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『スーツ=軍服⁉』(改訂版)第69回

『スーツ=軍服⁉』(改訂版)連載69回 辻元よしふみ、辻元玲子
 
 
⑥流行色と色彩の話

流行色は、かつては王様が、今では業界団体が決める

春めいてくると、黒っぽい服が片づけられ、明るい色彩の服が店頭に並ぶ。ところで、今日、その年の流行色というものは、なんとなく決まるものではない。
一九六三年に日本やフランス、イタリアなどの服飾業界が国際流行色委員会(インターカラー)を設立し、国際的な方向を決めるようになった。日本では、日本流行色協会(JAFCA)が同委員会に加盟しており、会員企業に情報を発信している。ただし、これらの団体の提案は「今年は赤」とか「来年は青」などと単色を指定するものではなく、幅の広い数色を選択する。
しかも、二年先の色を決めるため、実際にその候補の中からどの色が流行するか、というのは、その年にならないと分からないようだ。二〇〇〇年以後ではブルーやパープル、赤やマジェンタ、そしてグリーンなどが流行しているようだ。
しかし、こういう国際組織が出来る前は、流行色はどこで決まっていたのか、といえば、それはやはり王様や貴族の好み、そして軍隊だった。
たとえば、今でも英国の近衛兵が着ている赤色。あれは英国が古来、赤色の染料の元となるカイガラムシの産地のために生まれた。アブラムシの仲間で、ローマ時代のブリタニア属州(当時の英国)はローマ皇帝に染料を献上していた。一六四五年、清教徒革命のさなか、オリヴァー・クロムウェルのニューモデル軍が赤色を採用し、これを機に英国軍はこの色を軍服の統一色に採用。炎のように赤く目立ち、貴重な色を使った軍装は一世を風靡した。
一方、フランス海軍は一六六九年に海を思わせる青い軍服を採用。これに続き、英国海軍は一七四八年になって濃紺の制服を採用した。英国がインドを支配下に置き、インディゴ染料が手に入りやすくなったのが理由だが、この色はネイビーブルーと呼ばれ、以後、紳士服の基本色のひとつとして定着した。
インディゴよりもっと青みの強い色が、一七〇六年にプロイセン王国で開発され、プルシャン・ブルー(プロイセンの青)として有名になり、同国の軍服に採用された。フリードリヒ大王の活躍で、一躍、欧州全体で流行色となる。
イタリア王国の統一戦争では、一八五九年のマジェンタの戦いで、アルジェリア人の外人部隊であるズアーブ兵が、フランス軍の一翼を担って奮戦した。彼らの民族衣装である、オレンジがかった赤色が非常に強烈な印象を残し、「マジェンタ色」として名を残すことになった。
グリーンをポピュラーにしたのはロシア軍である。各国が軍隊の制服の色を統一し始めた十八世紀初め、ピョートル大帝は他国がどこも採用していない緑を選択、ロシア皇帝(ツァー)がお気に入りの色として「ツァーリ・グリーン」として著名になった。現代のロシア軍の儀仗兵などは今でもこの色を使用している。
流行色の決定権が、王侯や軍人たちにあった時代からすれば、服飾団体が協議で決め、消費者が選択できるようになった今日は、民主的な時代といえるのかもしれない。

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