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廻向輪廻

 藤村部長に呼び出される場合、場所は決まって職場である県庁庁舎からほど近い純喫茶である。徒歩数分という好立地にあるにも関わらず、ここを使用している職員を今まで見たことがない。穴場というよりも、盲点というべき場所にある名店だ。
「大野木くん。最近の活躍、素晴らしいね。対策室に君を抜擢した僕も鼻が高いよ。さぁ、好きなものを頼んでくれ。何、遠慮はいらない。私の奢りだ」
 昼食後に抜け抜けとこういう事を言ってくるのが、この藤村という人物である。
「すいません。注文いいですか?」
 マスターがカウンターの向こうで無言で頷く。
「ブラックアイボリーを、ホットでお願いします」
「んん? 待って待って。聞き覚えのない豆なんだけども、と……」
 部長が慌ててメニューを奪い取ると、げッ、と踏み潰された猫のような声をあげた。
「ストップ、ストップ! マスター、オーダー止めて。何よ、一杯50,000円て」
「ご存知ありませんか? 象の糞から取れる世界一高価な珈琲です。コピ・ルアクもジャコウネコの糞から採取されるのですから、何もおかしくなどありません」
「おかしいと思うなあ。なんでこうウンコからコーヒー豆を探し出すのが好きなのか。マスター、マスター! 聞いてる? ストップだよ、オーダーストップ! そこそこに高いの持ってきて」
 マスターは何度も頷きながら、黙々と作業を続けている。
「どうせまた無理難題を押し付けようという魂胆なのは分かっています」
「はは、人聞きが悪いなあ。無理難題って言うけど、君らにかかれば、なんてことはないさ。これまでどれだけの案件を片付けてきたと思ってるんだい」
「部長。お言葉ですが、千早君は柊さんのような霊能者ではありません。危険な案件なら彼女に外注します。その方が効率的です」
「でもね、彼女の成功報酬は半端な額じゃない。外部に知られると問題になる額だ」
「予算に関しては問題ないかと」
「モラルの問題だよ。まぁ、確かに予算的には問題はないだろうね。対策室の予算はただでさえ多いのに、さらに増加傾向ときてる。それもこれも、ここ数年は案件の増加が顕著になってきているからだ。とはいえ、無駄使いをしていい訳じゃない」
「承知しています。しかし、私には彼を守る義務があります」
 藤村部長が表情を変えぬまま、甘いなぁ、と漏らすように呟く。
「彼の他にも委託業者を探した方がいい。確かに彼は逸材だが、性格にかなり難がある。依頼人からクレームが来たことも少なくない。もっと大勢雇い入れたらどうだい」
「量より質を優先すべきです。彼の才能は唯一無二。自称霊能力者を無闇に案件へ投じるような真似はしたくありません」
 私は、と付け加えるのを忘れない。
「いやはや、耳が痛いねえ」
 部長が曖昧に苦笑したところで、マスターがコーヒーをテーブルの上へ並べる。
「今回は隣県の川瀬部長から協力依頼があってね。君も何回か会ったことがあるだろう? ほら、泣き黒子がある、あのイケメン。猫を三匹も飼ってるのを覚えてるだろう」
「はい。二度ほどお会いしました」
「あちらさんの抱えてる案件が随分と厄介らしくてね。対策班が全滅したらしい」
「全滅? あちらは一課から三課までありましたよね」
「そう、みんな消えたんだって。最初に行方不明になった依頼人の息子と、その友人四名。通報を受けて駆けつけた女性警察官二名、それから特別対策室のメンバーが行方不明のままだよ。いや、川瀬部長も困り果てていてね。そういうわけで、うちに協力依頼があったんだ」
「それほどの事件でしたら、やはり柊さんへ依頼すべきですね。すぐに連絡を取ります」
「それがね、彼女には既に断られてしまって」
 あっけらかんと言うので、思わず絶句する。
「ほら、僕は彼女にすこーしばかり嫌われているみたいだから。いや、君から話を通してもらうべきだったね。反省しているよ」
「……そうですか」
 余計な真似を。柊さんから一度断られてしまっている以上、依頼は絶望的だ。
「最初の行方不明者が出てから既に四日経過している以上、あまり悠長にはしていられないよね。今すぐ行けとは言わないからさ、明日明後日あたりに頼むよ」
 この場合、頼むというのは命令と同義だ。
「特別報酬は請求させて貰いますよ」
「どうぞどうぞ」
 いつもの昼行灯らしい笑みに怒りを覚え、コーヒーを一息に飲み干すと、一礼してすぐに店を後にした。
 コーヒーの味など、まるで感じられなかった。

