最後の12月23日
秋晴の朝、駅までを辿る足取りはいささか重い。
気づけば金木犀の薫りは芥子色の花弁といっしょに散っていて、なんだかもの足りないような、ものさびしいような、天に反して心には澱が停滞している。
五覚に訴える“なにか”がないかと目を彷徨わせるけれど、どうにも世界は色あせているような、そんな気がする今日この頃だ。
結局、肌の熱を奪うべくつきまとう風に首を竦めて足早に歩を進める背広がちらほら。そしてびゅんびゅんと通り過ぎていく鉄の塊だけが目の端に見えるだけ。
(もうすぐ、冬だなぁ)
ふと、思い出す。
もうそろそろ街は赤と緑の閃光に呑まれるはず。その家族の日とも恋人の日とも呼べるその日の手前。あるべき祝日は、来年から失くなるのだなぁと。
平成生まれの私には馴染み深い、12月23日という祝日は失われてしまうのだ。あの、23日の前日の終業式。そわそわとどこか浮いた空気に呑まれた教室。
そんな思い出も、元号が変わるのと一緒に消え去ってしまう。それは、とても寂しいような、でも、なんとなく大人になれたような、そんな気がする。
街は変わらず、プカプカと浮いている。目に痛いくらいの色を灯して、人々を呑み込んでいく。
そうしてもらう側から与える側となったオトナの私も、何を買おうかととイルミネーションをくぐっていくのだ。
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