「この右翼、左翼」と罵倒しあった竹馬の友が国会議員秘書

竹馬の友に、自民党代議士秘書になった男がいる。
父親は自衛隊のちょっと偉い人。
K士舘大学出たあと秘書になり、肩で風切る様。

なったばかりの頃は、
議員会館の食堂で地元の支援者集めたところへ、
「俺が代議士の名代であいさつするんだ」と得意顔。
支援者たちは、バスに乗って国会見学。
全額タダだとまずいので費用の一部は参加者が払うが、あとは政治家事務所がもつ。
「桜を見る会」などと同じ方式。
こういうことは与野党多くの政治家が昔からやっていた。

彼と私は思想的には右と左。中学、高校の頃、「この右翼、左翼」と罵倒しあったものです。
なにしろ子供のころからの付き合いなので、遠慮がない。
しかし思想が真逆だったなんて知らなかった。
大人になってから知り合ったなら、こんなに親しくなることはなかったでしょう。
しかし、趣味と嫌いな奴と、その理由が同じなので気が合った。
共通の敵は友情をはぐくむものです。

彼は丸太ん棒から戦艦大和を作るのが得意。
その出来栄えは見事です。
製材所に行って、その辺にある丸太ん棒をくれと言って貰ってくるそうな。
その丸太ん棒をノミや小刀で削って1メートルほどの戦艦大和に削り出す。
砲塔や艦橋の細かいところまで非常によくできている。

私はプラモデル好きで知られていて、学校、近所でも有名だった。
作ったプラモデルの数は百を超えていた。

なので、名人は名人を知る。
彼の作品のすごさを褒めるとそこで響き合うものが生まれる。
彼は私を認めたし、私も彼の器用さ、丁寧さには感心した。

大学時代の彼の学生服はハイネックで裾が異様に長い、いわゆる長ラン。
裏地も派手で、なにか刺繍がしてあった。
念のため、言っときますが私にそんな趣味はない。

大学の近くにそういう学生服を特別にあつらえるテーラーメイドの店があったそうな。
そこの店主が、採寸するとき、あんな大学に行くのやめなよ、と言ってたそうな。
それを私に話す竹馬の友。複雑です。

彼の仕える代議士は、当時田中派(田中角栄)の大幹部。
それが彼の自慢でもありました。
彼の父親のコネで得た就職口。のよう。

彼はボディビルダーでもあり筋肉隆々。
青田赤道に似ているというわかりやすいかも。
豪快で、女々しいことは大嫌い、といったタイプ。
見かけはこわもてだが、サービス精神があり話をちょっと盛るので話自体は面白い。

私にも「バーベルを上げて見ろ」とさんざん言うので、私も重量挙げのコツぐらいは知っている。
そんな仲だからいろんなことを話す。
が、政治の細かい話は彼は得意ではない。
そういうタイプではない。
大雑把な自慢話をよく拝聴したものです。

記憶に残る金にまつわる話。
こんな話を平然というか自慢げに。
デパートの紙袋に一億円は入るそうで、余裕もたすなら8千万円。
愛用は伊勢丹のやつ。破れると困るので二重にする。
伊勢丹紙袋
上から見えないように風呂敷や包装紙で目隠しする。
数十万なら抜いても分からないが、沢山だとバレる。
もっともそんなことすると、事務所にいられなくなるのでしない。
とはいっていたが。
彼らにとっては、銀行員と同じ日常業務のようらしい。

彼らの金遣いの一端。
昼休みに、永田町議員会館からクルマ飛ばしてドライブがてら御殿場などに秘書、事務所仲間でしばしば昼食。
そのガソリン代、高速代、昼食代はどこから出るのか?
秘書の給料でこんなことできるでしょうか?

私と彼は思想は真逆。大人になってから知り合ったならこんなに親しくはなれなかったでしょう。
しかし彼のおかげで保守の考え方はよくわかる。

ある時彼は、天皇家の人たちのテレビニュースを見ながらこんなことをつぶやいた。
「あいつらはいいよな。どこに行っても丁重に扱われ、性格が悪くなりようがない。」
ポロっとそんなことを。意外です。

彼の家には天皇・皇后両陛下の御真影が飾ってある。
私も初めてみた時は驚いた。
いつもは強気な彼は、
「笑うなよう、おやじが自衛隊だししょうがないだろう」
みたいな言い訳を。

いつもは罵倒しあっているのに、意外な言葉に私はコイツいいやつじゃんとは思った。

彼は保守でK士館なので朝鮮高校の連中と新宿歌舞伎町でよく乱闘をするそうな。
かれらK士館は歌舞伎町に行くときは、
少人数では行くな。
十人以上で行け、と先輩に厳しく言われているという。
そのわけは、小人数でいくと不利だから。
絶対負けるな。負けて帰ってきたらヤキだからな。
と言われているという。

かといって人種差別をするわけではない。
中国人の経営する中華料理店や、もろに朝鮮語なまりの朝鮮人夫婦がやっている焼肉店にも、この店はうまい、といってよく行っていた。

歌舞伎町での乱闘は、自分が身を置いている組織の習慣、伝統みたいなものだから逆らわない。放課後のクラブ活動のような感覚。らしい。

彼らはヤクザ相手でも避けない。歌舞伎町の路上でも、相手が5人ぐらいだったら、どんどん真ん中に突っ込んでいく。
そうすると、ヤクザのほうが道を開けるという。
K士館は引かない。負けてもいいから戦う。
というのをヤクザの方も知っているから、そんなのをしょっちゅう相手にしていたら、ヤクザも服は破れるしケガはするしで、身がもたない。
なのでムダなけんかはしないらしい。
彼らの喧嘩の要諦は、「負けてもいいから一太刀浴びせろ」。
そうすれば、次からなめられない。
哲学のようでもあります。

「俺たちの雄姿を見せてやりたいから一度歌舞伎町に一緒に来い!」と何度か誘われたが、とんでもない。巻き添え食ってはいやなので、行ったことはない。

彼らは歌舞伎町に乱闘で行くときはゴム長靴を縄で縛っていく。
普通の革靴で蹴りを入れると、靴がすっ飛んでいくという。
笑い話のようだがリアリティーがある。
なので、晴れていてもゴム長靴。
こういう話をさせると彼の話は面白い。

28歳の時、県会議員選挙に出たが落選。
彼が仕えていた代議士の応援はなかった。
ご自由にやれ、ということだったらしい。

いろいろ事情、理由はあったようだが、自分の限界を察知して秘書を辞めて選挙で転進を計ったのではないか。
議員会館食堂で代議士の名代で挨拶したり、地元事務所を回って、支持者に顔はソコソコ知られていたが、当選するほどではなかった。
代議士の支持者には知られていても一般には無名だった。のがわかっていなかった。
その後どうしているか、だれも知らない。
私は彼と親しかったので、消息をよく聞かれたが、私にもわからない。

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