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「実話怪談」踏みつけるもの

 大分県某所。

 時代は昭和三十年頃。

 仮に、佐山さんとしておく。


        ◆

 彼がまだ地元で学生をしていた頃、今は使われなくなった県道に面した想念寺という寺院の裏手に、とかく評判の悪い家があった。

 石見家という。

 老いた両親と中年の息子が暮らしていたが、とにかく素行が酷かった。父親の方は金に困ると隣近所へ借金を頼みにやってきて、小銭でもなんでも幾らか渡すまで帰ろうとしない。母親の方もやれ醤油が足りない、味噌が切れた、と言ってはにこやかに家にやってきて、ひとしきり世間話をして家の中にある物を必ず何かしらくすねていった。そうした行いに腹を立てて追い返すと、今度は事情を聞いた息子が金属バットを持って怒鳴りつけにくる始末だった。この息子は中年になってもまともに働きもせず、親に金をせびっていた。

 佐山さんの家も含めて、近所に暮らす家々は石見の人間とはなるべく関わり合いにならないようにしていた。特に息子の方は癇癪を起こすと何をするか分からない。この息子は、器量のいい若い娘を見つけると、すぐさま家へ行って「嫁にくれんか」と脅しつけてくるような男で、当然断られるのだが、そうなると今度は乱暴を振るおうとするので警察を呼ぶ騒ぎになった。逆恨みをして火を放ったことがある、という噂が流れたこともあったが、真相は知らない。

 早くいなくなればいい、そう町中の誰もが思っていた。

 その願いは、図らずも叶うことになる。

 暑い夏の盛りに、橋の上で踊り狂う人影があった。見つけたのは煙草屋の婆さんと、中学生になる孫の男の子だ。橋にかかった石橋のちょうど真ん中あたりで、まるで熱した鉄板の上で悶えるようにヒィヒィと悲鳴を上げていた。

「石見の所の爺じゃないか。頓狂な真似はよしてくれ」

 婆さんの声にも気づかないのか、老いた父親は気が狂ったように踊り続けた。

「おお、嫌だ。さあ、おいで、見てはいけない。こっちまで気が狂うよ」

 それからというもの、町のあちこちで踊り狂う父親の姿が見られた。まるで自分についた火を消そうとするように、手足を振り回して叫びながら足をばたつかせて、やがて気を失って卒倒する。これが石見家の者でなければ助けようと人が集まってくるのだが、関わり合いになりたいと思う者はいなかった。村八分という言葉があるが、それもやむなしという家だったのだ。

 そんなことが半年ほど続き、とうとう死んだ。

 橋の上で唐突に暴れ出し、欄干から川へ身を投げた。先日の雨で増水した川は荒れ狂う濁流と化していた。そんな所へ身を投げれば、どうなるかなど考えるまでもない。遺体は中々見つからず、十日ほどして海で漁師に見つけられたという。遺体は損壊が酷かっただろう、と皆が噂した。葬式はあげなかったようだ。聞けば、もったいない、と坊主も呼ばなかったらしい。石見家には仏壇さえなかった。買おうと思えば買えただろうが、あの家の金は賭け事と酒に消えていくばかりだった。

 それから十日とせず、今度は母親の方が狂ってしまった。

 もう冬になっていたというのに、熱い熱いと町内を叫びながら駆け回った。昼夜も問わず、甲高い声で絶叫するので堪らなかった。それを息子が捕まえ、怒号をあげて紐で縛って母親を家へ連れ帰る様子は、まるで地獄の鬼のように見えた。

 息子は母親が外へ飛び出して行かないよう、縁側の柱に結びつけていた。まるで犬のような扱いに周囲もあんまりだと言ったが、息子は烈火の如く怒り狂った。見物料だと金を巻き上げようとするので、誰も石見家には近づかない。朝となく、夜となく、生きながらに火に焼かれるような悲鳴が町に響いて堪らなかった。

 しかし、母親の方はひと月も保たずに死んだ。

 朝方、家の前で凍死している所を巡回中の警官が見つけたという。腰に巻きついていた縄は、齧り切ったように先がなかった。夫の死から四十九日と経っていなかったので、死人に袖を引かれたのだと皆が噂した。

 瞬く間に両親を失った息子は、家に閉じこもったまま決して外へ出ようとしなかった。しかし、食糧でも尽きたのか、丑三つ時になると息を潜めて、あちこちの家へ盗みに入るようになった。髪は伸び放題、全身が垢に塗れて、人に見られると悲鳴をあげて逃げる様子は、まるで地獄の餓鬼のようだったという。

 一度だけ、佐山さんはその様子を目にしたことがあった。

 どうにも寝つくことができず、家の周りを散歩に出かけた真夜中。夜桜の見事な大通りで、背中を丸めてひたひたと歩く人影を見た。一瞬、大きな猿のように見えたそれは、こちらに気づくと足を止める。僅かに上下する体、手に持っているのは小動物の死骸のように見えた。すえた、酷く獣くさい匂いがした。

 それはぶつぶつと何か呟いていたが、やがて興味が失せたように夜の闇の中へと消えていった。

 石見家の息子が死んだのは、父親が狂い始めた夏を思い出させる、酷く蒸し暑い日だった。

 大量の蝿が湧いている、という近隣の人の通報を受けた警察が、石見家の和室で餓死している男を発見した。季節柄、腐乱が酷く、窓を開けると蝿が雲霞の如く空へと飛んでいったという。


        ◆

 石見家には血縁がおらず、家は建て壊されることもないまま、朽ちるに任せるまま放置された。

 近隣住民のみならず、町のあちこちで安堵の声が聞こえたが、それも長くは続かなかった。

 石見家は簡素な木の屏に囲まれた、古い木造平屋だ。戦後によく見られた荒屋に近く、申し訳程度の小さな縁側があるばかりで庭には植木一本見当たらない。縁側の障子は外れたまま朽ちて、畳の居間が野晒しになっていた。屋根瓦は落ちるか、或いは砕けていて隙間から草木が生えていた。

 そんな家から声がする、という。

 陽が沈んだのを見計らったように、ぶつぶつと呟くような声がする。恨みがましいというよりは、懇願するような、赦しを乞うような声が近隣に響いた。ある者は木塀の隙間から、荒れ果てた居間に立ち尽くす三人の影を見たと言い、またある者は泣き叫ぶ声を聞いたという。

 隣近所の人間からすれば、迷惑この上ない。この世に未練があるのか。ともかく何か手立てはないかと考えた結果、石見家の裏にある寺へと相談に言った。

 住職は老齢であったが、話を聞いた若御院が快諾してくれた。

 自治会の役員が数名、形だけでも弔問客として参列し、供養を行なった。その中に佐山さんの父も出席していた。

 朗々と読経の声が響き渡り、全員が焼香をして法要は滞りなく終わったが、若御院が縁側の沓脱の石を指差して、「底をこちらへ向けてください」という。参列者たちは古い苔むした長方形の石を苦労して裏返すと、皆一様に言葉を失った。

 墓の頂に据える石、いわゆる竿石が沓脱として使用されていた。


 偶然か、因果か。

 刻まれていた家名は、石見家之墓であったという。 

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