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【つながる旅行記#139】ぷらっとで知る智恵子抄と高村光太郎
前回はまさかの気づいたら秋田県に入っていたという驚きの展開だったが、今回はまたもや知識補充だ。
せっかくいくつも施設を用意してくれているのだから見なければ。
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まずはジオラマがお出迎え。
さっき見た桟橋と遊覧船との位置関係がよく分かる。
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そしてヒメマスの実物が居た。
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おお……!
なんだか小さくてかわいい見た目だ。
実はヒメマスは陸封型の「紅鮭」である。
海に出て豊富な栄養を得れば、あの凄まじい見た目の紅鮭になる可能性を秘めているのだ。
そして陸封型というのは、湖生活が長くなって海に戻れなくなった魚のこと。
生まれた場所を離れてビッグになって戻ってくるという不思議な習性がサケにはあるが、十和田湖のヒメマスはずっとここで暮らすわけだ。
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展示を見ると、なんだか思ってた以上に十和田湖にはいろんな魚がいるらしい。
わざわざヒメマスを持ってきてなんとか増やした話を聞いていたので、「あれは何だったんだ…?」という感想が正直生まれるわけだが、つまりあの後にも色々放流したということである。
まあヒメマスだけってのも変かもしれないし……?
Ⅲ章 十和田湖に生息する生物
https://www.fish-jfrca.jp/02/pdf/lake/towada/_3.pdf
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展示を見ると、なんだかやけにプッシュされている裸婦像がある。
十和田湖において重要なものらしい。
では二階へ行こう。
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どうやら先程の銅像の製作者が、この高村光太郎という人のようだ。
高村光太郎……。
聞いたことあるような、ないような……?
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「智恵子抄」……。
・・・
これ漫画で読んだことあるぞ!?
そう、昔Kindle Unlimited対象だった頃、この漫画を読んだ覚えがある。
自分の記憶力はあんまり当てにならないが、なんだか高村光太郎が金銭的に余裕があったことと、妻の智恵子をめっちゃ愛していたことは覚えている。
では少しだけ智恵子と高村光太郎について語ろう……
智恵子はもともと体と心が強い人ではなかった。
高村光太郎と出会い、東京で同棲を始めてからも、年に3~4ヶ月は田舎に帰らなければ体が持たなかったくらいには、東京の生活に馴染めなかった。
小詩「あどけない話」で、智恵子の様子について高村光太郎はこう語っている。
智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切つても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながらいふ。
阿多多羅山の山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。
常に田舎に思いを馳せていた智恵子。
やがて智恵子は段々と精神を病み、最後には肺結核で亡くなってしまう。
智恵子を失った高村光太郎は、その悲しみや戦争協力をしてしまった自分への後悔なども重なり、岩手の山奥で過酷な蟄居生活に入る。
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厳冬期にはマイナス20℃になる過酷な環境で、自らを罰するように彫刻を作ることすら封印して7年。
あるとき突如青森県から製作依頼が届き、あれやこれやで出来上がったのが、十和田湖の「乙女の像」(通称)というわけだ。
そしてこれが高村光太郎の最後の作品となる。
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果たしてこの女性は智恵子なのか。
高村光太郎は、「智恵子だという人があってもいいし、そうでないという人があってもいい。見る人が決めればいい」と答えたそうだ。
な、なんという人生の詰まった作品だろうか……!!
正直他にも十和田開発の三功労者の大町桂月、武田千代三郎、小笠原耕一について解説したいところではあるが、それはまたの機会にしよう。
武田千代三郎なんて、33歳からそこら中で県知事やってるわ、「駅伝競争」の命名者だったりするわで、掘ったらかなり色々出てきそうだけど。
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とにもかくにも、あの銅像は絶対に見に行かなければならないだろう。
下にあったジオラマを見るに、ここから歩いていける距離にありそうだ。
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今までは銅像になんてあんまり興味が湧かなかったが、こうして由来を知ると断然違って見えてくるものだ。
やはり知識は見える世界を変えてくれる。
できるだけ触れて、吸収していきたいものだ。
……まあ博物館行っても1割吸収できれば良い方なのが自分だけども。
か、回数を増やせばなんとかなるって信じてるから……!
そんな感じで次回へ続く…
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