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7年目の願い事

最近は2日に1回はここに来るのが楽しみになっている。声で残すのは好きだけど、文章でしたためるのも好き。精一杯考え抜いて消しては書いてその日の想いを書き遺す。この時期、忘れてはいけない、忘れたくない記憶との再会。今はまだ幸い“憶えている”。今日は少し湿っぽい話になる。それでも忘れないうちに、この場にも記しておきたい。気づけば7年目の想い。


仕事には慣れがつきもの。慣れというより順応と言いたい。あくまで経験を力に、選択肢を、引き出しを増やすから、慌てなくなるし、慌てないように振る舞うのが上手くなる。不安にさせない事こそが、私たちの職業の努めだと今は何より痛感している。そのために、12歳からかけ続けた眼鏡を昨年まで外さなかった。眼鏡ひとつで“年齢”というハンディキャップがカバーできた。元々の顔立ちと経験が合わさり、その装備ひとつで私は強くなれた。強く振る舞えた。外した理由は壊れたからだが。休み明けまでに直せなかった結果、5年目にして初めて装備無しで出社した。案外反応が良かったので今はほぼ装備を外して出社する。そろそろハンディキャップも気にしなくていいかもなと、“あとは歳を重ねるだけ”と、どこかの映画で聴いたフレーズも、いらなくなった証拠だろうと思っている。


葬儀の職について、〖大変なお仕事〗とよく評される。間違ってない、間違ってないけど、大変じゃないんだ、好きでやってるから。私はこの仕事が好きだし、“秋が来るまで”は続けると思う。偽りのないありがとうが零れるのは、きっとこの仕事の最も救いな面だろうなと常々。“人生最大のストレス”と称される大切な誰かとの別れを、他人の話とはいえ毎日目にする。正直尋常じゃない。多い月では200件を超える。年単位1000件以上の別れと立ち会う。こちらも息抜きを知らなければ正気でいられない。私の場合は会話とお酒とランニングでなんとかなる。ならない人は辞めていく。それがこの道の運命。私達は家族との向き合い方を、大切な方との関わり方を学ぶんだ、ご葬家様の過ごし方を通して。覗かせて頂いてるのだ。ご家族の最後の時間を。

慣れたくないと思っても、習慣とは恐ろしい。不謹慎かもしれないが、出社すれば“誰か”が居る。これには慣れてしまった。返事のない会話をしながらお茶を替え、お水を替え、顔を見て香を手向けるのが常。慣れてしまったんだ。

それでも式典となれば話は別。同じ内容でも求められる形は違う。時には怒られ、感謝され、悩みながら見送る。その日その日の選択は正しかったのか、私のご案内は不足がなかったのか、悩みは尽きない。時には貰い泣きをしながら、それでも“携わらせてもらえて光栄でした”と精一杯の敬意を込めてその日を終える。そんな日々。


案外身内に年配が多いのと、社交性がアダになり、毎年実は私自身喪中である。書くべきでないかもしれないが、年末から2月までで3人失った。知り合いのBARのマスターが亡くなった時は深酒した上で翌朝声を上げて泣いた。時節が相まって会葬を諦め出社した日が叔母の葬儀だったのもついふた月前。ご案内でついたご葬家の隣の炉に叔母の写真があった時は耐え難かった。いつも通りを装い、控え室にご案内をしてから炉前に戻り、よく知る顔写真と縦に貼られたよく知る名前、手遅れを示す赤いランプを見て声を上げて泣いた。よく行く火葬場で、日頃から職務で向かう地で、お世話になっている火夫さんやお茶子さんの目も気にせず、葬儀屋の身なりをしてひたすらに泣いた。歳下はいつも置いていかれる。みんないつも話してくれない

7年というのは祖父との別れから数えて。彼のお陰で今の会社にいる。選ばせてもらったといっても恐らく不足はない。

この人は起きない”と言う眠りを間近で初めて体験した。怖いとさえ思った。一昨日会話した相手が二度と起きない事を確信した日。何よりの後悔の日。避けようのない運命を、どうにかして避けたかった日。

正月に『一緒に酒が飲みたい』と言われた日、私はまだ19歳だった。今ではえらく酒飲みな私は何故か頑なに「20歳になったら氷結を買って家族と乾杯する」と決めていた。“いい通夜の日”生まれの葬儀屋は当時はそんな運命も露知らず、乾杯をしなかった。今思えば彼は、自分の最期が遠くない事を悟っていたのだと思う。

あの時期にちょうど【約束のスターリーナイト】という曲を聴いていた。一度気に入ると飽きるまで聞く癖のある私は、リピートをかけて毎日聴いていた。お陰で7年経った今でも、聴けば祖父を思い出すし、日付が近づくと無意識に聴いている。あれ、七夕の曲なんだけど、4月に聴いてたんですよ。4月21日。私にとってはそういう曲なんです。

“願い事聞いてよ、一年に一度で構わないから、約束の夜空であなたと会いたい。”

ホントだよ、一度でいいからもう一度会いたい。会って話す内容も、上手くまとまらないけど、もう一度顔が見たいと心から思う。

“言えないよ、言えないよ。                                            強がりはもう言わない。                                              言わなくちゃ、言わなくちゃ。                                    ありがとう、サヨナラ”

まだサヨナラは言えないよ。

そんな彼の7回忌は今月13日。今年はどんな顔で手を合わせようか、毎年『私は成長出来てますか』と家族の墓参りと敢えて日付をずらし、1人で彼に問いかけている。返事は来ないが聞いてくれてると信じている。失う事に慣れた女は今でも貴方を思っている。今年はたまには我が家においでよ。大好きなビールとショートホープ買っておくからさ。

(2022/03/03 )

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