見出し画像

元祝幻旅

 その封筒は、いつの間にか私の執務机の中に入れられていた。
 差出人の名前もない黒い封筒、中に入っていたのは『水糜庵』なる高級旅館の広告だった。高級旅館というだけあり、情報は最低限、しかし相当に高級な旅館であることは間違いないらしい。おまけに太宰府という立地も大変素晴らしかった。
 千早くんを慰安旅行に連れていくという約束を果たすには丁度良い機会だ。年始であれば彼のスケジュールにも合うだろう。値段は些か以上に高額ではあるが、彼のこれまでの活躍を思えば、この程度の出費は必要経費だと言えるだろう。当然、予算が降りるとは思えないが、日頃のことを考えれば私が身銭を切るのもやぶさかではない。むしろ、今後のことを思えば大きな貸しを作っておくのは妙手と言える。
 私はすぐに広告に記載されている番号に電話をかけ、成人男性二人で予約を取った。日程は年明けの1月4日。三が日の太宰府は参拝客でごった返すというので、そこは避けた方が無難だという判断である。
 私がこの封筒について、それほど警戒をしなかったのは、県庁には多数の業者が出入りをしていて、職員向けのサービスや広告などを机に置いていくことは日常茶飯事であり、それほど珍しいことでもなかったからだ。
 考えてみれば、成人してからというもの泊まりで旅行に出かけたことはない。機会は何度かあったものの、前向きに検討したことはなかった。そもそも私は余暇は外出せずに、家で気分転換をするタイプだ。読みかけの蔵書を手に取り、コーヒーを淹れながらゆっくりと時間を過ごす。
 しかし、彼と同居を始めてからというもの、何だかんだと外出する機会が増えた。基本的にはぐうたらとしていて放っておけば一日中ソファの上で寝転がっているのに、ふらりと散歩に出かけていったりする。かと思えば『商店街に美味そうな小籠包の店を見つけた。食いに行こうぜ』などと言って、私を連れ出す。いつの間にか、すっかり家の近所に詳しくなってしまった。
 そんな彼も、最近はめっきり出かけることが少なくなってしまった。理由は、右脚がうまく動かせなくなったからだ。彼は過去の事件で右腕を失くしてしまい、その代わりに存在しないものを触れられる力を手に入れた。だが、禍福は糾える縄の如し、という言葉があるように、その代償のように彼の正常な部分までもが消失していったのだ。
 最初は右眼が視力を落とし、やがて失明し、霊を深く視るようになった。そうして右耳も聴力を失い、ついに最近は右脚が痺れたりするようになってしまった。うまく動かせないものの、歩いたりするには問題はないそうだが、右脚が動かなくなるのは時間の問題だろう。
『まぁ、しょうがないさ。最初から破綻は目に見えていたんだ。でも、死ぬまでは生きる。それだけだよ』そうあっけらかんと言う彼のことを、私は死なせたくはないと思うのだ。
 だから広告の記載にあった天然温泉が少しでも効果があるのなら、薬効が彼に合えば良い。少しでも良い。進行を遅滞させてくれたなら、その間に何らかの解決策が見つかるかもしれない。
 柊女史曰く『あの子の呪いは祝福と同じようなもの。どう立ち向かうかは自身で決めるでしょう。わたくしにできることはありません』と。
 帯刀老の弟子であり、千早くんの姉弟子でもある彼女は続けた。
『あの子は、自分が為すべきことを見定めています。先生が仰っていました。「為すべきを見定め、為すべきことを、為すべき時に為せ」と。心配はいりません。時が来れば、あなたの為すべきことも自ずと明らかになるでしょう』

