人付き合いのコツ。自分の領域・他人の領域をきちんと知ることが大事と思ってます。

おはようございます。

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本日は無料記事!


書くのが難しいなーと思ってなかなか書けなかったことが『領域』の話です。


私はよく自分の領域の話を書きます


その領域って、うまく伝わらないのだなーとブログを書いていただくコメントを読んで思うことがよくあります

人付き合いが上手くいくコツ

人付き合いが辛くならず、楽しめるコツ

人にとても優しくしてもらえるコツ


これって、個人の領域を大事にすることだと私は思っております


私は昔、精神的におかしかったです

それは自分と他人との境界がわかっていなかったから故の病気。

私は領域と呼びますが、境界でもいいのでしょう

人と自分との境界

その境界を越えて、相手の領域に踏み込むから人間関係が上手くいかないし、自分がしんどい思いをします

そして嫌われます

境界を守って、相手の領域に干渉しない。

これをするだけで、気持ちもとても楽になりますし、人間関係が上手くいきます


さてその領域。


自分で自由にできることは自分の領域です。


なので同じように相手が自由にできることは相手の領域です。


そこに踏み込んで、言うことを聞かせようとするから、しんどいです

自分も相手も嫌な思いをして、相手から嫌われる

以前セスキ炭酸ソーダでのお洗濯で、家族と意見の合わない方の質問にお返事しました




このときは、洗う人の自由にして良いとお返事しました


そうしたら家族にこうしてほしいと言ってしまうという方からコメントをいただきました。


私は要望を言うのは境界を超えることにはならないと思ってます


なのでこうしてほしいと言うのは、普通のことです


この場合だと「セスキではなく洗濯用の合成洗剤で洗濯してほしい」


これは相手の領域に踏み込んでいるわけではないと私は思ってます


それでYESなのかNOなのか。

そのお返事は相手の自由です


NOと言われているのに口を出すのがおかしいと私は書いたつもりでした。

質問者さんは、もめていると書いていたので、NOと言っても口を出してくるのだなー


不思議だなーって思ったんです

要望を言うのと、口を出すのは違います

要望は、自分の希望を良い、そうするかどうかは相手の判断に任せます


口を出すというのはNOと言われているのに、するように強要することです


要望を言って家族が聞いてくれるのであれば、それは領域に踏み込んだことにはならないのではないでしょうか


同じように、何かの口出しもそうです。


最初に言ってくる分には、私はおかしいと思いません

普通のことです

でもこちらの意見をきちんと伝えているのに、まだ自分の正しさを押し通そうとするのはおかしいと思います

例えば、最近よく見るのが断捨離

親の家の断捨離を見ていると、よく領域に踏み込みすぎだなー。私は気を付けようと思います


子どもが、高齢の親の家を片付けようとする


最近はよく雑誌やテレビでも取り上げられるネタかと思います

そのとき、片付けようと提案するのは、別に構いません

親のことを思っての優しさですよね


でも親が一切物を捨てたくないと言っているのに、無理に捨てさせようとする場面をよく見ます


こうなってくると相手の領域に踏み込む行為

子どもの方がおかしいと思います


もし一緒に住んでいるのであれば、共用部分に口を出すのはわかります。


でもまったく住んでいないのに、親の家を片付けようとやっきになるのは、おかしいなーって思います


といいながら、私も20代前半のころはそれをやってました。

断捨離の提案をするわけではありませんが、実家に帰った時に、賞味期限切れの食べ物をせっせと食べたり

あきらかな不用品を先に使うようにしたりしてました

でも親は親の考えでしているので、そんなことしても一向に物は減りません

私が疲れただけでした


相手の領域に踏み込んで、無理に自分の正義を押し付けるとこうなります


なので放置。

放置すると面白いことが起きました。

母が私に賞味期限切れの食品をくれるようになり、最近はそれもなくなりました

つまり適量を買うようになったんです。


やっぱり自分が良いと思って行動しないと意味がないんだなーと思った出来事でした。


なので自分の意見や要望を言うけれど、押し付けない


これが相手の領域を守ることだと思ってます


なので反対に、自分の領域を大事にするということは、相手の意見や世間の正しさは無視して、自分の思ったこと、したいことを大事にするということです


自分で決めて、自分で責任を取る。


自分で責任をとるということは、リカバリーするということではありません

できるならしたら良いですよね

でもできないことだってあります

例えば、もう製造していないし、どこにも売っていないお皿を割ってしまったら、どうにもできません


なのでリカバリーできないことだって当然あります


責任をとるということは、やってしまったことをきちんと私がやりましたと認めることです

つまり人のせいにしない。

世の中のせいにしない。

政治のせいにしない。


起きた出来事みんな自分のした結果。


それを認めることを責任をとることだと私は思ってます


だから認めるだけ。

自分でしたことは、どんな結果になっても受け入れる覚悟をもって、自分で選ぶためには、自分で決めなくてはいけません

なので他人の意見に何も考えず従ってはいけないと思ってます

自分で考えず他人の意見を自動的に採用するということは、他人が自分の領域に侵略することを認めたことになります


それは自分が苦しいです

人付き合いがしんどい人って、そうやって侵略を許しているからしんどい場合があるなーって思ってます


他人の意見は他人の意見

例え世界のみんなに正しいことでも、私には間違いだってことだってあります

だから他人の意見に従うときでも、きちんと自分がするに置き換えないといけません


