでも数分で楽しめます。#ad  借り手が現れた「大きな畑」のその後

「小さい畑」の裏話【音声と文章】

致死性不整脈で夫は突然亡くなった。 そして私は専業農家の夫から田畑を相続した。 相続した田畑は大きく分けて「田んぼ」「大きい畑」「小さい畑」の3つ。 私と娘3人の我が家は、農業をする時間も体力もなく、農業をすることを諦めた。 そして農業委員会へ田畑の売買または賃貸の希望を出したが、農業の高齢化が進む中、誰からも何もなかった。 しかし、夫が亡くなって4年目にしてことは大きく動いた。 「大きい畑」は借り手が見つかった。30代の若い方が農業を始められていて、今後拡大したいからと言うことだ。 農業をしたいという若い人がいるのは意外だったが嬉しい。 一番条件が悪い「田んぼ」も買い手が見つかった。売買契約も済んだ。代金も入金になった。 「大きい畑」と「田んぼ」に関してはこれまでnoteでお伝えした通りだ。 「小さい畑」に関してはまだnoteに書いていなかったが、こちらも運よく買い手が見つかった。 こちらは、お隣の畑の方が買ってくださった。お客様は実はすぐ目の前にいたのだった。 これまで農業委員会へ売りたいという申請を出していたがなしのつぶてだった。 農業委員会の調整委員の方から何度か連絡があったが、昨年、「隣の畑の人が買ってくださったら一番いいのにな」と言った私のひと言で、「では、お隣の所有者に相談してみますね」ということになり、聞いたら「いいですよ」となったのだ。 ブロッコリーを綺麗に植えていらっしゃるその畑を見るだけで、我が家とは違ってしっかりされていると感じる。 この小さな畑をお隣の方に売るという段階になって驚くことが分かった。 土地の売買にあたり、法務局から図面を取り寄せ調べたら意外なことが分かったのである。 それは今まで我が家の土地だと思っていた部分の一部が、登記上はそのお隣さんの持ち物だったということが分かったのだ。 そこには我が家の大きなビニールハウスがあったのだが、ビニールハウスの後ろ3分の1くらいがお隣さんの持ち物だと判明したのだ。 私の父も、お隣さんのおじい様も既に他界しているからはっきりしたことは分からないのだが、恐らく、お互い口約束で「ここ、使っていいよ」「ありがとう」ということで話がついていたのだと思う。 知らぬとはいえ、長年、人さまの土地をタダでお借りしていたのだ。 そのことを農業委員会の調整委員を通じてお隣さんに謝罪とお礼を申し上げた。 これまでの賃借料を私は覚悟していた。 しかしお隣さんは、「別にいいですよ」とおっしゃってくださった。 そして、快く私の土地を買ってくださることになった。 そしてこの小さな畑は農業委員会を通して売買契約をし、手続きは全て終わった。 夫から相続した「田んぼ」と「小さな畑」は売ることができた。 そして、まだ所有していたい「大きな畑」は貸すことができた。 大きな大きな肩の荷が下りた。 夫から相続してからのこの期間は 農業の後継者問題を痛感した4年間だった。 ※私が夫から相続した田畑に関する無料マガジンはこちらです。 https://note.com/tukuda/m/ma35047324572 ※note毎日連続投稿1800日をコミット中! 1726日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。どちらでも数分で楽しめます。#ad 

田畑を相続した我が家の場合~大きい畑 その4~【音声と文章】

