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休日包子

 毎週月曜日は、大野木さんが冷蔵庫に今週の献立を貼りだす日だ。

 金曜日の夜を除いて一週間分、高タンパク低脂質を中心とした一汁三菜。学校給食の献立表さながら綿密に書き出されている。勿論、作ってもらっている以上、文句はない。栄養バランスも完璧、塩分濃度まで計算された献立表だ。ただ、これを独身のアラサー男子が真夜中にパソコンを叩いて作成しているのかと思うと、少し怖い。恋人と同棲する度に破綻していたというが、こういう所じゃないだろうかとなんとなく思う。

 今日の夕飯は『五穀米、鰆の幽庵焼き、豆腐の白和え、なめこと豆腐の味噌汁』と書かれている。お爺さんの晩御飯みたいな献立だ。もちろん食べてみれば美味しいのは分かっている。しかし、どうしても人間たまにはジャンクなものが食いたくなる。

 俺は棚の上の赤いマジックペンを手に取り、キャップを口に咥えて外す。そうして今夜の献立を『餃子』という文字で塗り潰した。今夜は餃子腹だ。他のものを胃に入れるつもりはない。

 冷蔵庫の扉を開けると、同じメーカーで統一された琺瑯製のタッパーが几帳面に積み重ねられている。琺瑯は匂い移りがしないだのなんだのと言っていたが、よく覚えていない。とにかく、それぞれに手製のシールが張られ、食材の内容と賞味期限が記載してあった。一人暮らしをしていた頃の俺の家の冷蔵庫とは何もかもが違う。とにかく調味料の類が少ないのは、だいたいのものは自作してしまうからだ。手料理を振舞おうと息巻いていた彼女が、この冷蔵庫の中を見たら戦意を喪失するに違いない。

「お、豚ひき肉あるじゃん」

 次に野菜室を開けると、これまた綺麗に整頓してある。葉物野菜も立てておくと長持ちするとかで、引き出しの中に仕切りが作られていて野菜はみんな直立していた。

「白菜とキャベツもあるな。ニンニクもある。あとはなんだっけ」

 片足立ちになってふくらはぎを掻きながら、野菜室の中を見渡す。見れば見るほど神経質な冷蔵庫だ。何から何まで配置する場所が決まっていて、少しでも動かすと小言を言われる。ついでに名前のよくわからない野菜も多いような気がする。こないだ出てきたバターナッツとかいう落花生の親戚みたいな名前の奴は、食べると何だかやけにコクのあるカボチャだった。他にも細長いトマトや、緑色のドリルみたいな野菜がある。

「ああ、そうだ。ニラ」

 ニラがない。あとで買いに行こう。大野木さんが帰ってくる前にあらかた準備を済ませておけば、あとはもう勢いで乗りきれる。冷蔵庫に「幽庵焼き」と書いてあったタッパーがあったが、見ないことにした。今更もう引き返せない。

 こういう時、左腕しかないのは不便だ。ホットプレートなどの大きな物は抱えることができない。無理やり掴んで持ち運んでみてもいいが、どうせ碌な結果にはならないだろう。フローリングに落として床を傷つけたりしたら、しばらくは嫌味を言われ続けることになる。

 さっさと身支度を整えて、鞄を斜めにかけてマンションを出る。今日は天気がいいので、散歩がてら遠回りをして買い物に行くことに決めた。

「まずは腹ごしらえするか」

 朝飯はトーストとウインナーとスクランブルエッグ。あとなんとかいうチーズと半熟玉の入ったサラダ。俺は納豆と米さえあればいいのだけど、どうしても朝が起きれないので用意してくれている飯を食うしかない。なので、朝食が和食だと妙に得した気分になるようになってしまった。

 大野木さんは平日も休日も起きる時間はいつも同じで、ロボットみたいに規則正しい生活をしている。真夜中まで仕事をしていても、必ず同じ時間に目を覚ますのだ。何が恐ろしいのかといえば、タイマーや目覚まし時計の類が鳴る前に起きるという点だ。ソファで仮眠を取るときにも「三十分だけ横になります」と言って目を閉じた後、本当に三十分経つと突然覚醒して動き出すのだ。たまに仮眠中に仕事の電話がかかってきても、ノータイムで電話に出ていつもの慇懃な様子で平然と会話をしたりする。これは正直、かなり気味が悪い。俺なら揺さぶられても絶対に起きないし、かかってきた電話も問答無用で切って寝る。

 新屋敷駅の前にある大きな公園の中をぶらぶらと歩いていると、オレンジ色のキッチンカーを見つけた。近づいてみるとカフェのようで、いろんな飲み物のメニューが看板に書いてある。

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