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蟹と対話

蟹が食べたくなった。理由は鋭意調査中である。私はスカパーのディズニーチャンネルでたまたま目に入ったアリエルに出てくるキモガニが一枚噛んでいると睨んでいる。理由は鋭意調査中である。最近は調査中の物事が多く、並列作業が苦手な私は一般的な生活を送ることが困難になってきた。この前だって考え事をしたまま歯磨きをした結果、ぐちゅぐちゅぺっ! の「ぺっ!」を忘れて洗面所を出てしまい、あやうくリビングに歯磨き粉水(はみがきこみず)を電池切れ寸前のマーライオンのようにぶちまけてしまうところだった。

とまあ、そんなことはどうでも良くて一刻もはやく蟹が食べたいのだけど、入手経路の確保に苦戦しているのが現状であり、なんとなくカニっぽいという理由で食べているおやつカルパスで誤魔化しが効かなくなるのも時間の問題だろう。

私は妄想の世界で、直接は話しかけないけどギリ蟹に聴こえるぐらいのボリュームで友達と蟹について話したり、授業中ずっと教科書ではなく『甲殻類大辞典 決定版』を開いているなど、それとなく好意をアピールしていたが、蟹にそれが伝わっているかは定かではない。そもそも言語を扱うのに適していない構造をしているので思考が読み取れないし、そもそも思考を行っているのかということさえ疑問だ。人間の感情を一番機敏に表現する部位は目だと言われているが、蟹の目は白い部分がなく、眼球の動きを捉えることが出来ないので感情もわからない。

蟹は私たちに何も語りかけてはくれない。つまり、私たちが蟹のことを真に理解する瞬間は未来永劫訪れることは無いと断言できる。だから「俺は蟹のことを熟知しているぜ」なんて発言はひどく人間よがりの傲慢な戯言であり、人間の身体的特徴だけを分析した宇宙人が、「人間のことを熟知しています」と宣うことと同義なのだ。何かを真に理解する上で対話というものは避けて通れない一種の儀式であり、それは古の先祖から脈々と受け継がれてきた自然の理なのである。

「何かを真に理解することは不可能である」ということもまた自然の理なのだが、これはまた別の機会に。

こんな感じでどうですか?

あーっ、はい、はい、やっぱりそうですよね、、分かりました、はい、明日までに、はい、了解ですー。はい、お疲れ様です失礼しまーす。

(この文章は阪神タイガース設立当初から現在に至るまでの勝ちをトン、負けをツーとしてモールス信号に置き換え、文字起こしした物です)

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