長い自分語りをしよう②恥と成長編

これは個人的な自分語りであり、
「私」の頑張りの記録であると同時に
「絵の上達方法について」の考察でもある。
これまでとこれからについての個人的な考察である。

為になる事があれば幸いだが、なくとも良いだろう。
絵の上達方法について語る人間は
YouTubeなりTwitterなりにいくらでもいるし
私も何人かは参考にしている。
しかし、正直あまり見過ぎるとやる気が失せるのだ。
他人に自分の生き方を託したくないのだ。
それに私はそんなにやる気がないのだ。

だから
「やる気がそこそこの人間のそこそこな考察」
逆に「新ジャンル」ではないか?という意味でも書いていこうと思うのだ。
(新ジャンルって言葉は死語だ。死にましょう)

①「目的を思い出そう」

さて「苦行」のような「悟り」のような
模写練の日々を乗り越えた先についてです。
次のステップは既に決めていました。

「人体モルフォデッサン」で獲得した
「知識」を「イラスト」に活かしていく事です。
つまり「デフォルメ」化していく事です。

一応補足すると、僕は「手癖」を見た限りにおいては
「デフォルメ」の絵がそんなに好きじゃないんだと思います。
基本的にリアル志向の絵が好きだと思います。
だからこそ、模写練習も苦じゃないですし、
もっとリアリティを追求する方法を知りたいとも考えてました。

しかし、僕の目的はあくまで「漫画を描く」ことです。
僕が描いてきたものは「漫画の絵」じゃないです。
更に、僕が漫画を完成させるまでの期限が
八月中旬時点で決まっていました。
すなわち、オタクどもの祭典「コミックマーケット」です。

来るべき12月29日までに、なんとしてでも「漫画」を作らなければならない。
ならばこれからは「漫画の絵」を描かなければならない。
単純な話です。

②「苦痛の日々が始まる」

「幸福」とはなんだろうか。
「苦痛」とはなんだろうか。

このデフォルメ練習の時期によく考えていました。
時期的には2019年10月末くらいまでだと思います。

何故、苦しむ必要があるのか?
「苦行」の日々は抜けてようやく自分の望んだ
「漫画の絵」を描けるじゃないか!!
そう考えていた時期が僕にもありました。

実際、デフォルメ練習を始める時は
とうとう真価を発揮するのだとわくわくしてました。
しかし、違うのです。
その期待は全くの間違いです。

ここでの「幸福」と「苦痛」の定義を下記とします。

「幸福」とは「信じるもの」があり、それに「向かっていく」状態。
自分の小さな「宗教」を持つこと。

「苦痛」とは、その「信じるもの」がない状態。
向かう「先が見えない」状態。
「進んでいるのかどうかわからない」状態。

この定義を元に改めて状況を整理すると、
「人体モルフォデッサン」の模写をしていた時期は
「前」に「向かっている」「進んでいる」という感覚があり
正しい練習をしていると「信じていた」ため
一見「苦行」のようではあったが「幸福」でした。楽しかったです。

模写の時間は「幸福」でしたが
僕はその「幸福」にはある種の欺瞞があると
ぼんやりと理解していたのです。
しかし、あまりにも「幸福」で
見ないようにしていました。

「自分は正しい練習をしている」
「確実に成長している」という「信」
「全てが上手くいっている」
「全ては計画通り」というような
全知の感覚が間違いだと
次第に気付いていきます。
「じぶんはいっぱいれんしゅうしたのだから
すばらしいえがかけるようになったんだ」という
期待や希望が幻だと理解します。

あまり言葉にしたくない事なので
つい勿体ぶってしまいますが、
端的に何が起きたかと言えば、
「描けなかった」

長々と色々練習したけど、
「何も描けなかった」

③「Re:ゼロから始める模写生活」

ちゃんと言葉にすると
解剖学の知識を下地にした人体を
「デフォルメ」に変換する事が全く出来なかった。

「ついつい筋肉の線を増やしてしまう」
「しかし筋肉を描かなければ立体が意識できない」
「立体を意識しようとして細部に囚われ形が崩れる」
「いやそもそも、髪が描けない!」
「当然、服が描けない」
「どころかキャラの目も描けない」
「デフォルメの絵の描き方がわからない」

「あっ……これは……」


「マズい……」

自分が今ヤバイ状況にあると気付きましたが、
時間もあまり残されていませんでした。
十月でした。コミケ開催まで3ヶ月を切っています。

>僕は漫画を描いたことが一度もない。
>それどころか絵に色を付けた事がない。
>お絵かき用に買ったiPadも持て余している。

まだまだ突破すべき項目が山のようにある中で
まだ、イラスト一つ描く事が出来ない。
焦燥し、絶望しました。

いや、実際は漫画っぽく描けるものが一つだけあったんですが
「つるっぱげの筋肉むきむきマッチョマン」の絵です。
役に立ちません。しかもその絵ですら腰から下は苦手だ。