※note毎日連続投稿1700日をコミット中! 1647日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む、 どちらでも数分で楽しめます。 おはようございます。 山田ゆりです。 今回は 田畑を相続した我が家の場合~大きい畑 その4~ をお伝えいたします。 前回はこちらになります。 ↓ 田畑を相続した我が家の場合~大きい畑 その3~ https://note.com/tukuda/n/naddfcf558cc7 「大きい畑」を借りるSさんからビニールハウスの解体についての連絡はなかなか来なかった。 フットワークが軽い印象のSさんのことだから、お忙しいんだろうなぁと思っていた。 また、私自身、本業が忙しくて残業が時々あり、こちらから催促することができなかった。 ビニールハウスを解体する業者は、Sさんが知っているその会社にやってもらいたい。 だから、とりあえず先方に連絡をしてくれないかと私はSさんに依頼していた。 Sさんは「分かりました。ではまず、連絡を取ってみます。そしてまた山田さんに連絡してから解体してもらいます。」とおっしゃっていた。 だから私はSさんからの連絡を待っていた。 平日はいつも帰りが真っ暗なので畑の確認ができない。 ある休日の日中に買い物へ出かけた時、遠回りして畑の近くを車で通った。 後続車がいないのを確認して、ゆっくり走行して畑を見た。 周りは一面、稲刈りが終わり、散髪のあとのようにさっぱりした風景になっていたが 私の畑だけは、草がうっそうと茂り、密林のようになっていて、遠目から見てもその空間だけが異様だった。 その様子を見て、胸の奥がチクリとした。 そろそろ、ビニールハウスが見える、はずだった。 しかし、なんと、2つのビニールハウスは既になかった。 ハウスの骨組みもビニールもなく、そこにあったことさえなかったことになっていた。 Sさんにビニールハウスの解体をお願いをした時、解体業者に連絡が取れたら、まずは私に連絡をくださると言っていた。 仕事の受注の段取りとしては、まずは見積もりをしてそれを了承したら工事を始める。仕事とはそういうものだと思っている。 だからSさんからの連絡を待っていたのだ。 これでは話しが違うではないか。 私はSさんにほんの少し、不信感を抱いた。 その件について、こちらから電話をしようかどうか私は少し躊躇した。 連絡をくれると言ったではないかと、今さら言ってもどうにもならない。 もう、ことは済んでいるのだから。済んでしまったことをねちねち言うのもみっともない気がして私から電話はしないことにした。 ビニールハウスが既に撤去されていたと知った日から3日後に、Sさんから電話の着信があった。私はその電話に気が付かなかったからその後、Cメールが入っていた。 私は日中、携帯電話はロッカーの中なので、日中の電話には気づかない。 だから、こんな時はCメールの存在がありがたい。 Cメールの内容はこうだった。 「ハウス解体無事終わりましたので報告いたします。あとはゴミ片づけを合間見て行います。 トラクター代金など一旦精算したいのですが、都合よろしい日ありますでしょうか?」 無事終わりましたって、その前に連絡を下さると言っていたじゃないか。 「代金の精算など」ということは、直接お会いするということ。 お会いできるとしたら私は夜しかない。 それとも日中、有給休暇の時間休をいただくしかないか。 と、迷っていたら催促のCメールが届いた。私は休日の夕方に来ていただくことにした。 当日、Sさんは時間通りにお見えになり、我が家の仏間にお通しした。 仏間には大きなテーブルがあり、座布団を勧め、対峙した。 私は、「解体をする前に連絡を下さると言ってましたよね?」と言いたいのを我慢した。 もう済んだことだ。お互い嫌な思いをするだけだから、私はその思いを飲み込んだ。 Sさんは解体の前に私に連絡を下さらなかった件について、何も触れず勿論弁解もなかった。 つまり、Sさんの頭の中には、事前に私に連絡をするという思考が無かったのだとSさんのケロッとした様子を見て感じた。 解体業者さんは県外の会社の人で、あと2~3日で県外の会社に戻ってしまうから急いで解体をしたとおっしゃった。 解体の代金は、当初、Sさんがおっしゃっていたより5千円高くなった。想像以上の重さで、それは100㎏を超えたから少し高くなったということだった。 それは仕方のないことだと思う。 そして、当初の約束通り、解体費用の半分はSさんが負担することになった。 なぜ半額負担して下さるかと言うと、Sさんの方から、ビニールハウスを解体してくれた方が今後の農作業がしやすいとおっしゃってきたからだ。 