嘘日記1 : 透過―ピラミッド

「やっぱ比喩ですよ」
 頬杖をつきながら、のんびりした声で後輩がいう。
「比喩、ねえ」
 俺ものんびりした声で応じる。
 二限後の教室。俺は次週のコラムに書く内容を固めるべく、後輩と机を挟んで向かい合っていた。
 俺たちは「文章力を鍛える」みたいなテーマの自由講義を取っていて、今はそれが終わったところだ。
 「コラム」とは学生に課題として出される文章のことだ。この講義では、提出されたコラムについて、学生同士で考察や論評を行う。そうして文章の構成力・表現力と批判的な視点を同時に養うのが講義全体の目的らしい。
 ちなみに、コラムの形式に制限はない。小説、詩、随筆、論説文———各々が個性を存分に活かしてコラムを仕上げる。俺は主に短編の小説を書き、後輩は詩作をメインにしている。ふだんの適当な言動にそぐわない、繊細な心情をつづった詩だ。
 「なんすかその反応」
 俺の返事が気に入らなかったのか、後輩がジト目で見つめてくる。
「だいたい、『ピラミッド』ってお題を前にして、モノホンのピラミッドを創作に生かすのは無理ですよ。基礎知識すら危ういのに」
 すべての回で、教授からコラムで扱うべきテーマが個別に指定される。今は、次週のテーマとして提示された「ピラミッド」をどうやってコラムに反映させるかを話し合っていた。
「言いたいことは分かるよ。食物連鎖とか、学内カーストとか、そういう階層構造になぞらえた方が書きやすいってことだろ? でも……」
「なんか引っかかることでもあるんすか?」
 訝しげに視線を寄せたあと、「あ」と呟く後輩。その顔に、わざとらしい憐れみの色が浮かぶ。
「すみません、辛かったですよね。カースト最底辺の中高じだ」
「思い出させんな。そういうお前はカーストのどこなんだよ」
 不機嫌な顔をつくって睨むと、後輩は「くはは」と笑ってから、少しの間考え込むそぶりを見せた。
「私? ……ええと、ピラミッドの隣で、ででーんと寝そべってるスフィンクスってとこですかね」
「意味わからん」
 俺のため息を聞いて、彼女がまた楽しそうに笑い声を漏らす。ふだんから変わった言動が多いが、それでいてどこか憎めないところがある。
「……で、結局、比喩を使うことのなにが不満なんですか」
「いや、不満って程じゃないんだが、書きやすいだけに他の人と被らないか不安なんだよ」
「いいじゃないすか別に被ったって。……じゃあ、こんなのはどうです?」
 後輩の目がすっと細くなる。同時に、声のトーンが下がった。
「食物連鎖にしろ、カースト制にしろ、共通点があります。それは、『全員がピラミッドの中にいる』ということです。強者から弱者まで、全ての存在がこの三角錐のなかに閉じ込められてしまう。つまり、ピラミッドはひとつの世界なんです」
 饒舌に語りながら、ノートの上端に小さな三角錐を描く。
「じゃあ、ピラミッドの外側にはなにがあるんでしょう。私がいま描いたピラミッドの中にもひとつの世界があるとすれば、私と先輩は『外側』にいることになりますね。私はこのピラミッドの形を自由に変えることができ、消してしまうこともできる」
「なにが……言いたいんだ?」
 俺は、急変した彼女の語り口に圧倒されていた。
「要するに、ピラミッドには内部の秩序以外にもうひとつの階層構造があるんですよ。内と外。で、内側にいる人には、外側のことが分からないんです。もしかしたらここも、誰かのピラミッドの中かも———」
 俺は弾かれたように周囲を見回した。二人きりの教室が、やたらと広く感じられた。鼓動が早くなる。ふいに頼りない感覚に襲われて、思わずTシャツの胸元をつかんだ。
 彼女はそんな俺をじっと黙って眺めていたが、やがて耐えきれなくなったようにぷっと吹き出した。
「……なんちゃって。怖がらせちゃいました? 冗談のつもりだったんですけど、派手にびびっちゃって可愛いなあ」
「いやマジでびびったって。お前いつもそういうところあるからさあ」
「へへ、ごめんなさい。さ、続きのお話はまた後にして、学食に行きましょうか」
 いつもの無邪気な笑みを浮かべて、後輩がバッグを肩にかける。ファスナーの部分で、なにかが揺れた。
 スフィンクスのキーホルダーだった。

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