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御坊は夜に囁く 二夜

 おや、こんな夜更けにどうなさいました。厠はあちらですよ。
 なるほど。目が冴えて眠れない、と。無理もない。今夜は蛙たちの声がひときわ響きますからな。山の麓ですから、この時期は特にざわつくのですよ。
 さて、では拙僧が眠たくなるような小噺をひとつ、お聞かせしましょう。
 さぁ、こちらへ座って。身体を冷やすといけません。
 今宵は夜風が特に厳しいですからな。

   〇
 人間には業というものがございます。宿業とも言いますが、ともかくその人の背負うべきもので、ほとんどの場合は自らの行いによって生まれるのですが、中には父母や先祖の犯した業を子々孫々が背負わねばならぬこともあるのです。
 
 その葬儀は、初めから少し変わっておりました。
 昨今は自宅で亡くなる方は少なく、ほとんどの場合が病院で息を引き取るのですが、この方は『父が危篤になっている。最期を看取って、お経のひとつでも唱えて頂けませんか』と直接、お申し出がありました。御父上は門徒さんでしたが、人付き合いの苦手な方でそれほど親しくはしておりませんでした。お寺だからという訳ではなく、厭世的な家でしたから、門徒会にもいらしたことはありません。
 唐突な申し出に戸惑いましたが、最後の務めと思い、すぐにご自宅へお伺いしました。御立派なお屋敷の門を潜り、玄関へ向かいますと、玄関の前に黒い人影が数人立ち尽くしておりました。
 ええ、ええ。一目で人ではないと思いましたよ。私は彼らの脇を、取り出した数珠を手に横切ると、玄関から奥へお声がけしました。すぐに息子さんが出ていらして、屋敷の奥へと案内されたのです。
 一番奥の仏間に御父上がいらっしゃいました。布団で横たわる御父上の顔にはくっきりと死相が浮かんでおりましたから、正しく臨終間際であることが見て取れました。人間、死の間際といいますのは、独特の空気を纏うもの。浅い呼吸を早く繰り返すのは、残り短いロウソクの火が激しく揺れるのに似ております。
 私は息子さんに挨拶をしてから、お父様へお声がけしましたが、なんの反応もございませんでした。
「ご住職。この度は唐突に無理な申し出をしてしまい、ご足労をおかけして申し訳ありません。父のことです。失礼なこともこれまで沢山あったのではないかと思いますが、何卒お許しください」
 息子さんは還暦を迎えたくらいの歳に見えましたが、私はこれまで御家族にお会いしたことがありませんでしたから、ご家族がいらっしゃることにも驚いておりました。
「実は私が幼い頃に、父と母は離婚しておりまして。母は理由を話してはくれませんでしたが、年に数回も会っていれば父という人間がどういう人間かはわかります」
 息子さんはそう言ってから、おもむろに蒔絵箱を取り出しました。螺鈿細工の施された美しい蒔絵箱でしたが、よく見ると地獄の炎のようなものが禍々しく描かれておりました。
「これは?」
「債務者が亡くなり、回収できないままの借用書が入っています。祖父の代から続く高利貸しだったそうで、その、大変多くの方から恨まれたそうです」
 彼は蓋を開けないまま、私の方へそれを差し出しました。意図は明らかでしたので、私も黙って頷いて、箱を預からせて頂きました。
 それから三時間ほど経ったでしょうか。夕月が窓の外に見え始めた頃、とうとうその時がやって参りました。
 はっ、はっ、と短く息を吐くのです。まるで、残る命を全て吐き出すようでした。
 最後にお父様が目を開きました。白内障で白く濁った瞳が、恐怖に怯えておりました。きっと布団の周りに立つ、彼らのことがくっきりと見えるのでしょう。
 最後の吐息が、体からこぼれ落ちました。長い長い溜息のようでもあり、声にならぬ悲鳴のようでもありました。
 私は首筋に手を当てて脈を探してから、瞳孔が広がっているのを確認しました。
「ご臨終です」
 長年のわだかまりから解放されたように、息子さんの身体から力が抜けていくのが分かりました。言葉を噛みしめながら、ありがとうございます、と仰いました。
 それからお経を唱え、息子さんと通夜と葬儀の打ち合わせをしました。門徒会の会長にもご連絡をし、集落の婦人会へも一報を入れます。
 誰もが淡々と訃報を聞いていましたが、中には吉報を受け取ったように喜ぶ方もいらっしゃいましたから、きっと色々あったのでしょう。

 その日の晩に通夜を行い、翌日は葬儀となりましたが、弔問客は少なく、門徒会の役員の皆様がほとんどでした。身内の方は喪主である息子さんだけで、一族の方はどなたもいらっしゃいませんでした。
「母は、父の家系は呪われていると言っておりました。実際、父の兄弟も全員が悲惨な亡くなり方をしていますから。父は比較的長生きした方ですが、病魔にあちこち蝕まれての最期でしたから、長く苦しんだでしょう」
「息子さんが立派に喪主を勤めているのを、きっとご覧になっていますよ」
 葬儀が終わり、出棺の前に私は件の箱を開けました。中には埃かぶった紙が何通も出てきましたが、それらを全て棺の中へ振りまきました。そうして、蒔絵箱も中へ無造作に置きます。その様子を見ていた門徒会の皆様も事情を察して合掌なさいました。
 葬儀の間ずっと棺を取り囲んでいた黒い人影たちが、我先にと棺の中へ。七人全員が入ったのを見届けてから蓋を堅く閉じました。どん、と一度だけ内側から強く音がしましたが、誰も取合うことはありませんでした。
「出棺致します。皆さん、お力添えをお願い致します」
 喪主を含めた、門徒会の比較的若い四人で持ち上げようとしますが、いつまで経っても持ち上がりません。とても無理だ、ということになりましたので、寺の若い者を数人呼んで参りました。衰弱し、30㎏程度の御老人の棺を結局大人6人で運び出し、霊柩車へ。
 途中、何度か棺を内側から叩く音がしましたが、喪主以外の誰も反応しようとはしませんでした。
「業はお父様に背負って頂きましょう。禍根が孫子の代に残りませんように。この後の沙汰は閻魔様たちがお決めになることです」
 残された者にできる事は、故人を想い祈る、その一点のみにございます。
  
  〇
 これで今宵の噺はお終いです。
 え? あの方が生前なにをしたのか?
 それは拙僧にもわかりません。
 ただ、死してなお、離れられぬほど恨まれていたのは違いありません。すでに屋敷も取り壊され、ぽっかりと穴が空くように、剥き出しの土地がそこに佇んでいるのみです。
 ああ、念のため申しておきますが、興味本位で近づくようなことはされませんよう。家や土地に染みつくもの、それは目には見えぬだけで在るのだと言うことを、努努お忘れなきように。
 土地が慰められ、草木が生えるようになるまでは、自然に任せておくのが良いのです。

 それが、道理というものでございますから。

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