   ●
 その日は流石に、そのまま自宅へ直帰するには躊躇われた。
 手元の携帯を手に、職場から程近い東公園のベンチで空を仰ぐ。件の案件に関する内容に目を通せば通すほど、自分たち二人の手には負えそうもない。
 物件は隣県にある某ホテル。戦前から存在する格式高いホテルだが、決して七階には泊まれないという。エレベーターは止まらず、非常階段もそこを飛び越して設けられている。理由は、かつて七階に宿泊した客のほとんどが消えてしまったからだ。都市伝説程度の噂話では、創業直後、とある富豪が七階のフロア全てを貸切で泊まり、非業の死を遂げた。その直後ホテルのオーナーが急死したのを皮切りに、そこに泊まる客は皆消えてしまうようになったのだという。
 だが、神隠しと呼ばれる案件は特に珍しい物ではない。人が行方不明になるという話は、特別対策室で耳にすることは少なくないのだ。だからこそ、そういった場所に安易に近づいたりは決してしない。事前準備も万端で挑み、現場で少しでも違和感を覚えれば別角度で切り込む筈である。
 ある意味マニュアル化されているセオリーがあり、かつ霊能者としてのキャリアで言えば、私達より遥かに場数を踏んでいる筈の彼らが、全滅。誰も生還しておらず、死体さえ出てきていない。
 これほどの案件、正直に話せば千早君はきっと嫌がるだろう。下手をすると逃げ出すかも知れない。だが、これも仕事と割り切るしかない。現場に出向きもせず報告書をまとめる訳にもいかないのだ。
「仕方がありません。嘘も方便と言いますし」
  
   ●
 夕食後、いつものようにソファで寝転んで携帯を眺めている千早くんは、いつにも増して機嫌がいい。予想していた通りだ。今日は贔屓にしている番組が二時間特番を組んでいたし、ゲストのアイドルも彼の好みど真ん中だった。
 私は夕食の洗い物を片付けながら、なるべく平静を装って話題を切り出すことにした。
「千早くん。慰安旅行に行きましょうか」
「んー? 慰安旅行?」
「ええ。今期の予算が余っているので、福利厚生の一環として使おうかと思いまして」
 むくり、とソファから身体を起こして、携帯電話から顔をあげる。
「へぇ。行くなら、どこ行くの?」
「あまり遠方にはいけません。年末年始ではありませんし。その代わり、少しグレードの高いホテルに泊まりましょう。温泉も、大きな温水プールもあるそうですよ」
「いいね。温泉」
「そうですか。では、明日にでも行きましょうか」
「明日? えらく早いね?」
「千早くんが行きたがると思いまして、実は先に予約しておきました」
 内心、少し苦しいな、と思わずにはいられない。だが、被害にあった彼らがほんの少しでも生存している可能性があるのなら、急ぐ必要がある。
「……へぇ。まぁ、休みになるなら有り難い。浮き輪とか海パンってどこにあるっけ?」
「宿泊の準備なら、こちらでしておきますから」
「さすが慰安旅行」
 至れり尽せりだ、と楽しそうな笑顔が胸に痛い。飼い猫に嘘をついて予防接種に連れていくような感覚に似ているかも知れない。私は罪悪感に苛まれながら、いつもより入念に千早くんのコップを磨き上げた。

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