というより、本当はみんな自分で選んでいるんです

なのに自分が選んでいると自覚していないから、人のせいにするんです

自分で選んで、好きにしているのに、他人に侵略されたって怒っている

めちゃくちゃ理不尽な人になっております


セスキ洗濯で例えますと

家族がセスキ洗濯はやめて、合成洗剤で洗ってほしいと言ってきました

もし、セスキで洗う快適さより、家族と摩擦が起きることが嫌で合成洗剤に戻したとしたら、それも私が選んだことです

自分が快適な方を選んだんです


他人の言うことを聞いているようで、きちんと自分で選んでいる


他人ともめるのが嫌だから、

めんどくさいから

そんな理由で自動的に他人の意見を聞いて、そして結果が間違っていたら自分で責任を取らず、他人のせいにする


こういう人が現代日本には多いなーとは思います


なので先日の記事


年金手帳を捨てた話です




国は捨てないでと言っているというのをコメントでいただきました



もう捨ててしまったし、私はそのコメントを読んでも、やっぱり何も思いません

もし先に国が捨てないでと言っているというのを知っていても、捨てました


だって年金手帳をもらってから、使ったことがありません。


要らないなーと思うので、捨てます


国が捨てないでというのは、自由です。


でも家に置いておくかどうかは、私の自由です。


それで困ったことが起きても、自分でやったのだからと思うだけです


誰かのせいにもしません


反対に、国が捨てないでと言っているからとっておいて、何十年も嫌な気持ちを味わったすえ、一切使わなかったとき


国は何も補償をしてくれません

責任もとってはくれないでしょう

でも国の言うことを聞いてたら、国が悪いと人のせいにしてしまうかもしれません


いくら領域、境界のことは頭に入っていても、人間ってそんなコンピューターのように割り切れません


人のせいにしてしまうことだって当然あります

それはそれで良い


けど、少ない方が幸せです


だから何事も自分で決めて、自分の思う通りにする


なので正直、私は殺人だろうが窃盗だろうが犯罪行為も好きにしたら良いと思ってます


私に害がなければご自由にどうぞって気持ちです


ただ、罰則があるし、捕まらなくても普通の生活、普通の精神状態でいられなくなって、しんどいでしょう


だから私はしたくありませんし、人に意見を求められたら、しない方が良いよとは言います


でも罰則覚悟でするのであれば、そして私に関係ないところでするのであれば、もう好きにしたら良いと思います


きちんと捜査して取り締まったり、裁判したり

あとは警察や裁判官や弁護士や、そういう職種の人にお任せです



変に正義感をもつから、加害者家族へのいじめとか、冤罪なのにひどい目に合うとか起こるのだと思います


もし本当にそういうのが許せなくて取り締まりたいのであれば、そういう仕事に就くべきです


そうじゃないのに、正義の味方気取りはおかしいなーとも思います


私は犯罪は単純に自分がしたくないからしないだけ。

罰則などもそうですけど、もっと楽で手っ取り早い方法があるので、そっちをするのが先だと思うからです


全部、自分で決める

自分で選ぶ。


そうやって暮らしているから、人付き合いが楽しいです


だって相手の意見を聞く必要はありませんから。


人付き合いがしんどいのって、自分の自由にできない苦しさも1つの要因でしょう


でも自分で決めているって、めちゃくちゃ自由。


人といても自由でいられるので、人付き合いがしんどくありません


自分の自由な上で、もちろんすり合わせや妥協はあります

でもその合わせることも、譲れないくらい大事なことや、とても合わせるとしんどくなることは、自分を貫き通せばいいんです

そしてどうでも良いことを合わせてあげれば良い


例えば、私は化粧水にあんまりこだわりがありません。

買うならこれっていうのがありますが、家族が他のブランドを使っていてそれに合わせるのは平気です

だからもし一緒に暮らしていたのなら親のに合わせるでしょう

こういうのは家族共用の方が家がすっきりしますからね。

でもクレンジングは譲れません。

親はメイクをしないのでクレンジングを使いませんが、もしメイクをする親だったとして。

合わせないで、私のを使ってもらうか

お互いが好きなのを買ってお風呂に置くか

そんな風になると思います

こんな感じで、どうでも良いことは合わせて、譲れない事はすり合わせていく

そのためにも意見や要望を言うのは大事だと思います


従わせようではなく、私はこうしたい。こうするのが快適。こうするのが幸せ


お互いが納得できるちょうど良いを探るためなので、関係のある話での意見は大歓迎だし、大事なことだと思います


関係ないことでは、やっぱり不思議です


会話として、雑談で言うのは普通です。

でないと話題なんてなくなりますから


そうではなく、自分が絶対的に正しくて、そうしないのなんておかしい、だから従いなさいよという勢いで言ってくる人は不思議だなーと思います


例えば、休みの日に遊びに行かないの?と質問してくること自体は、普通のことです


でも遊びに行かないなんて、おかしい。出かけなさいよと言ってきたらおかしいよなーって思ってます


まあ、私はそういうことを言う人をどうこうしようというのは無いので、ただただ離れるだけです


おかしいから止めるようにというのは、相手の領域に踏み込むことです

私が私の領域でできることは、関わらないようにすることですので、そちらをします


そして関わらないようにと言うのは、薄い反応をしたり、自分からプライベートな話題を振らないといった程度で、普通には付き合うと思いますよ。


積極的にかかわらず、最低限のかかわりにするといったイメージです。


領域の話は、文字にすると難しいなーと思いながらも、ずーっと書きたい話題でしたので記事にできてよかったです。


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