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贄尊扇使

 薄暗い室内をパソコンのモニターの光がほのかに照らし上げる。単身者用の1DKの室内、ゴミ袋が散乱し、中身の残ったペットボトルがあちこちに転がっていた。
 パソコンにかじりつくようにしてモニターを覗き込んでいるのは、中肉中背の男で、青ざめた顔で必死にタイピングしている。
 スレッドにはそれぞれの抱える不平不満が口汚く、あるいは悲観的に綴られていた。男もまた自分がいかに辛いかを書き込んでいく。

《522 青汁男爵
 もう何もかもが嫌になったよ。どうせこれから先も良いことなんて何ひとつないんだ。女にもモテない、遊ぶ金もない。生きてる意味がわからん》
《523 スプーキーブギー
 わかるヨ、わかる。生きていくだけでマジ面倒。もうシニタイ》
《524 敏感秘書
 なんか皆さんの話聞いてると、社会人になるの嫌だなって思う》
《525 青汁男爵
 大学に行けるだけマシ。高卒で就職した俺は底辺負け犬》
《526 トワ
 皆さん、お疲れ様です。今夜の儀式が、今終わりました》

 男が思わず椅子から立ち上がり、興奮した様子でモニターに顔を近づける。血走った目の端には涙が浮かんでいた。

《527 青汁男爵
 トワ、待ってたよ!》
《528 スプーキーブギー
 キタよ、キタよ!》
《529 トワ
 動画のパスワードはいつもの。みんな、ロットホイップに祈りを捧げよう》
《530 スプーキーブギー
 ロットホイップ、ホントに尊敬するヨ》
《531 敏感秘書
 やっぱりロットホイップだったんだ。そろそろのような気がしたんですよね。彼女、かなり辛そうだったから》
《532 青汁男爵
 ああ、無意味で穢れた世界から解放されたんだね。羨ましい。本当に勇気がある》

 表示された動画を再生する手が、期待と恐ろしさに震える。
「ああ、くそ」
 苛立ちながらボタンをクリックする。
 薄暗い森の中を映像が歩いていく。僅かな光源はビデオを持っていない方の手にあるのか、歩くたびに影が左右に揺れる。
 森の奥、木立の前で止まる。カメラの前へと出てきたのはスーツ姿の女だ。年齢はまだ若い、20代前半ぐらいか。長い髪を肩から垂らし、血の気の引いた青い顔色をしている癖に、頬だけがやけに紅潮している。
『みんな、こんにちは。ロットホイップです。ごめんね、本当はみんなと一緒にって思ってたんだけど、どうしても耐えられなくって。会社にね、すごく嫌な上司がいるんだ。そう、前に話してたでしょ?』
 自分の体を抱くように身を折り、震える声で絞り出すように言葉を続ける。
『もう、どうしようもなくなったの』
 嗚咽を漏らす女の肩を慰めるように、カメラを持つ男が優しく叩く。
『君の誇り高い魂が、これ以上、穢れてしまうのを僕は許せない』
『トワ。ごめんなさい。貴方と一緒にいくべきだったのに……。』
『泣かないで。君には、僕らの水先案内人になって貰うのだから』
 女が泣きながら頷く。
 そうして、男が彼女へ手渡したのは鈍い輝きを放つナイフだった。
『ありがとう。トワ。みんな』
 立ち上がり、女が木に背中を預けて立つ。ゾッとするような美しさの微笑みを浮かべて。
『さようなら。ロットホイップ』
 薄白い首筋に深々とナイフの切っ先が突き立つ。
『ぐっ、ぐぐ、ぐぅっ、げふっ!』
 くぐもった声を漏らしながら、首を真横に裂いていく。まるでホースの水のように勢いよく血飛沫があたりに撒き散らされ、やがて力を失ってその場に崩れ落ちた。
『みんな、ロットホイップも逝ってしまった。彼女の高貴なる魂に、祈りを』
 カメラが周囲を映し出す。木々の合間に垣間見える、朽ち果てた幾つもの残骸。腕や足を伸ばした、屍の成れの果て。
『僕らの仲間たちに敬虔なる祈りを』
 動画はここで終わっている。
「うぅ、ロットホイップ。あんな綺麗だったのかよ、畜生。もったいねえ。こんないい女が死ななくちゃいけないなんて間違ってる」
 男はボロボロと泣きながら、モニターをベタベタと触る。
《533 トワ
 彼女たちは勇敢だった。その高貴な魂は僕たちを導く光になったんだ》
《534 敏感秘書
 次は僕たちの番。そうですよね。トワ》
《535 青汁男爵
 伝説を作るんだ。この肥溜みたいな世界から抜け出してやる》
《536 スプーキーブギー
 やっとリアルに会えるんだネ。トワ、トワ、トワ!》
 誰も彼もが熱を帯びたように、コメントを叩いていく。
 男は泣いていた。
 悲しみなどではない。言葉にできない、何かとても大きく価値のあるものに自分が選ばれたのだという感覚があった。普段の会社でゴミ屑のように扱われている自分ではない、此処にいる自分こそが本当に価値のある自分なのだということが嬉しかった。
『さぁ、僕たちだけの神事を始めよう』
 偉大なる導き手、トワの最後のコメントは、まるで耳元で囁くように聞こえた。

   ●
 県境の山岳地帯を蛇行して走る山道を公用車で走りながら、助手席の千早君に目をやると、座席を最大まで倒して横になっている。時刻はまだ早朝も良い所だが、眠っている訳ではない。右腕が痛むのだそうだ。
「大丈夫ですか。千早くん」
「元気ハツラツに見えるかよ。腕痛ぇ」
「腕はもうないのに、腕が痛むだなんて」
 幻肢痛。手足などを欠損した場合に、脳がその箇所をまだ存在すると誤認し、痛みを感じてしまうという一種の心身症。四肢を欠損した多くの人が患うというが、千早くんの場合にはそれが霊的な感覚と繋がっている。
「腕の感覚だけはしっかり残ってるからな。でも、こんなに痛むのは久しぶりだ」
「まだ現場までは距離がありますが、どこかで休憩していきますか?」
「いや、大丈夫。でも、大野木さん、今回はかなりヤバイと思う」
 こちらを振り返らないまま、呟くように言う千早くんの姿を見て、背筋が震えた。
「珍しいですね、そんな風に断言するのは」
「いつもと少し違うんだよ。上手く言えねぇけど、なんだか変な感じがする」
「依頼の形もいつもとは違いましたからね」
「警察から内々にって話だったんだろ?」
「ええ」
 知り合いの刑事から声がかかったのは、二日前のことだ。
 先月から数えて合計14名の男女が忽然と姿を消すという連続失踪事件。年齢も性別も共通点はなく、全員が知り合いという風でもないというが、その消え方は共通している。
「神隠しに遭った、と騒ぎになっているそうです」
「神隠し、ね」
「例えば最初の失踪者の方は、新屋敷にあるマンションの自室にいた筈が、母親が夕食の誘いに向かった時には姿を消していたそうです。両親はすぐに警察に捜索願を出しましたが、未だ発見に至っていません」
 さらに言えば、マンションの監視カメラにも彼女が出ていく姿は映っておらず、また訪ねてきた者もいないという。
「他の13名も全員がです。直前まで友人や恋人、家族から目撃されているにもかかわらず、何の前触れもなく、ここ数週間の僅かな間に立て続けに消えたとなると。神隠しと揶揄されるのも仕方ないかと」
「で、なんでこんな山ん中を走ってるんだ?」

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