感受性高い人が月見に愚痴を吐いたので月見はその反動で記事を吐く。

感受性が高い人は感情のブレ幅がでかいので感情的な肯定をされた(受け入れられた、認められた、分かち合えた)という経験が多く必要になる。と、ふと思った。

でもそれに対し、社会や身の回りでは感情をなるべく表に出さないようにするきらい(悪い傾向のこと)がある。あ、日本での場合ね。

そうなると、感受性の豊かな人は、人に認められようとして感情を抑える、あるいは押し殺すことを学ぶ。
感受性の高い人はその分、感情の肯定をされたいと感じているため、認められたいという欲求が強く、認められたいという欲求が強いため、相手の気に入る価値観に合わせてしまう。

ここでネックになるのが、感受性の高い人が「対象を決めてない」ということ。


「この人に認められたい!」=対象を取っている 

「この人にもあの人にもどの人のも、だれでもいいから」=対象を取ってない

つまりこういう事。

対象を取っている人は、その人との関係性の中で感情的、理性的な交流を通じ、自分や相手との違いを理解したり(だいたい喧嘩して気づく。理知的であれば、相手の言動により物事の捉え方の違いにより、自他の違いに気づき、受け入れることができる)
相手との共通点や相手との付き合い方を学んだりする。

そしてそれを自分の人格形成や、他の人との人間関係の築き方の参考にする。

いい感じだ。

対象を取ってない人は、何らかの原因で、飢餓状態に陥ったか、自己客観視(自分で自分の言動を振り返ること)による自己認識(自分で自分を知ること)ができていないか、あるいは他の要素で、感情的な肯定を多くの人に求めている。
対象を取っていない。相手を見ているようで、自分が相手にどういう印象を与えているか?という部分しか見ていない。つまり、本当の意味で相手を見ていない。となると、自分の欲求(この場合は分かち合いたい、認められたい、理解されたい、受け入れられたい、など)だけで動いているということになる。

そうすると、人の意見に振り回される。あの人はこういった、この人はこう言う、その人はまた違うことを言う!いったいどうしろっていうの!的なことになる。人の意見の前に自分の欲求に振り回されてる。
これが続くと、人間関係で疲れたり、疑心暗鬼になったり、不安や怒りに苛まれることになる。

ちなみに、不安や怒りの原因は自身の「分かち合いたい、認められたい、理解されたい、受け入れられたい」という欲求が満たされていないことからきている。
不安=もしかしたらこの世に自分の居場所はないかもしれない。

怒り=どうして自分を受け入れないんだ!こんなに相手に尽くしているのに!=割いた労力に対して、報酬、つまり感情の肯定による自己肯定感が足りない。

という感じになる。因縁食いになるから対象は絞った方がいい。

なので感受性の高い人は、最初は特定の人、この人!という人との付き合いの方を大事にした方がいい。で、特定の人(友だち、恋人、家族、親類縁者など)が増えてきたら、その中でも優先順位をつければいい。そっちの方が疲れない。世間(不特定多数)の意見はほぼ無視してもいい。

万人にいい顔しても無駄である。

この世には2:6:2の法則があるので。(2割は何があっても自分の味方を続けてくれる人:6割は自分の言動により、敵にも味方にもなる中立の人:残り2割はアンチ)


どうしてもいい顔したい人は2割に対してだけ親切にすればいい。誠心誠意をもって誠実に相手の悦びに尽くせば応えてくれる人達である。そうしているうちに6割のうちで味方になってくれる人も増える。アンチは無理。神様にだって悪魔というアンチがいるくらいなので人ごときではアンチをなくすのは無理。

味方、中立の人、アンチの見分け方はある程度の期間付き合わなければ分からない。

月見が人を見分けるポイントは「感じ方、考え方、欲求」

この人はどういうふうに感じるだろう、どういう考えがあるだろう、どういう欲求があるだろう。

これは長く付き合わなとわからない。

最初、優しい人と感じても、やさしさを演じて相手に取り入ってるだけ、とか。そういう人おるやん?

あとみんなが知らない事を理路整然と言って実は知識、情報の提示でしかない。そこに「統合に向かった自分なりの主義思想、考え」があるわけでも成果があるわけでもないって人。

大体そういう人って他人のウィークポイントをつつくのが上手い。「優しくできる人=優しい人」ではない。「知識が豊富な人=賢人」というわけでもない。

賢人のふりする人はともかくとして、優しさでウィークポイントつく人はとにかく善人のふりが上手い。

信頼を得る、ラポールを築く、人心掌握、大衆操作ということに特化している。信頼させて食い物にするってのが常套手段なので特化するのは当たり前か。なので、長く付き合っていかないとわからない。

よく使う手に「苦しみ、共感、ありふれた正義・正論」を利用するよね。体感そういうのが多い。これを利用する人すべてそうってわけではないけど。ソースは無いし。

その人にプランと成果があるなら話は別だけど。

やっぱりその人を長く見つめないとわからない。その人の本質は特に。

あと100%善人な人、完全無欠な人はいないということも知っておかないといけない。善人のふりするアンチは100%、もしくはそうなろうとしているふりをする。

要注意。その人の周りがその人の信者化してたらもうね。草も生えない。人心掌握お手の物だからねw

いずれにせよ、相手を長く見てればわかるんだけどもね。

話がズレたね。戻すね。

特定の人の話だったね。

特定の人もちゃんと選んだ方がいい。自分の心にしっくりくる人がいい。無理して合わせなくて済む人。
それから、甘えすぎないことも重要。甘えた分だけ成長しよう!という意思や意欲がないと甘えすぎてしまうので注意。甘えることで癒されたり、成長できたり、悦びにつながったら、自然と感謝の気持ちがでてくる。ちゃんとその気持ちを伝える。

意欲がない人が甘えると、慢心したり、ダメ人間になるので。

もし、健全な養育者(父、母など)が自分にいたとして、愛情を注いでくれた養育者に対する自分の態度を見れば一目瞭然だろう?そういうことだ。(特大ブーメラン)

ただ、感受性が高い人は良くしてくれた相手に恩返しがしたい!という気持ちが強すぎることもある。(感受性が高いので小さな事も自分の中で大きく捉えてしまう。これは良いことも悪いことも含めて)
強すぎるあまりに質にこだわり出す。相手がこれだけしてくれたのに自分はこれしか返せない!とか思う人もいる。

気負いすぎ。

自分の思いにとらわれすぎ。

とらわれすぎて逆に自己不全感に苛まれて自己肯定感を落とす結果になってる。

小さなことでいい。特別リソースを割かなくていい。
ちゃんと相手が喜んでくれたら、そういうサインを出してくれたらおk。そういう関係を続けていけばいいだけ。
無理しなくていい。ちゃんと相手の反応を見る。

量が大事。塵も積もれば山となる。ただし、無理のない範囲で。

ちなみに月見が好きなのは

ここまで読んで、こいつ何独りで語ってんの!?キモーー!とか思っちゃう人とか

漫画の単行本買って真っ先に表紙むいて本の裏見ちゃう人。なんか気に入った友達を家に招いていきなり服脱がしてニヤニヤしながら眺めてるだけって妄想ができて面白い。

余談だったね。じゃあ思ったこと書いたし終わるね。

またね。

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