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『スーツ=軍服⁉』(改訂版)第60回

『スーツ=軍服⁉』(改訂版)連載60回 辻元よしふみ、辻元玲子
 
レジメントが最高の編成だった
さて、前回からの続きである。軍隊の階級の歴史だ。
ジェネラル(総大将)は王様本人しかなれないのだから、実際に十八世紀ごろの軍隊で最も権威があるのは、レジメントの指揮官である連隊長=コロネルだった。そして、軍隊の中で最も権威ある編成も、レジメント(連隊)ということになった。連隊の指揮官である連隊長は、おおむねどの時代、どこの国でも大佐クラスが務めることになっている。日本の陸上自衛隊でも、大佐に当たる1等陸佐、つまり1佐が務めている。
だから,今でも英国などでは「名誉連隊長」という制度があって、特定の連隊の実際の連隊長ではなく、形式上の名誉コロネルとして国王陛下や女王陛下とか、皇太子その他の王族が就く、という制度がある。かつてのドイツ軍でも、特に栄誉ある将軍は名誉連隊長の称号を得た。二十世紀になってもドイツでは、フォン・ヒンデンブルク元帥やフォン・ルントシュテット元帥といった、名前にフォンがつく貴族出身の大物軍人が、元帥用の襟章を好まず名誉連隊長・大佐の襟章を愛用した。国家元帥の制服など特注して嬉々としていたヘルマン・ゲーリングの感覚などまさに成り上がり者の滑稽だったわけだ。そういえばナポレオンの常用の軍服も近衛連隊長のもので、皇帝用とか元帥用などではなかった。
かつて、リビアの国家指導者だったカダフィ大佐があくまで「コロネル=大佐」の肩書きだったのも、かつてのナセル・エジプト大統領の軍人時代の階級に憧れて、というだけではなく、軍隊の最高権威者が「大佐」であることは、実は軍の歴史からみると必然的かつカッコイイことだったから、といえるのである。
どうして、元帥だの大将だのいう高官が連隊長の称号に喜ぶのか、会社で言えば会長や社長クラスの人が「名誉部長」と呼ばれて喜ぶ感じだが、あくまでも十六、十七世紀ごろの故実を残している称号であって、名誉連隊長というのは「王様に次ぐ軍事指導者」の意味だったのである。
この後、コロネルの上、ジェネラルの下にいくつか階級が出来るので、コロネルというのもそれに応じてだんだん格が下がってしまった。レジメントの上に一万人規模のブリゲイド(旅団)というのが出来、ブリゲイダー、あるいはブリゲイド・ジェネラル(意味としては旅団司令官)というのが置かれた。さらに、ナポレオン戦争の時代に、歩兵・砲兵・騎兵をすべて含む独立して戦える一万~二万人規模の部隊をディヴィジョン(師団)と呼ぶことになった。この指揮官はリューテナント・ジェネラル(総司令官補佐)となった。
軍隊の規模が大きくなるに連れて、ブリゲイド・ジェネラルの上にメジャー・ジェネラルが置かれた。
十七世紀半ばにはじめて英陸軍で出来たメジャーという称号は、「メジャー・リーグ」などという野球用語があるように、マイナーなものより上級の、という意味合いで、旅団長よりも上級の司令官、という程度の意味だった。
さらに、国王たるジェネラルに代わって軍を指揮する代理指揮官というものも任命されるようになった。これが戦場における国王の代理人、フィールドマーシャル(戦場の総監督、というほどの意味)である。マーシャルとは本来、王室の馬を管理する主馬頭(しゅめのかみ)のことで、フィールドマーシャルとは野戦を取り仕切る者、という意味合いである。ここで注意すべきは、この時点では、フィールドマーシャルはジェネラルより下位にあったことになる。後の日本語訳で言えば、元帥より大将(国王)のほうが上、ということだ。が、次第に王様が自分で戦場に出ることは稀になり、フィールドマーシャルが事実上の軍人の最高位、ジェネラルはその下の司令官を指す言葉に変わってくる。
やがて、国民皆兵の軍隊が誕生し、また平和なときには予備役にいて、戦時となると現役に復帰してもらう予備軍人の制度が確立すると、こういう肩書が、部隊長という本来の意味ではなくて、そのぐらいの規模の部隊を指揮できる資格=階級の意味となるのである。


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