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Vtuberの影ライブについて!(ちょっとメタな話)

最近のXにて、
Vtuberさんが
三次元リアルアバター(と便宜的に呼称する)
使うのってどうなんだ?という議論があった。

その議論にはさして興味はないのだが
自分にとって一番身近なシアーミュージックVの
リアル影ライブについて、もう少し踏み込んで
頭の整理をしてみてもいいなと思い、する。

先に結論だけ言えば、
今回の影ライブは企画として
めちゃくちゃいいと思っている。

一息でまとめると、
実質は”三次元”の”アバター”だが、
”影”という”極限の平面”でもあり、
次元の”壁”で永遠に隔たっている
リスナーと配信者の”現実”を、
保持したままに、圧倒的に近い
という点で、
ウルトラCの発想だったと振り返る。

Vtuberという存在はそもそも、
完全に虚構的であることが
面白い事の条件じゃないと思う。
(Vの推しがいる人にとっては常識)

”リアル”と”バーチャル”の揺らぎの中に
”本当らしさ”を感じる、
”その瞬間性”を楽しむ
エンターテイメントだと思うのだ。

ゆえに、その意味で、
今回のライブは正しく、
Vtuberのライブだったと
感じている。

逆説的に考えれば、よくわかる。
何故あの”影”が”本物”だと言えるのか
と、あえて問い直してみる。

幕の先にいるのは別人かもしれない。
究極、誰もいないかもしれない。
けど私たちファンは確信してるし信じてる。
彼女達が今そこにいたことを信じている。

ゆえに、ここにおいて同じなのだ。
普段の配信でも、影ライブでも、
存在の”影”を見て”本当”を感じている。

極端な言い方をするならば、
その存在の”影”を投射する装置が
「OBS」なのか「現実の照明」なのか
という一点の違いがあるだけなのだ。

そもそも「virtual」とは
「表面上は違うものだが、実質同じもの」
程度の意味があるに過ぎない。
ならば、影ライブはまさしく
バーチャルなライブだっただろう。

理屈っぽい話はそれはそれ。

生の音圧は否応無しに身体に響くし、
配信コメントではなく、声で、身振りで
コミュニケーションが取れることの
喜びときたら表現しがたいものがあった。

配信上の定番「乾杯」を150人と生で行うこと。
投げたピックが幕上を通ってファンへ届くこと。
コールアンドレスポンスでやり取りをすること。
みんなで、同じように指ハートを形作ること。
これは会場じゃないと、できないことだ。

今まで心の中で行っていたことを、
現実化していくという点で、
一つフィナーレのようでもあり、
Vsingerという広い世界で見ても、
最高のお祭りの形になったと感じる。

そしてこれは、
リアルワンマンライブという
身内だけの閉じた現場だったから
お祭りとして機能したのだと思う。

特別な時間を提供したい活動者と
特別な時間を過ごしたいファンの
共犯関係がそこにあるから。

多くのファンにとって
忘れられない思い出になっただろう。
私もそうだ。


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