この時何故、現実世界のマッチョ人口の低さに反して
マッチョの絵を描く人が多いのかが分かりました。
(※単純に魅力的というのもありますが)

人体を立体的に描くにあたって
普通の凹凸の少ない人間を描くより
マッチョは遥かに簡単なんです。
加えて言えば爆乳もそうです。
乳で体を覆える範囲が増えるのと
注目すべき点が集中するので、出来が良く見えます。
ど貧乳を描くより恐らく楽です。
華奢な人間は、難しい。

さて、脱線しても時間はない。
ここで次にどうすべきかを3秒で考えました。
いや、本当は最初からわかっていた事を
また実践するだけでした。
アプローチが失敗したなら
一から、いや、ゼロから始めるだけです。

つまり、デフォルメキャラの「模写」をします。


④「ループ物の主人公ぶって『また、これか…』と呟いた」


何故「模写」にこだわるのか?
模写ばかりしていたら自分の絵がなくなるのでは?
もっと好きに描いて練習すればいいじゃないかと
素直に絵を描いてきた人は思うかもしれません。

しかし、僕には自分の絵がありません。
どのような感性を持っているのかも知りません。
落書きしたいものも特になく、
「イラストを描く習慣」もありませんでした。
何もありませんでした。
だからこそ、まずは指標が必要でした。
描きたいもの、描きたい形はどんなかを
把握する必要がありました。

そのために、まずは自分の好きなコンテンツを
片っ端から「模写」してみることにしました。

※私がフォローしている「アニメ私塾」さんのアカウントで
「模写」が一番上達が早いと言っていたのも
心に残っていました。

そこで、とりあえず2週間ほど修行しようと決め
色んなコンテンツを模写しはじめました。
スラムダンク
ジョジョの奇妙な冒険
HUNTER×HUNTER
はねバド!
ヒストリエ
それでも歩は寄せてくる
可愛いだけじゃない式守さん
などなど……

あまりジャンルには拘らず、
好きなものだけをなんでも描いてみました

またTwitterで拾った魅力的な絵も、
とりあえず真似してみました。

僕の漫画には「可愛い絵」も「かっこいい絵」も
「心を動かせる絵」
も必要だったので、
自分の基準でそれを満たしているものを
吸収したかったのです。一刻も早く。

とにかく時間がない。
一刻も早く成長しなければならない。
しかし、その成長する方法は
なかなか見えてこない。
改善方法がわからない。

どうしようかと悩み、
無理やり体に「理解らせ」るしかない…
ちゃんと地獄のように反省するしかないと考えました。
恥を知れ、身の程を知れと自分に言い聞かせる事にしました。

具体的には
僕は描いたものを全部Twitterに晒す事にしました。


⑤「パンツじゃないから恥ずかしくないもん←恥ずかしい」

「絵を晒す」事がなぜ「改善点」を見つける事に繋がるのか。
これは「絵を晒す」という行為が「恥ずかしい」事であり
「恥ずかしい」と感じる事こそが「自分」であるからです。

どういう事かわからないと思うので順に説明します。

まず人は「見られたくないもの」を他人に見られた時に
「恥ずかしい」という感情が湧く
と思います。

「おねしょした布団」とか
「隠していたエロ本」とか
「初めて買った化粧品」とか
「見られたくないもの」だから「恥ずかしい」わけです。

これを前提としたときに、
「恥ずかしい」と感じたものは、遡行的に
「見られたくないもの」だった
と考えることが可能です。
これを応用して、「改善点」を模索する事にしました。

下記のような論理展開をします。

僕は絵を晒すのが「恥ずかしい」と感じている
→つまり、「見られたくないもの」がある。
→もっと言えば、「見られたくない部分」がある。
→具体的には、「自分自身が下手だと感じる場所」がある
→であるなら、そこは自分の「改善点」である

「恥ずかしい」=「改善可能性」

この「恥」と「改善」の関係の話は
「魔女の宅急便」でも採用されていると言います。
何故「魔女の宅急便」において
キキのパンツが執拗に描写されるかというと
キキのパンツがキキの「恥」の象徴であり
「未熟」の証であり「改善可能性」だからです。
※詳しくはガイナックスの初代 代表取締役
岡田斗司夫のYouTubeチャンネル参照

この「恥ー改善」システムの優秀な点は、
他者評価を必要としない事です。
自意識の中で完結できます。

「恥ずかしい」という感情が継続するなら
「改善点」を見つけ続ける事ができますし
「恥ずかしい」という感情がなくなったのなら
少なくとも自身は絵に「納得」出来てるということです。

