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シュールを求めて

先日、今はもう使っていないメールの受信ボックスをふと覗いてみた。受信ボックスは、登録したサイトから定期的に来るメールでいっぱいになっていた。その定型メッセージ達をなんとなく物寂しい気持ちで眺めていると、ひとつだけ毛色の違うメールが紛れ込んでいた。

「あなたの商品が購入されました」

なんだろう。と開いてみると、どうやら僕が以前作ったTシャツを、誰かが購入してくれたらしい。過去のエッセイでチラッと触れたが、僕は昔4コマ漫画をネットに投稿していた。その活動のひとつとして、自作グッズを販売していたのだ。でも、すっかりそんなことは忘れていて、感動よりも先に懐かしさが込み上げてきてしまった。

↑[実際の売れたTシャツ]

う~ん、我ながらシュールなイラストだ。こんなTシャツを購入してくれるなんて、物好きがいるもんだなぁ‥‥。しかし、この世のどこかにこのTシャツを着てる人がいると思うと、遅れて感動が押し寄せてくる。

このTシャツもそうだが、他のグッズもシュールなイラストのものが大半だ。4コマも、シュールなネタをずっと書いていた。そしてそれは、僕がシュールなものが大好きで、それらに影響を受けたからに他ならない。

ニャロメロンさんや、吉田戦車さんの4コマなんかも読み漁ったし、天竺鼠や野生爆弾くっきーのネタも大好きだ。ごっつええかんじのコントなんて、最高級の絶品だ。

けれど、ここで疑問が生まれる。シュールって、一体、何なんだ。解明したい、そして僕のものにしたい。僕はシュールを求める旅を始めた。

旅の始まりは小学五年生ぐらいの時だ。当時から、ごっつええかんじやダンディ坂野のシュールネタにゾッコンだった僕は、覚えたてのパソコン操作に四苦八苦しながら、当時流行っていたおもしろFlashなどを漁っていた。そして、ネットに作品を投稿するということに衝撃を受け、すぐに自分でもシュールネタを作りたいという気持ちが湧いて出てきた。しかし、11歳の少年にはその方法なんて見当もつかず、歯痒い思いをしていた。

だがその少し後、衝撃的な出会いを果たした。それは「ゲーム実況動画」との出会いだった。カメラとゲームがあればすぐにできる。とてつもなく魅力的だった。すぐに友人数名を家に集め、ゲーム実況動画撮影に夢中になった。けれど、すぐに壁にぶつかった。そもそもシュールなんてあやふやな目標で、どうやっても理想に近いものは作れなかったのだ。しばらく経って、中学生になる頃にはもうすっかり忘れていた。

しかし、中学生にもう一度同じ様な出会いを果たすことになる。それは「生配信」だった。知り合う人にも恵まれ、ネット上でいろんな企画を立ち上げたり、とにかく楽しい時間だった。

そして高校生になり、4コマ漫画に出会った。これが一番心を揺さぶる出会いだったかもしれない。今までの動画や配信という活動よりも一層、「ひとつの作品」を作り上げる感が強くあった。「これだ!!!!」と思わず声を張り上げたいレベルだった。

学校にいる間はネタを考えて、帰宅してすぐに描く。グッズ等のデザインを考えるのも大好きだったので、一人でうんうん唸りながら考える時間は至福だった。

落語を見に行ったり。漫才やコントを見に行ったり。元々お笑いも大好きだったので、色んな分野のお笑いを吸収するのにも余念がなかった。

今思うと、この時期が一番真剣に「シュール」というものに向き合っていた気がする。

だが、結局その実態を掴むことはできなかった。

シュールさを追い求めて、奔走してきたのに、どこに不時着してしまったのかも分からない。だけれど、その追い求めて来た結果が、今このエッセイを書くに当たって役に立つことがあればいいと、そう思う。

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