公案:大力量の人

無門関第二十則
大力量の人なんによってか脚をもたげ起こさざる

「力のある者が、どうして立ちあがれないのか?」

私の一番好きな公案です

禅寺で偉そうに弟子たちを指導している管主のみなさんには
一番耳の痛い公案であり
偉そうに禅の公案の解説を書く方にも
一番飲み込みたくない公案であるため
私はまともな解説を目にしたことがありません

まず禅の公案の説明をすると
それは「とんちなぞなぞ」ではなく
命がけの問いかけです

無門関第一則 「犬に仏性ありや?」

この犬とは問いかける本人です

犬のように欲にまみれ本能のままに生きる私にも
悟りを得る仏性があるのでしょうか?

こういう命がけの問いかけです

無門関第二十則
大力量の人なんによってか脚をもたげ起こさざる

松源禅師が無門慧開禅師に問いかける

「あなたは自分は悟ったと言ったな?
 そして悟りを得た人間は
 常人の数万倍の力がある
 悟りがない人間には不可能な事でも
 何でも成せると言ったな?
 ならなんであなたは毎日座禅しかしないのだ?
 弟子たちに毎日偉そうに説教をたれるだけ
 一歩寺から出てみろ
 民衆は生きるのに苦しんでいる
 まともな治療を受けられない病人
 寝たきりになり家族から見捨てられる老人
 餓えて赤子に乳をやれない母親
 一方で権力をほしいままにする政治家
 私腹を肥やす商人たち
 あんたはなぜ立ち上がらない?
 寺にこもって弟子たちと座禅ごっこしていないで
 なぜ寺を出て世直しをしないんだ?
 なぜ苦しむ民衆を助けようとしないのだ?
 あなたはすごい力をもってるんだろ?」

こう言われた無門禅師は

「さすがは松源 はらわたを引き裂くような問いだ」
として
「こんな問いかけ誰が受けられるんだ」
と応じる
私から言えばとんだへっぴり腰ですね

「こんな問いにしれっと答えられる奴がいいたら
 俺が殴ってやる」

まあ周囲には無門禅師を信奉する弟子たちがいたわけだから
こんな苦しい切り返しで
ぎりぎり面子を保ったという感でしょうか
そこはさすがに無門禅師なのかも(笑)

それにしても松源禅師のこの問いは
「はらわたを引き裂くように」
本当に魂がこもっている
これはブーメランのように
自分にも返ってくる
命がけの覚悟がある問いかけですから

日本には空也上人のように
諸国巡礼に生涯をかけ
寺や道路、橋を普請し
民衆を助けた名僧も数多い

しかし禅僧の中には公案を「お決まりのクイズ」に堕し
この無門関第二十則にも
魂をかけて向き合わず
「お山の大将」的な
自己満足の信仰で得意になってる者が多いのかも
こういったら言い過ぎだろうか

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