その申し出がなかったらビニールハウスはそのままにする予定で、解体費用も発生しないはずだったから、解体費用の半分はSさんが負担するとご自分から申し出ていたからだった。 そして金銭の授受をした。 まずは、私からトラクターを買ったので、その代金が入った封筒をSさんがテーブルの上に置かれた。 これが私への入金である。 そして、Sさんが代わりに全額払ってくださったビニールハウスの解体費用の領収証を見せて下さり、その半分を私が払うことになった。 トラクター代金が入り、解体費用が出て行って、結局、差し引き、5千円が私の手元に残った。 トラクター代金の領収証は後日私からSさんへお渡しすることにした。 トラクターの所有者変更手続きは既に私が市役所へ出かけて終わっている。 その「原動機付自転車 小型特殊自動車 標識交付証明書」の原本をSさんにお渡しした。 ちょっとした行き違いがあったが、「大きい畑」を貸すという事実が、とりあえず、これでまた一つ前進した。 今回のことを振り返ってみた。 解体業者さんへ話をしてみてとお願いする時に「一応、見積もりがほしい」とはっきり私が言えば良かったと反省した。 曖昧な言い方は誤解を招く。私はその一押しが足りないと自覚している。 この「大きな畑」の次なるミッションは、Sさんが畑に散乱している農業資材(ビニールなど)や特大の焼酎のペットボトルなどのゴミを一か所に集めて下さる。 それが終わったら私に連絡が来る予定で、私は処理業者に依頼してそれを撤去すること。 そして、来年の3月までに、畑をSさんに貸すという手続きを農業委員会に提出する。 「大きな畑」についてはこのようになっている。 夫から相続した田畑は、大雑把に言うと、「田んぼ」「大きい畑」「小さい畑」の3か所になる。 これまで4年間、固定資産税や土地改良区の賦課金、草刈りの労力や代行手数料など、田畑からの収入はゼロなのに出費や労力がかかって困っていた。 農業委員会には、土地を「貸したい」「売りたい」の手続きはしていたが、立地条件が良くないため、誰からも手は上がってこなかった。 この状態がいつまで続くのだろうかと心配していたが、今年はそれが大きく動いた。 「田んぼ」も「小さい畑」に関しても、「大きい畑」同様、大きな動きがあった。 その件については、今後、書き記したい。 今回は 田畑を相続した我が家の場合~大きい畑 その4~ をお伝えいたしました。 本日も、最後までお聴きくださり ありがとうございました。  ちょっとした勇気が世界を変えます。 今日も素敵な一日をお過ごし下さい。 山田ゆりでした。 ◆◆ アファメーション ◆◆ .。*゚+.*.。.。*゚+.*.。.。*゚+.*.。 私は愛されています 大きな愛で包まれています 失敗しても ご迷惑をおかけしても どんな時でも 愛されています .。*゚+.*.。.。*゚+.*.。゚+..。*゚+

田畑を相続した我が家の場合~大きい畑 その3~【音声と文章】

※note毎日連続投稿1700日をコミット中! 1628日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む、 どちらでも数分で楽しめます。 おはようございます。 山田ゆりです。 今回は 田畑を相続した我が家の場合~大きい畑 その3~ をお伝えいたします。 ※このシリーズの一つ前はこちらです。 ↓(大きい畑その2) https://note.com/tukuda/n/nb9320677f5ad 「大きい畑」に関して、 「ハウスの解体と鉄骨代金の回収」 「ビニールなどの農業資材の収集運搬と処分」 二つが課題として上がってきた。 その件をまずは農業委員会の調整委員の方に報告の電話をした。 私が電話するより前に、借りたいという人(Sさん)から調整委員の方に電話が入っていて事の次第は知っていた。 調整委員の方はこれまでとても親身になって対応をしてくださっていて、私たちはその方に全幅の信頼をおいていた。 その方は分からない事をお聞きすると丁寧に教えて下さった。 