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小噺《好々餃子》

 私の生まれ育った家庭では餃子は家で食べるものではなく、中華料理店で家族と食す一品に過ぎなかった。数ある中華料理の内の一皿に過ぎず、空芯菜などの皿と同様にメインの料理に彩りを加える惣菜といった立ち位置だった。

 しかし、それは我が家の常識であり、他家の非常識であったらしい。

「餃子はメイン料理だろ? 餃子を食う時には餃子が主役! 米と餃子だけでいいの。今夜は家で餃子にしようぜ」

休日の昼間に二人でなんとなしにテレビを眺めていると、地方のB級グルメ特集が始まり、宇都宮地方の餃子から全国津々浦々の名物餃子が映し出されるに至ると、自然と夕飯の話題が始まった。

私からすれば餃子は外食と決まっていたので、何処へ食べに行きましょうかと聞いたのだが、千早君はその提案に対して難色を示したという訳だ。

「大野木さんが言ってるのはどうせくるくる回るデカいテーブルのある、こじゃれた高級中華だろ? 俺が話してるのは町中華の味なの。あれは焼きたてが美味いんだ。熱々の焼き餃子をビールと食うの」

「お酒飲めないじゃないですか」

「飲めない訳じゃない。弱いだけだ」

 どちらにせよビールは飲まないだろう。それに私が食すのは殆どの場合、水餃子である。本場では焼き餃子は殆ど出てこないという。

「それなら尚更、お店の味で良いのでは?」

「大野木さん、町中華そんなに好きじゃないじゃん」

「誤解を招くような言い方は止してください。好きですよ、町中華。素朴で安価でいいじゃないですか」

「おい、馬鹿にしてんだろ」

 馬鹿になどしていない。町中華には町中華の良さがある。安価で量が多く、非常に素晴らしい。だが、私が中華料理に求めるのは家では到底再現することのできない、麻辣味が効いたものが良い。香辛料で舌が痺れるようなものが食べたくなるのだ。

「高級中華に大葉餃子は出てこないだろ? 俺は海老餃子とか帆立餃子とかも食べたいんだよ。辣油たっぷりつけてさ」

「作るのはやぶさかではありませんが」

 洗い物が大量に発生するのは面倒である。しかし、大葉餃子も海老餃子も食べたことがないので少しだけ好奇心が湧いたのも事実だ。

「俺も手伝うからさ。餃子にしようぜー、餃子―」

 餃子の何が彼をそこまで駆り立てるのだろうか。

「基本的な餃子のレシピは理解していますが、折角ならアレンジを加えたいですね。改良の余地があると常々感じていたんです」

 焼き餃子を食すのは基本的に千早君と入る町中華くらいのものだが、ああした店の餃子はコストパフォーマンスが必須なので、どうしても食材にこだわることはできない。その点、家庭で作る利点はアレンジが効くということだろう。

 ソファを立って冷蔵庫の中を物色する。幸いなことに魚介類や大葉、オイスターソースなどの調味料なども揃っていた。しかし、流石に餃子の皮がない。皮から自作することも一瞬考えたが、初挑戦するのはリスクが大きかった。

「千早君。買い物に出かけますが、行きますか?」

「うん。ついでに本屋に寄っていい?」

「商店街の方に行きますから、そちらでよければ」

「青木書店な」

「何か狙いの本が?」

「集めてる漫画の最新巻。ほら、呪いがどうたらこうたらのバトル漫画」

「素晴らしい。読んだら私にも貸してください」

「ああ。でも、いいよなー。あんなに派手に戦えたら。楽だぜー、きっと」

 千早君の言いたいことも理解できない訳ではないが、あんな真似が出来るのは柊さんくらいのものだろう。今は亡き、帯刀老や木山氏もそういう世界の人間だったように思うが。

「現実はどうしても地味ですからね」

「地味とか言うな」

 傷つくだろうが、と小突かれる。

 身支度を済ませてからマンションを後にする。車で行こうかとも思ったが、商店街まで歩いて行けない距離ではない。車に頼ってばかりいると運動不足になるので、この寒空だが歩いて向かうことにした。

「散歩は嫌いじゃない」

 そう千早君は上機嫌に言ったが、かなり気分に任せて言っているのであまり当てにはならない。つい先日は逆に車で行くと言って聞かなかったのだが、当人はそんなことなどもう微塵も覚えていないだろう。

「商店街で何買うんだ?」

「まずは餃子の皮ですね」

「ああ、なるほど。俺、デカいのがいいな」

「あまり大き過ぎると食べ難いですよ」

「そういや、福岡で食べた餃子はやけに小さかったよな」

「鉄板餃子でしたね。小さくて食べやすかった。柚子胡椒がついて出てきたのには驚きましたが、あれも地方性というものでしょう」

 他愛のない話をしながら歩いていくと、思いの外あっという間に商店街へ着いた。

 新屋敷サンロードは新屋敷のアーケード通りの中でも古いもので、規模は駅前のものには劣るけれど、専門性の高い店が密集しているので地元の支持が厚い。若者が遊べそうなゲームセンターなどが出来たこともあったが、なにぶん客層が地元の主婦ばかりなので数ヶ月ほどで逃げるように撤退した。

「ごめんください」

 私が最初に戸を叩いたのは『なぎら製麺所』である。地元の飲食店に様々な麺を下ろしている老舗で、私もたびたび此処へ麺を仕入れにやってきていた。特に正月の年越し蕎麦は此処の蕎麦でなければ年を越した気にならない。

 乱雑とした作業場のようにしか見えないが。実は声を掛ければ製品も売ってくれることを殆どの方が知らない。

「龍臣君か。いらっしゃい」

「お久しぶりです」

 店主の大内さんは七十を過ぎた職人さんだが、商店街でも大きな発言力を持つ一人だ。商工会でも古株として存分にその手腕を発揮している。

「なんだ。今日は生意気なのも一緒かい」

 生意気なの、と呼ばれて千早君がニッと笑う。

「悪かったな。生意気で」

「こんなチンピラみたいなのを居候させるなんて人が良過ぎるぜ」

 はは、と苦笑するしかない。

「爺さん。こないだの将棋の負けの分、覚えてんだろな」

「へっ。次に取り返すさ」

 私の預かり知らぬところで二人は将棋友達になっていたようで、銭湯で将棋勝負をしているらしい。お互いに昼飯や金銭を賭けたりしているようだが、その辺りのことは公務員としてあまり聞きたくないのでいつも知らないふりをしていた。

「実は餃子の皮が欲しいのですが」

「あるよ。大判もあるけど、どうするね」

 私がどうしたものかと思案していると、千早君が間に割り込んできた。

「デカい方がいい。百枚ちょうだい」

「え? 百枚?」

「ああ。そんくらい食うだろ? どうせ大野木さんは米食わないんだし」

 完全栄養食なので、白米まで食べていたら炭水化物過多となってしまう。それにしても百枚は多過ぎる気がした。

「半分で良いのでは? せめて六十枚くらいで」

「嫌だ。今日はうんざりするほど餃子を食うんだ、俺は」

 かつて見たことがないほど固い決意を目の当たりにして、私は早々に諦めた。彼がこうすると決めたら、これが覆ることはまずない。それが食に関することなら尚更だ。

「分かりました。では、大判で百枚ください。千早君、責任をもって食べてくださいね」

「大野木さんも食うんだから、多分残らねぇよ」

 半分でも五十個の餃子を食べることになる。そんなに一人で食べられるものか。

「若いなあ。もし余ったなら水餃子にもして食べな」

「そうですね。そうします」

「だから余らねぇって」

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