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8月末に家族に起きた事

 まず最初に楽しい話では無いです

8月の終わりから中の人がネガティブな呟きが多くなりましたがその辺の理由です。本当に楽しく無いですが気持ちの整理もしたいので記録と決意表明を兼ねて書いておきます。

8月の27日土曜日のお昼頃に父が倒れました。

お昼ご飯を食べる用意の最中、座って納豆を練ってたら急にヨダレを垂らしながらふらふら〜と横倒しになったそうです。私は昼食はあまり家族と食べないのでその瞬間は見てませんので母から聞いた限りはそんな倒れ方だったようです。

ヨダレ垂らしてるのに気づいた母が直ぐにおかしいと駆け寄って膝枕のような形で頭を支えたので幸い、どこかに頭をぶつけるやら身体を打ち付けることは無かったので外傷は無し。

意識はあるもののどうも受け答えが不明瞭。去年同じ時期に熱中症で運ばれていたのでまた熱中症か?とひとまず疑い頭を冷やしながら検温するも平熱(どころか36.1でやや低い)
この時に頭を冷やしたのは正解だったか怪しいです。

本人は大丈夫大丈夫、と言うもの様子はおかしいに違いなく、救急車を呼ぶか検討。
トイレに行きたいと言い出したので母と支えてみるも、足に踏ん張りが効かずに自力で立てない。そもそも体に力が入らないらしい。
ここで支えて一度、起こしたのはもしかしたら良く無かった可能性が有ります。

これは熱中症じゃないと判断して救急要請。すぐにまた横たわらせて大人しくしているように言い聞かせるもの何を思ったのか、右手で何度も右足の靴下を脱ごうとする。その力だけは馬鹿力でした。トイレには到底行けないのでタオルを敷いて致し方なくそこで失禁。本人に排尿した意識があったかどうかは不明。

程なく救急隊が到着。
問診するもやはり応対がしどろもどろ。心拍を測る機械を外してしまったりと状況がよく分かっていない様子。あれこれやりとりと血糖値の測定などをすると血圧が190で異常値。途中で吐き気も出始めたように見えましたがそれを見て救急隊の方は急ぎましょうと担架に固定して輸送。担架での固定にも理解が追いついていないようで外そうとする素振り有り。そのままともかく搬送。付き添いは母。私はそこそこ重い知的障害のある姉を一人には出来ないので待機。搬送されるまで大体、30分か、もっと早かったと思います。

搬送先から母の連絡が入り、脳出血で即手術との判断のため家族の同意の確認ために一応、私に電話したとの事。ほっといても死ぬわけなので同意して再び待機。検査やらをしないと手術も始まらないようで母は入院や手術内容の説明を受けたりしつつ現場待機。

手術が始まるとコロナの事もあって病院での待機が出来ないとの事で母帰宅。午後1時半頃からの騒ぎでしたが帰宅して来たのは午後5時半の夕方でした。その後、手術無事終了の病院からの連絡が来たのは7時半過ぎ。搬送されて2時間半程経過した4時頃から始まり、およそ3時間の手術だったようです。

コロナの感染この第七波の最中、すんなり搬送先が決まったのは運が良かったのかもしれないですね。実態はわかりませんが。(術前の検査にはコロナの検査も有、陰性。)

正直なところ詳しく状態が分かりませんが右後頭部に出血だそうです。確定の後遺症は左半身麻痺。その他はまだはっきりしません。

姉が既に要介護なため、父を自宅で介護するのは物理的に不可能です。ですが現在の制度だと入院日数に上限もあり一定日数を経過すると強制的に転院となります。今の病院からリハビリメインの病院に移るのは確定していますがその後が何も分からない状態です。少なくとも自宅では負いきれない。父は帰宅したいでしょうけど。

二週間前後経ちますがコロナの影響と姉の予定が入っていて面会に行けないため詳しい状態は結局まだ分からずじまい。病院に一度、問い合わせましたが「昨日の夜から嚥下訓練をし始めた。」そうです。9月7日から…発症後、大分経ってから…。かつ、発話も相変わらずあまりないようで名前を確認すると名乗ることは出来るようです。自分が誰かは分かってはいる。が、会話がどうやら難しいのかな…。自宅に帰ってくるのはもう無理かもしれない。リハビリ特化の病院に転院後にどこかに入所してもらう方向になりそうだなと母と相談しています。