農業に関する相談先がない我が家としては調整委員の存在はとても大きい。 だから、今回の件も調整委員の方に全てお話をした。 しかし、その日の電話は言葉を選んで言いにくそうにおっしゃっていた。 どうやら今回の件は調整委員の仕事の範囲を超えているらしい。 それは今回が初めてではなく、これまでのこともそれに該当しているようだった。 その方は、突然配偶者を失くし頼るあてもない私たちに感情移入され、どうやら、自分の仕事以上のことを請け負っていたということが分かった。 言葉を選びながら、でも、とても申し訳ないという気持ちが手に取るように分かる。 そうか。 なんでも調整委員の方に頼っていいものだと勘違いしていた私の落ち度である。 つまり、今の問題は、Sさんと私とのやり取りで決めることであり、調整委員の方がどうこうすることではないということが分かった。 私の腹は決まった。 とにかく、あの畑のことはすぐに取り掛からなければいけないことだ。 「大きい畑」に対して私がすることは二つ。 まずは、ビニールハウスを解体して撤去すること。 Sさんが、「山田さんの方で、どこかに見積もりを取ってもらって、その中から選ばれてもいいかもしれない。 そしてもしも、丁度良い業者を見つけることができなかったら、私の知り合いでそういう業者を知っているから、値段的に合うのだったらそちらを紹介してもどちらでもいい」とおっしゃってくださった。 なるほど。業者さんに見積もりを取っていただくこと自体、仕事柄なれているから気持ちの抵抗は全くない。事務を30年以上してきた経験がここで役立つことに嬉しさを感じた。 私は早速、PCで検索してみた。 すぐに見つかると思っていたが、そうでもなかった。 恐らく、検索のワードが適切ではなかったかもしれない。 地元の地名も入れて検索したが、かえってヒットしなくなった。 あれこれ1時間以上、ネットの世界をぶらぶらし、全国ネットの業者を選んだ。 その日は日曜日だったので電話ができず、とりあえずメールを送った。 「メールを受け取りました」のメールが届いた。これは自動返信メールであり、私のメールを実際は見ていないのは分かっている。 翌日の午前中にメールが届いた。 どんな業者さんを紹介してくださるのだろうかとワクワクしてメールの本文を読んだ。 <<弊社の提携先では対応可能な解体業者がおりませんでした。<< 全国ネットだとうたっているのに、対応できる業者がいないとは。 つまり、私の住んでいるところは「国内」ではないということか。 これは良くあることだからさほど落ち込まなかった。 またネットの世界で探さなければいけない。 私はもともとネット検索があまり得意ではない。 ネット検索は一見便利そうで、実は、知らず知らずの内に時間が過ぎてしまう。 それがとてももったいない。 私は自分で探すのを諦め、Sさんが知っている業者さんを使うことに決めた。 さっそっく、その日の夜にSさんへ電話をし、業者さんと連絡を取ってほしいとお願いした。 そして二つ目は、農業資材の撤去だ。 Sさんが、まずはビニールハウスを解体・撤去すれば、農業資材を一か所に集める作業がやりやすいから、先にビニールハウスを解体させてほしいとおっしゃっている。 どちらもいつかはやらなければいけないことだから、迷っている時間はない。 夫が残した負の遺産の清算は私の仕事だ。 これを次の世代へ丸投げしてはいけない。そう思っている。 あと一か月もすれば雪が降り始める。 その前までに終わらせないといけない。 Sさんからの電話を私は待った。 今回は 田畑を相続した我が家の場合~大きい畑 その3~をお伝えいたしました。 本日も、最後までお聴きくださり ありがとうございました。  ちょっとした勇気が世界を変えます。 今日も素敵な一日をお過ごし下さい。 山田ゆりでした。 ◆◆ アファメーション ◆◆ .。*゚+.*.。.。*゚+.*.。.。*゚+.*.。 私は愛されています 大きな愛で包まれています 失敗しても ご迷惑をおかけしても どんな時でも 愛されています .。*゚+.*.。.。*゚+.*.。゚+..。*゚+