   ○
 そうして新年を迎え、私たちは慰安旅行へと出発した。千早くんは太宰府に行くのは初めての経験らしく、観光雑誌を買い込んで観光で回る名所やグルメなどをチェックしたりしていた。
「なぁ、大野木さん。明太子買って帰ろうぜ。パスタ食いたい」
「なぜ行きの電車の中で、もうお土産の話を始めるんですか」
「福岡って美味いものたくさんあるんだろう? もつ鍋、豚骨ラーメン、水炊き、イカも美味いんだっけ」
「そうですね。私も何度か出張で滞在しましたが、食事はどれも美味しかった記憶があります。太宰府天満宮にも足を運びましたが、参道を通ってお参りをしたくらいで、めぼしい所を観光していません」
「学問の神様か。社会人には無縁かな」
「文化の神様です。無縁ではありませんよ」
「俺は食い物の方がいいな。神様が視えることは殆どないし」
「殆どってことは、あるんですか」
「まぁ、あったりなかったりだよ。神様って一言で言っても、いろんな神様がいるし。八百万の神々だっけ? 姿形も様々で、聖も邪もまぜこぜ。大野木さんだって見たことあるんじゃねーの?」
「どうなのでしょうか」
「あ。いやいや、仕事の話はナシナシ。慰安旅行なんだから楽しいこと考えないとな」
「そうですね」
「そういえば今回の宿ってどんな所なんだ?」
「高級旅館ですよ。創業1200年を超える老舗だとか。天然温泉の厳選掛け流しで、疲れた神様も癒すとか。食事に関しては記載はありませんでしたが、電話予約の際に好物は全て伝えてあります。おまけに部屋にも露天風呂がついているそうです」
「すごいな! それってどっちの部屋にもついてんの?」
「? どっちの部屋とは?」
「いや、だから。……ちょっと待て。大野木さん、部屋はいくつ取ったんだ?」
「1つですよ」
「同じ部屋かよ!」
「ビジネスホテルじゃないんですから、一人用の部屋なんかありませんよ。」
「そりゃそうかもだけど……。男二人で露天風呂付きの部屋ってさぁ…、よく予約できたな」
「できたも何も、予約しないと泊まれないですし」
「それはそうなんだけど、ほらこう世間体みたいなものがあるだろ」
「千早くんからそんな言葉が聞けるとは。世間体を気にして生活していたんですか? とても普段の様子からは想像もできませんが。同じマンションの方々からはもう十分に誤解を受けているじゃないですか」
「大野木さんは嫌じゃないのかよ」
「慣れましたよ、もう」
「……なら、いいか」
 納得したのか、千早くんは大きな欠伸を噛み殺した。

