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「神坐す山の物語」を読み 武蔵御嶽神社へ行った!

近所の氏神さんに「大口真神」さんの御札を祀っている祠がある。
大昔流行った御嶽山信仰でこの町内ももれなく祀ったのだろう。

私は本殿よりそこの祠の雰囲気が好きだ。
拝んで目をそらすと 小さい富士山も視界に入る。
富士山信仰も 昔ここで流行ったはず。
本殿の隣りには富士山を模した山があり、中里富士と呼ばれるそこには鳥居もちゃんとある。

23年前、神社近くを宅地開発された。
その時に我が家は移り住んできた。

信仰をごちゃ混ぜにしているような神社だが、町内のお祭りは盛んで、
季節毎に良く盛り上がった。
コロナですっかり縮小されたが、変わらずこの町内は大好きだ。

しかし、「大口真神」はどんな神様なのか 全く知らなかった。
何かの本で「おおぐちのまがみ」と呼び方だけは知る。

去年のある日、大宮氷川神社へ行くと
いつもなら晴れ晴れとする心持ちがなぜか違和感を感じた時があった。

他の神社にも行ってみたが、やはり気持ちがスッキリしない。むしろモヤモヤする。

おかしいと思い、仲良しのカイロの先生にそれを話すと

呼ばれてないんじゃない?

あっさりした答えだった。
もうがっがりだった。
えー? 呼ばれてない?
あたしはお呼びじゃないのっ!?

まーまー。
呼んでるところはあるはず。
ゆっくりでいいから探してみ?

その言葉にハッと思い出したのが
氏神さんだった。
そう、近所の神社だ。
そういえば足が遠のいていた。

当然すぐ行った。
そして、簡単に違和感はすっ飛んだ。
ああ、ここだったか。
そう思えた。

そんなある日
そのカイロの先生が面白い本見つけたから読んでよ。
こういうの、好きでしょ?
と、半ば押し付けられたように本を借りた。

これだ。
オカルトはお互い大好物。
簡単に読める内容だった。

ここから なんだか不思議なのだが

本の終盤、浅田次郎氏の名前が出てくる。

著者が取材で行った際、駅の電車待ちの時、たまたま見つけた本を読み
ご自身が氏の親戚だったと知ったらしい。
それがこれ。

面白い。
怪奇現象バリに不思議な話しだと思えた。

自分は浅田次郎氏のファンと自負しているが
なのになのに
この本の存在は知らなかった。
ファンの名がすたる。
そんな自分はイヤ!
と早速アマゾンで購入。
夢中で読んだ。

当然ながら不思議な物語が面白い。
そして本の舞台である宿坊は山香荘と名を変え現在もあると知る。

行かねば!

心が沸き立った。

いつも旅する友人を誘うと
即OK。

トントン拍子に事が進む。
それは「是好日」の証でもあった。

行ったその日はこの冬1番の寒い日だった。
都心の最高気温は7℃。
御嶽神社はだいたい都心のマイナス7℃というから0℃だったのかもしれん。

青梅は家からは圏央道ですぐだ。
「滝本駅」へはゆっくり走行して1時間半で行った。
そこから先はロープウェイなのだが
「神坐す山の物語」で、
ロープウェイができる以前は幼い女児も(本の中では浅田氏の伯母や母)は
山の下まで徒歩で通学したとある。

だったら我らも
徒歩でしょ!

やる気みなぎった。

で、迷わず山へ入る。
初回くらいは歩かねばだ。

「滝本駅」前(真ん中の鳥居が参道入口)

参道は急な坂道だった。
そして薄暗い。

ろくろっ首 
うまたてば 
おおまがり 
なかみせ 
だんごどう
じゅうやっくぼ 
だいこくのお 
やまのかみ 

急な斜面の道中には庚申塚のような目印があった。
いちいち読み上げ、自分を励ます。
いや、目印の塚に励まされた。

徒歩50分と駅で教わったけど
60分かけてゆっくり歩いた。

何本もロープウェイに抜かされた。
心拍数も上がってくる。
一気に400メートル以上登る斜面。
東京タワーより高い。

参道の杉の木には東京都の管理なのかは分からないが
数字が貼られてあり、
登るに従って数字が減ってゆく。
あとどのくらい歩くのか想定できた。

息が上がり、どんどん暑くなる。
コートもセーターも脱ぎ、シャツ一枚で歩いた。(外気は3℃以下なのに)

山を上るにつれ
太陽の光が足元に届いてくる。
突然、強い風が吹き木々を揺らす。
ザワザワ、ザワザワ。

枯れ枝が桜吹雪の様に舞う。
ザワザワ、ザワザワ。

ああ、ここには神様がいる。

イテ!

風で飛んだ杉の枯れ枝が頭に当たった。

帽子被ってくりゃ良かった。
枯葉を払い 耳に手を当てる
体は熱いが、耳がちぎれそうに冷たく痛い。

夏は暑くて登れないかも。
初詣以外、ここは閑散期だ。
参道ですれ違う人は数人だけ。
5月はとても混むらしい。
今日来て本当に正解だ。

参道を登り切ると集落がある。
神社の下にはたくさんの講中碑がたくさん並んでいた。
練馬の講も見つけ 気持ちがはやる。

田柄も向山も来てるじゃんか~!
流行ってたのだとつくづく感じた。

ずっと気になっていた「大口真神」さん。
今までの謎と気がかりと違和感はすっ飛んだ。

私はずっとここに来たかったんだ。

三峰神社と同じ神話だ。
三峰さんはオオカミだが、ここのおいぬ様は ワンコだった。(と感じた)
御岳のおいぬ様は目が三日月型。そこが好き。

眺めは最高だった。
冷たい風が尚いい。

波長が合う。

そんな神社だった。
こんなに清々しいのは久しぶりだ。

今年は地震や飛行機事故で始まったので
復興と火の用心と幸せを祈った。

証券会社の知り合いが
正月早々レンタカーを壁にぶつけたと言っていたので
彼の今後も一緒に祈願する。

清め給え払い給え 
守り給え幸い給え

神社内を念仏の様に唱え歩いた。

余談だが
参道の「なるこま」というお土産屋さんで行き帰り暖を取り、お姉さんと世間話で盛り上がった。
で、分かったのだが、
私が地元の氏神様で拝んでいた「大口真神」のお札は
やっぱりここのお札だった。
地元の講は令和の現在も続いていた。

〇〇さんや△△さん、毎年寄ってくれるよ。

あちゃーそれ、ウチの町内会長だ。
隣の明美ちゃんはその娘です!

なんだべ。ご縁あったね。
大根やキャベツ、お土産にくれるんだよ。

ああ、ウチの近所の特産品です。

よろしく言っててね。


そう。武蔵御岳神社は農業の神様でもある。
波長が合うのも納得だった。

人との出会い
人とのつながり

氏神様。恐るべし。

気持ちのいい 不思議なご縁を感じた日になった。


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