見出し画像

迎火散華

 満開の桜と梅の木、朝露で光を弾く紫陽花、色づいた紅葉と銀杏。生垣の手前には彼岸花が連なって狂い咲いている。
 縁側から四季が入り混じる幻想的な風景を眺めていると、隣にやってきた葛葉さんがおもむろに腰を下ろした。ふわり、と白梅香の匂いが鼻をくすぐる。薄桜の着物を着こなして、大きな黒い瞳が弧を描いて微笑んだ。
「物思いに耽っていらっしゃるなんて、珍しいこともございますね」
「怖い姉弟子が出かけてる間くらい、ぼーっとしていたい」
 鬼の居ぬ間になんとやら、というやつだ。修行を始めてどれくらい経ったのか。そもそも此処と外では時間の流れ方が少し違うのであまり参考にもならないが、とにかく経過した時間を数えるほどの余裕もなかったのは間違いない。
「まぁ、若年寄のようなことを。お若いのですから、しゃんと背筋を伸ばしてくださいまし。御主人様に見つかったら、叱られてしまいますよ」
「師匠が怒るところなんて見たことないけど」
 この屋敷の主人であり、また俺の師匠にあたる帯刀という名の老人は、いつも温和に笑っていておよそ怒っている姿なんて想像がつかない。この屋敷へ来たばかりの頃、仏間に飾ってあった立派な壺を掃除していて壊してしまった時にも、怒る素振りすら見せなかった。その代わり、姉弟子には雑巾のようにこってり絞られたが。
「ねぇ、葛葉さん。師匠って昔はどんな風だった? やっぱり物静かで文学少年って感じ?」
 俺の問いがよほど的外れだったのか、葛葉さんは着物の袖で口元を隠して、くすくすと笑う。
「桜様の御想像とはかけ離れた方でしたよ。傲慢な資産家、筋金入りの女好きで昼間から遊廓に入り浸るような若者でいらっしゃいました。若くして、あちこちに土地を貸す大地主の御当主になられましたから、それはもう豪快にお金を使っていらっしゃいましたよ。喧嘩もよくなさいましたし、揉め事も多うございました。昔と変わらないのは、情に厚いところくらいでしょうか?」
 想像とかけ離れすぎていて、誰の話をしているんだったのか忘れそうになる。遊廓? なんだ、遊廓って。女の人といやらしいことをする所か。
「嘘でしょう?」

ここから先は

6,519字

¥ 300

宜しければサポートをお願いします🤲 作品作りの為の写真集や絵本などの購入資金に使用させて頂きます! あと、お菓子作りの資金にもなります!