⑥「私以外、私じゃないの」

「恥」は「改善可能性」と言いました。
ただ、ここにおける「善」とは
「上手さ」の事ではありません。
その字の通り、自分の中での「善さ」の事です。

例えば、誰の絵柄が良いと感じるのか、です。
僕は「それでも歩は寄せてくる」と
「可愛いだけじゃない式守さん」の模写をし
それを晒した時、なんだかとても恥ずかしかった。
これは、元の絵に比べて自分の絵が
「下手過ぎたから」かもしれませんが、
もしかすると「自分の好みじゃなかったから」かも。

きちんと断っておきますが、
読者として「好きな絵柄」である事には
違いありませんでした。
しかし、僕が人に晒すものとしては
あまりにも元の完成度が高く可愛過ぎました。
これは「僕」じゃない……

「僕の描きたい絵」じゃない

じゃあ、他の模写はどうか?
多少の差はあれど、
「恥ずかしい」のは同じでした。

これは自分の絵が「下手だから」?
それもあるだろう。 じつりき の差が大きすぎる。
ただ、前の修行の中で自分の「模写」の技術は高まっていたので
「形を掴む速度も精度もそこそこだな」とは感じていました。
でも、それでも恥ずかしかったのです。
もっと根本の「恥」があるように思います。

根本的にこの練習は「恥ずかしい」。
何故?この練習はこんなに「苦痛」なのだろう。

「恥ずかしい」という感情から
「自分」について思考します。

「絵」は想像以上に「自分」と結びついているようでした。
他人の絵の模写を晒していくと
「こんな自分だと思われたくない」という
感情が湧き起こってきました。
「解剖図」の模写を晒していた時は
大して恥ずかしくなかったのに。

「解剖図」は恥ずかしくない。
「絵」は恥ずかしい。
何故?
何故だ?

考えたら理由はすぐに分かりました。
シンプルですが、複雑でした。


「僕は他人の真似事でしか『絵』が描けないからだ」


「でも自分の『絵』が描きたいからだ」
「その自分の『絵』がどこにもないからだ」
「僕には『自分』がない
空虚な『自分』を見られたくない
他人に空虚さがバレたくないからだ」

単純な事ですが、気持ちが複雑でした。

「解剖図」は生身の人体を真似たものです。
写実的である事を目標にされているため
「自分」とは関わりがありません。

しかし「絵」は感性を投射します。
「自分」が美しいと感じるものが現れます。
「デフォルメ」すなわち「崩し」の尺度は
誰も決めてくれません。
「自分」の美学に沿うのみです。
「自分」だけです。決めるのは「自分」だけ。

同時に、他人の「美しい」でしか
自分の「美しい」を表現できない
無能こそが真に「恥ずかしい」と思ったのです。
なんで出来ないのだろう。
どうしてこんなに「正しくない」のだろう。

だからこの練習には「幸福」がありませんでした。
「苦痛」しかありません。

色んな絵柄を模写しても
模写すればするほど
「正しさ」がわからなくなる。

いや「正しさ」なんて最初から…


迷いました。
少し迷いましたが時間はないので
こんな苦痛な練習は駄目だと
早々に辞める
事にしました。

他にもやるべき事はたくさんある。
基礎は1ヶ月前に積んだのだ。
もう、漫画を描き始めるしかない。

⑧「今、冒険は進化する」

次回予告はしないで、
恒例化したいあとがきです。

文中に中途半端なパロディをいくつか仕込んでいるのですが、
なんか突然変な事言い出したな、と思ったら
それはなんかのパロディかもしれないし
マジで変な事言っているのかも知れません。

さて、今回「Twitterに絵をあげる」事と
「恥」の感情を利用した上達方法の話をしましたが
慣れてくるとその辺の感情はマヒするし
明らかなミスが多い初心者の時期にだけ出来る
捨て身タックルだと思います。

ただ、それがなくなったとしても
絵を上げる行為には複数メリットがある。

一、行動が完結し、次の絵に移りやすい
→納得できなくてやり直し…みたいなのを防ぐ
 自分はこの程度の人間…と悲しくなるが
 その通りなのでグッと飲み込む。

二、自分の絵を手放し、客観視できる
→上げるまでは気づけなかったミスが結構見つかる。
 一日寝かすのと同じ効果がある。
 一日に何回も区切りができる。

三、絵を上げた日と絵を上げなかった日が出来る
→謎の罪悪感が芽生え、絵を描き続けるマシーンが誕生します
 最近絵を描いてねえなあと思っても
 2日しか経ってなかったりします。

まとめて
一、行動量の増加
二、客観性の確保
三、習慣化
とか言えば、それっぽいか?

こんな事を書いておいて
もう何日も絵を描いてないけどね。

あと、デフォルメ模写の練習を否定したけど
これは中途半端に他人の絵柄に手を出したからです。
やるなら徹底的に一人だけを
真似る事から始めた方がいいと思います。
それも上達するためならって意味で
色んな人の絵描くのも練習とかじゃなきゃ楽しいと思う。

(啄む亭血液法師)

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