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母親との関係から気づいた「親子の自立」

私はいわゆる核家族で育ちました。両親に妹が一人。母は親戚づきあいがあまりなく、いとこたちともなかなか会えませんでした。
結婚までは実家で気ままに過ごしました。しかし結婚後、出産のため実家に戻ると、残った家族での生活リズムができていました。
実家とはいえ気遣いが必要で、まるで別の家で過ごしている感じだったのです。

無事に子どもが誕生し、実家からわが家に帰り、夫と三人暮らしが始まりました。
夫が仕事に行くと赤ちゃんと二人っきりですが、実家にいるような気遣いは減り、しばらくは子育てに集中することができました。

その後、私を悩ませたのは娘の公園デビューでした。
同級生ママは5人ほど。娘は、3月生まれで学年の中では一番最後。身体も小さく、アドバイスをいただいても、気が重くなることが多かったのです。

少々息苦しさを感じていたある日、実家の母親から電話がありました。私が結婚で遠くに住むことになったことに対して、不満をぶつけられたのです。
母親にしてみたら自分の老後が不安になって、娘にその気持ちを伝えたいだけだったのでしょうも。しかし、私自身は「そんなことを言われても困る」という気持ちになりました。

それまでは、私は子育てに自分の時間すべてを費やすそうと思っていたのですが、母の不満を聞きながら、頑張り過ぎると、逆に子どもを不自由にするのではないかと感じました。

時期は1990年代で中東情勢は不安定で、21世紀の世界情勢は不確実性が高いと言われていました。
自分(親)がいなくても、子どもは生きていかなくてはならない。子どもの自立を応援できるような親子関係を作っていきたい。
そして、子どもに依存しないよう、子育てしながらも自分のやりたいことをやろう!
そう思ったのです。

この出来事がターニングポイントになり、私は子育てに対する考え方を変えることになりました。
この時の経験が今の活動につながっています。

その後も、家事全般も不得意でもあり、お庭や公園では、いつも小さくなっていました。
ただ、ひとつ学年が離れたのお子様をお持ちのお母様とは、気が合って、励まされ、何とか過ごすことができました。

親子二人三脚の中学受験で「子育て」への思いが広がる

そして、その後のターニングポイントは、娘の中学受験です。
私自身が中学受験に失敗して、結局、公立中学校に進学したことから、子どもの中学受験には、積極的ではありませんでした。

むしろ、小学校のうちはのびのび育て、中学受験をさせるつもりはありませんでした。

しかし、時は、ゆとり教育。
私が仕事を持っていたこともあり、放課後の習い事のひとつとして娘を塾に通わせるという選択をすることに。
親子で塾選びから試行錯誤を繰り返して、考えた末、中学受験をすることに。無事に合格することができ、私立中学に通わせることになりました。
思ってもいなかったまさかの展開でしたが、この出来事も結果的に親子で世界が広がることになりました。

娘が学校に通い始めると、公立中学と私立中学の教育の内容に違いがあることがわかりました。
さらには、わが子の幸せは、よき仲間と 共に生まれることも実感しました。
そのためには、自分の子どもだけでなく、地域をはじめより多くの子どもたちのために行動することを決意しました。

そして、こども会の会長を引き受けたことをきっかけに、地域のこどもセンターの運営に関わることにも。
その中で、私が理想のひとつとしている「子どもの考えたことを、大人が手助けしながら実現する」ことを目指す「こども運営委員会」を作ることができました。
また、子どもたちを見守るように心がけPTA活動や部活で応援してきました。

その結果、私の 2人の子は高校の部活において、部長、主将としてリーダー力を発揮しました。
進路についても自ら決断し、長女は東北大学理学部化学科、長男は東京大学理科 Ⅱ類へ進学しました。

日本の子どもに世界で活躍してほしい子育てママをサポートする「子どもの運と才能を伸ばすママ養成塾」

もうひとつ大切なことがあります。
 
私は広島出身ということもあり、子どものころから戦争について考えてきました。一般市民として「戦争反対」の声を世代や国を超えて広く伝えたいとも思っています。


そんな思いから、子どもが中学生の頃から、戦争時代を生きた人と小学生の交流の場を作る活動をしたいと思いました。しかし、実際には、住んでいた市のボランティア活動募集で「市民平和のつどい」実行委員になり、市民の皆様に平和学習のイベントの立案・企画実行に参加することが精一杯でした。

結局、わが子の子育てと両親の介護に関心が集中してしまい、中途半端に終わってしまい、心残りになっていました。

そして、時を経て、子どもたちがしっかりと、勉強などの課題に取り組み結果を出してくれました。
すでに自立して私がいなくてもしっかり生きてくれています。しかも、親である私を助けてくれています。
私自身がやりたかったことをできる環境になっているのです。

これは、もう一度、神様がチャンスをくれたのではないかと思うのです。

このチャンスを生かして、今度は、日本の子どもたちが世界の中央に出て行く場をつくりたいと考えています。
その足がかりが、「子どもの運と才能を伸ばすママ養成塾」です。

教科書無償化も原水爆禁止運動も、母親たちの運動から始まりました。
子どもたちのよりよい未来をつくるには、親の理解とサポートは不可欠です。
そのためには、まずは、お母様自身がよりよく生きることが大切。
子育てに悩めるお母様たちと一緒に学び、サポートをさせていただきます。

ご興味のある方、フォローやご紹介いただけると嬉しいです。
子育てに関して悩みのある方、ひとりでも多くの方にお届けできれば幸いです。


どうぞよろしくお願いいたします。感謝。


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