 恐らくは去年、熱中症で倒れたのが悪い意味で発症を後押ししてしまったんじゃないかなあと思います。熱中症の後からどこかうっかりが増えたりしていたので一種前兆だったのかもしれないです。倒れる数日前には雨戸を閉めに行って窓を開けっぱなしにしてそのまま忘れる。なんて事も有りました。熱中症後からどこかおかしいな、というのを「指摘すると逆切れされるだろうからなあ。」とあまり言わなかったのは今となっては悪手でしたね。早く指摘して検査してもらっていたら何か違ったかもしれない、と。もう何を想定しても遅いんですが…。
もし身近な方でなんかちょっと行動がいつもと違っておかしいぞ…?なんてのを感じたら一声かけてあげるといいかもしれません。ちょっとした物忘れが前より多いとかそんな些細な事から。あと熱中症は色んな意味でダメージが大きいので本当に気を付けてください。私自身も成ったことがあるんですが非常に体感辛いし回復も遅いし良い事がなんもないです。

 父はわりかし健康オタクで年をとってからは毎日運動はしていたし食事もある程度、気を使っていたしお酒も辞めていたんですが…。何やってもダメな時は駄目なんだなという。最も、若いころに風邪薬と酒を一緒に飲んだりする頓珍漢だったんでそういうのが積もり積もってるんだろうなあと思います。家族や医者が止めても辞めないんですよ、酒癖の悪い人って言うのは。
実は倒れる一週間ほど前、かかりつけ医に健康診断で「ちょっと血圧が高いめだけど薬を飲むほどではないかな。」と言われたばかりでした。薬を飲むほどではないスレスレを数年キープしていただけなのかもしれないですね。担当の看護師さんには「脳出血系の患者さんは、健康診断ではそんなに血圧高くなかった。とおっしゃる方多いんですよ。」と言われました。高血圧はサイレントキラーという異名、嘘偽りないですね。

恥ずかしながら私の方にもメンタルや体力の無さで定職に就いていないと言う問題があるのでこちらも前進させねば。

脳出血だと分かった時に「このまま死んでしまえ。」と思えたらラクだったんだろうなあ…と思います。幼少期から父には怒鳴られる殴られる、何をやっても否定されるで物凄い怨みが溜まってるんです。小学生くらいの頃に寝てる父を刺そうと思ったのは一度や二度ではないくらい。なのに死んでしまえと思えなかった。これは個人差ですが私はなんだかんだ父は慕ってはいたんですよね。大嫌いであると同時に大好きでもあった。母のほうも散々な目に遭わされてきたのに「命は有ってよかった。」と思ったそうです。見捨てられたらラクなんでしょうけどダメでした。

現状できることが無さ過ぎて細々と昼間に母と手続きの準備をしたり、今後のための下調べをしたりして夜は母共々、何もしないようにしています。リハビリ病院に転院してからが本番な気がします…。私自身の事も父が転院が確定して落ち着いたらやって行こうかなと。どちらかと父のほうは病院にお願いすればある程度なんとかなるので私自身の問題のほうが重大ですね。

幸い、姉は父が帰ってこないのを最初の頃こそ不思議そうにしていましたが詳しくは分からないものの「帰ってこられないらしい。」と納得はしてくれたようです。自閉傾向もあるので帰ってくるはずの人が帰ってこない、と「いつ帰ってくるのか?」を問い続けてくるので対応が結構辛いんですが、一週間ほどして何となく現状には納得してくれた様子。

そんな状態ですが変わらずゲームは触っています。気分転換の時間は欲しい。14は年内まではログインできる状態ではあるので夜にフラフラしてることはまだ多いと思います。今後どうなるかは全然、分からないですが。

と、現在そんな状況に居ります。記録と気持ちの整理を兼ねて今後もこの手の文章をあげる事もあるし、twitterでもちょいちょい弱音を吐いたりすると思います。見てて気が滅入る事もあると思うのでそっとブロックミュートなんかをして頂ければ幸いです。

記録一回目:9月8日
(刹と新月)

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