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タテヨコ企画『橋の上で』【青木柳葉魚氏との出会い編】
タテヨコ企画第43回公演『橋の上で』
僕にとって初めてオファーをいただいた作品であり、慌ただしい2023年の始まりでもある今作が無事幕を下ろせたことと、3月25日から開始される配信を記念して今作の裏側なんてものを綴ってみようと思う。
まずは、今作の作演出である青木柳葉魚氏との出会いについて。
今回、作演出の青木柳葉魚さんとの出会いは、昨年の夏に出演した劇団チョコレートケーキさん(以下敬意を持ってチョコとする)の[生き残った子孫たちへ 戦争六篇]での稽古場であった。
[生き残った子孫たちへ 戦争六篇]は、その名の通り戦争を題材にした作品を東京芸術劇場で六作品連続公演するという、とてつもない企画。
僕は、その中の「〇六〇〇猶二人生存ス」という人間魚雷 回天を扱った作品に出演していた。
これは、チョコの長期WSに参加している通称若手が参加している作品でもあった。
その若手組の稽古場にひょっこり見学しに来られたのが、柳葉魚さんだった。
同じ建物で稽古をしているとは言え、コロナ感染予防対策として他作品出演者との接触は、ルールとして禁止されていた。
折角ベテランの俳優と交流するチャンスなのに!悔しい!と思っていた。
まぁこればかりは仕方ないのだが。
あ、少し脱線するが、チョコの方々は、我々を子供と呼んでいた。もうずいぶん前に成人になった僕はすこし嬉しかったりした。
ベテラン組は大人。僕もいつか大人になりたいなぁなんて思ったり。
話を戻す。
ひょっこり見学に来た柳葉魚さんは、部屋の隅っこで体育座りをしてジーッと我々の稽古を見守っていた。
柳葉魚さんは「帰還不能点」「ガマ」の2作品に出演していた。
「ガマ」はこの企画唯一の新作でもあったし、チョコ作品には10年ほど前から出演している常連だ。
僕の尊敬する劇団からの信頼が厚い方なのだ、という印象だった。
もちろん、お芝居も観たことはあった。
映像ではあるが、以前出演していた「帰還不能点」で柳葉魚さんを一方的に知っていた。
田舎者の僕は、東京の俳優はすげぇんだ。。。(語彙力)
とただただ圧倒されていた。
何か意見をもらいたいなぁ。と思いつつも初対面だし接触は禁じられているし。。。
どこかのタイミングでアドバイスを聞いてみようと思っていた。
しかし、柳葉魚さんは音も立てずにいつのまにか去っていた。
これが出会い。
そしてその後もお会いすることはなく、公演で一方的に観るだけだった。
もちろん、稽古から公演を終えるまで一言も交わすことはなかった。
柳葉魚さんが所属するタテヨコ企画という劇団があると知ったのは、そのころだったと思う。
(まだ上京して一年しか経ってなかったから許してほしい)
次回公演は、必ず観に行こうと思っていた。
10月ごろだったかしら。
某会議中に、柳葉魚さんからのメールが突然来た。
その次回公演にお声がかかったのだ。
こんなに嬉しいことはない。
というか一方的に観ていたので、
「「認知されている!?!?!?」」
の喜びの方が強かったかもしれない。
そりゃ稽古観てくだすっているのだから認知されているでしょうよ、なんだが。
メールに添付されていた企画書を読んで即答した。
[秋田児童殺人事件]を題材に、シングルマザーの過酷さや社会に対する訴えのある作品。
それを柳葉魚さんが作演出をする。
受けないわけがなかった。
立ち上げ20年を超えるベテランが集う劇団にぺーぺーの僕が誘われたことに関しては、公演を終えるまで永遠の謎だった。
チョコとの関わりが深い柳葉魚さんがWS生を使ってあげようという粋な計らいなのだと納得させて参加した。
そうでもしないと余計なことを考えて作品に集中できなくなってしまう。
何にせよ、柳葉魚さんと、タテヨコ企画のベテラン勢と作品を作れるまたとないチャンスだったのだ。
(謎が判明したのは公演後半のタテヨコブログである。)
そして、正真正銘の出会いはそれから3ヶ月後。
2023年を迎えてすぐの稽古初日であった。
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