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ガマグチガミ

窓の外で鳥が鋭く啼くひと声に美佐は目を覚ました。
いつもの癖で背中に夫の気配を探したが、今夜は一人で民宿に泊まっていることを思い出した。
この春に定年退職する夫と結婚して35年になる。いい人なのだが、美佐の気持ちを汲んで寄り添うということがない男だった。
枕元に置いた携帯電話を引き寄せ、時刻を確かめる。午前3時半、夜が明けるにはまだ間があった。
昨年、末の娘もついに家を出ていった。その頃から美佐はなんとなく気が滅入るようになった。夫とだけ過ごす時間が増える。そう思うとさらに憂鬱な気分になった。
美佐は「友人と旅行に行く」と告げて、一人旅に出た。
もう一度眠りに就こうと寝返りを打つが、どうにも寝られそうにない。起き上がり窓に近寄って、カーテンを開けた。
漆黒の空に薄い鎌のような三日月が浮かんでいるのが見える。海面に月の光が映えて、海を渡る銀色の道ができている。満月の夜でなくても、こんなに明るいのか。
窓を開け、頭を突き出して空を仰ぐと、都会の夜空には見えない星が無数にチラチラと瞬いている。まだ3月とはいえ、未明の空気に凍えるほどの冷たさは感じない。
静かな夜で、島の高台にある民宿の部屋からは遠目にも、海面に波は立っていないようだった。漁へ出かける船だろう、幾つかの橙色の灯りが沖の方へ移動していく。
美佐は窓を閉めカーテンを引くと、もう一度布団に潜り込んだ。
大人の背丈ほどもあるガマ蛙が『黄金真珠』を売りにやって来た。真珠を5、6粒食べると、子どもが授かるという。コラーゲンたっぷりでコリコリしてそうな黄金の粒だった。「いくらするのか」と尋ねると、蛙は「300万円するが支払いは分割でいい」と言う。この話は眉唾物だと思い「すでに子どもがいるので必要ない」と、美佐は断った。
次に目覚めたのは6時半。カーテンの外はすでに明るそうだった。
黄金真珠を食べてみたらどうだったんだろうか。惜しいことをしたのかも。
夢の話なのに起きてから後悔しているのが、我ながら可笑しかった。

美佐が食堂に入ると、民宿の女将さんがテーブルに朝食を並べていた。
今日も天気がいいのか、東向きの窓から朝の光が差し込んでいる。
「あ、おはようさん。よう寝られたかね」
女将さんは日焼けした顔で、美佐に笑いかけた。
「主人は漁からまだもどってきてないけど。地元で捕れたこの魚、美味しいよ」
食卓には朝から豪勢に刺身が並べられている。
「今日はどこへ行くの」
「はぁ。どこってあまり決めてないのですけど」
美佐は椅子を引きながら、ぼんやりと答えた。
「大して観るところもない島だけんど」と言いつつも、女将さんは『ここ一番の推し』という勢いで「そんならぁ、ウチの裏山を昇ったところに祭り場があるんよ。そこへ行ってみ。そこからの海の見晴らしがまた最高や」と勧めた。
「ここら辺は昔『ガマグチガミ』という妖怪がいたって伝説があってな。今では祭りあげられて土地の守り神になっとるんよ。福寿に満ちた黄金の真珠を咥えていて、心を尽くして祈りを捧げ、真心を納める者にだけ、徳や福が授かるって言われとる」
今朝の夢の続きなんだろうか。美佐は内心驚いたが、女将さんは「ごゆっくりどうぞ」と美佐をちらっと見て、忙しそうに厨房へもどった。

確かにここは眺めがいい。島一番の高い場所なのか、海が360度見渡せる。
美佐は額に滲む汗をハンカチで拭き、大きく深呼吸をした。島の岸壁にあたる波の音が風に乗って聴こえてくる。
振り返ると、こんもりとした森のような藪が目に入った。どうもその奥に女将さんが言っていた祭り場があるらしい。美佐は藪の間に体を滑り込ませ、木の枝を払いながら進んだ。
急に視界が開けた先に大きな樹が立っていた。かなり古い樹らしく、幹は直径2メートルはある。美佐の目の高さ辺りに大きな洞(うろ)があった。
ぬらっと光るものが美佐の目に飛び込んできた。体長20センチくらいの茶褐色の大きなヒキガエルがいた。
ガマグチガミ? 美佐は目をこすった。
ヒキガエルは洞の中で目を閉じ静かに坐っている。呼吸に合わせて喉の辺りがひくひくと動いている。
ヒキガエルが口を開けると、何か光るものが見えた。
あの黄金真珠? 美佐は洞の中を覗き込み、ヒキガエルの口元を見つめる。
さらにヒキガエルが大きく口を開けた。口の中で確かに黄金色の珠が光っていた。
これが欲しい。子宮の奥から欲情に似た感覚が湧いてきたのを美佐は感じた。
欲しい、欲しい、欲しい。私も福寿のエネルギーが欲しい。
美佐は黄金を取ろうとヒキガエルの口の中へ両手を突っ込んだ。

日暮れ近くになっても、美佐は戻ってこなかった。
女将さんは美佐を探しに裏山へ上ったが、人の姿は見当たらない。大樹の洞に日没寸前の夕日が射しかかっているばかりだった。
「あのお客も餌食になったんやね。『心を尽くして祈る』と言ったのに」
女将さんは残念そうにため息をつくと、木をかき分け藪を出た。

(月刊ふみふみ vol.24 『妖怪』 初出)

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ふみふみ表紙 24 『妖怪』



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