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嗣人
2020年3月10日 13:51
母が蒸発した翌年、祖母が癌で死んだ。 高齢なので進行が遅く、祖母は長く苦しまなければならなかった。最終的にはモルヒネで激しい痛みを和らげながら、心臓が止まるのを待つしかない有様だった。そんな看取る人間も磨耗していくような日々が終わった時、私は心の底から安堵した。もう苦しむ祖母を見なくてもいい、そう思うと嬉しささえ感じた。 私はついに解放されたのだ、と。 母が蒸発してから私は大学を辞め
2020年12月14日 22:10
茹だるような暑い夏の日だった。 五条旧街道もあまりの暑さに陽炎が揺らめいている。最近は舗装されている道も多く見かけるようになったが、まだまだ少ない。この街道のように凹凸の激しい地面ばかりだ。 風鈴の音色が耳に煩い。 ハンカチで汗を拭いながら、鞄の紐を肩にかけ直す。 街道に面した一軒の民家、表札には『福部』とある。玄関の戸を開け、中へ声をかける。「木山です。お約束のものをお持ちしました」