 異変はいつの間にか始まっていた。
 私たちは揃って眠ってしまっていたらしく、博多駅から電車を乗り換え、西鉄天神駅から太宰府駅に向かう電車はかなり混雑していた筈なのだが、気がつくと車内は私たちを除いて無人になっていた。誰一人乗っていない。慌てて窓から外を見たが、濃い霧が出ていてまるで視界がきかない。車内の電光掲示板は文字化けしていて、何1つ読み取れなかった。
 嫌な予感がする。いや、いつもの悪い予感だ。
「千早くん。起きてください。千早くん。異常、」
 事態です、そう言おうとして止めた。いや、こんなものはいつもの怪異に比べたらどうということはないではないか。死霊が襲いかかる訳でもなければ、一人で異界に閉じ込められた訳でもない。確かに電車から人が残らず消えているが、危害を加えられた訳でもない。焦るのは時期尚早かもしれない。そう自分に言い聞かせる。せっかくの慰安旅行が台無しになったという事実を、断固として認めたくないのだ。
 私は深呼吸をしてから、座席に腰をおろし、現状把握に努めた。窓の外が見えない以上、現在地がわからない。携帯電話を開いてみてもやはり圏外で使えない。GPSはおろか、ボタンを押しても固まったように動かない。
 これがなんらかの怪異であるならば、私たちは恐らくはもう術中に嵌っている。慌てても仕方がない。いずれ事態は好転するだろう。千早くんが起きるまでどっしり待っているのが得策だ。
 そうこうしていると、電車が減速を始め、やがて停止した。
『終点、太宰府。終点、太宰府』
 ひび割れた声がスピーカーから響き、扉が開く。はて? 西鉄二日市駅で乗り換えると聞いていたのだが、どういう訳か太宰府駅に到着したらしい。終着駅らしく電車が動く気配はない。そっと扉から左右を覗いてみるが、濃霧で何も見えない。ロンドンは霧の都というが、太宰府が霧の都だなんて話は聞いたことがなかった。
「千早くん。太宰府に着きましたよ。起きてください」
「ああ」
 大欠伸をして起きた千早くんが荷物を手に外へ。私も続いて電車から降りると、途端に電車の扉が閉まった。ホームを改札へ歩きながら、電車の中を覗くと黒い人間のようなものがいくつも座席に座り、微動だにしない。なんとも不気味だが、強いて見えないふりをすることにした。
「なぁ、大野木さん」
「はい。なんでしょう」
「凄い霧なんだけど、おかしくないかな」
「太宰府は背後に宝満山という福岡でも屈指の霊峰の麓にありますから、山あいに霧が出るのは珍しくはないかと。ロンドンも霧の都と言いますから」
「いや、ロンドンと太宰府て無関係だろ」
 どういう訳か、改札には駅員どころか観光客一人いない。仕方がないので切符を窓口に置いておくことにした。振り返って駅名を見るとやたら古い字体で『駅府宰太』とある。
「大野木さん。雑誌で見た太宰府駅とかなり違う気がするんだけど、駅前なのに誰もいないし。この時期に観光客が一人もいないなんてことある?」
「お昼時ですから。そういうこともあるでしょう」
「いや、絶対おかしいだろ! 太宰府じゃないだろ、ここ!」
「太宰府駅ですよ。ほら、あそこに駅舎名がきちんと書いてあるじゃないですか」
「それはそうなんだけど。こんな木造駅舎じゃないだろ。あの時刻表も文字化けしてて読めないし」
「そういう趣向ではないでしょうか。ミステリーツアーのような」
「慰安旅行じゃなかったのかよ」
 千早くんが怪しむのも無理はない。何しろ霧が濃くて周囲の様子がまるで判然としないのだ。うっすらと霧の向こうをなんだか人間離れしたシルエットのものが闊歩しているような気もするが、気に留めてはいけない。
「大野木さん、アンタまさか慰安旅行だって嘘ついてまた面倒な案件に連れてきたんじゃないだろうな」
「まさか! そんなことはありません! 誓って偶然です」
「アンタ、前科があるからなあ」
「あの件はもう時効です。それよりも現状をまずは把握すべきでは?」
「いや、把握すべきも何も。怪異だろう、どう見ても。西鉄太宰府駅じゃないよ。そんな文字全然ないじゃん。常世の国だよ」
「黄泉の国ですか?」
「いや。なんーつか、この世とあの世の間みたいなもんかな」
「なるほど。神隠しみたいですね」
「いや、なるほどじゃなくて。とりあえずさっきの電車に乗ったら帰れないかな?」
「では、まずは切符を」
 券売機で切符を買おうとして、絶句する。
「困りましたね。ここから向かえるのは『アノ世』だそうです」
「……進退極まったな」
「とりあえず買うだけ買っておきましょうか」
「あの世行きの切符をとりあえずで買うなよ。そういえば駅から旅館まではどうやって行くつもりだったんだ? レンタカー?」
「いえ。迎えがあると聞いています」
 噂をすればなんとやらで、駅前のロータリーに一台の馬車がやってきた。今時、馬車というのも時代錯誤のような気もするが、なるほど太宰府という場所には相応しいかもしれない。
「千早くん。良かった。迎えが来ましたよ」
「お、おお?」
 彼が怪訝そうな顔をするのも無理はない。朱色の漆に彩られた山車を思わせる紅白の馬車である。おまけにあちこちに金箔細工が施してあり、どうにも華美に過ぎる。
 極めつけは、御者が顔に一枚の布で顔を覆っていることだ。白い布には『従』とあり、恐らくは従者の意味であると知れた。
「前見えんのかな、あれ」
 馬車を引く二頭の馬は黒馬でいかにも知性が高そうに見える。
 それはやはり我々二人の前で止まった。しかし、御者はこちらに視線も向けず、微動だにしない。
 誰も引いていないのに黒漆の観音扉が開き、中のランプに火が灯る。
「乗れってことか。いや、待て。これ、馬じゃないぞ。牛?」
「いえ。牛にしては手足が長いような気がするのですが」
「でも額には小さいけど角があるぜ」
「どうしましょうか」
「どうこうも。慰安旅行なんだろ?」
 千早くんはそういうと悠然と乗り込み、こちらを手招きした。

ここから先は

12,337字

¥ 300

宜しければサポートをお願いします🤲 作品作りの為の写真集や絵本などの購入資金に使用させて頂きます! あと、お菓子作りの資金にもなります!