抱玉幽蛇
その男が訪ねてきたのは梅雨に差し掛かろうかという季節のことだった。
曇天の空を縁側で眺めていると、紫陽花の咲き乱れる生垣の向こうに大きな荷物を背負った小男が見えた。赤い和傘を差して、我が家の前で微動だにしない。雨の匂いに混じって潮の匂いがした。
小男は門扉を潜り、玄関へと向かう。
「御免ください」
媚びたような声に嫌な予感がしたものの、居留守を決め込んで上がり込まれたりしたら困る。
「はい。すぐ行きます」
空返事をして玄関へ向かうと、敷居の向こうに前屈みになった小男が立っていた。顔には猿の木の面をつけ、背負った巨大な背嚢には様々な面が括り付けられている。
「突然、すいやせんね。あっしはしがないお面売りでして。庭先に見事な紫陽花が咲いていらっしゃるものだから、これも何かのご縁と思いやしてね。こうしてお邪魔させて頂いた次第でして」
「はぁ。どういった御用件でしょうか」
「そりゃあ、お面屋ですからね。お面を売るのが生業です」
「生憎、お面に興味はありませんね。申し訳ないのですが、お引き取りを」
「まぁまぁ、何も売りつけようって訳じゃあないんです。あっしもね、ご縁がある方とだけ商売をしたいんですわ。縁のない人と無理に結んでもバチが当たりやす。それに手に取って見るくらいの事はしても良いじゃあ、ありやせんか。中に入っても?」
「玄関先でよろしければ」
「ありがたい」
歯を剥いて笑うような猿の面。はて、こんな表情が彫られていたろうか。いや、そもそもどんな表情の面だったろうか。
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