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文章は目的では無く方法だとやっと気が付いた

文章を書くことが好きなのか嫌いなのかよくわからないまま生きてきた。

小学生の頃から作文が得意で、多分今でもそれなりに得意な方だと思う。文章を書くのが好き、と自分で思っていたが、振り返ると文章を書いているときはたいてい苦しい。

苦しいくせに、ずっと文章が表現方法で残念ながらそれ以外の方法がない。

文章が好き、と言いながらライターのバイトをしては即辞め、小説を書くのは苦行で、文章教本を買っては放置する。

言葉が好きとか言いながら言葉の意味にあまりこだわらないし、語彙は少ない。類語辞典?なにそれおいしいの?レベルである。

そんな感じで30年生きてきて、本当にようやく気付いたことがある。

文章は表現方法であって、目的ではない。

文章を書くことそれ自体が好きなわけではないが、自分の表現したいものを文章で表現するのは嫌いではない。

自分がこの世に生み出したものが好きで、だから自分が書いたものは好き。

言葉の細かな意味にそこまで興味を持てないけれど、言葉のリズムと雰囲気にこだわるのは好き。

単語よりも文章の流れにグッとくる。外国語で一番好きなのはしっくりくるリズムの文の並びを見かけたとき。


書きたいものがあるときに、書きたくなる。

書きたいものがないときはかけない、この当たり前のことにようやく気が付いた。

表現の仕方を磨こう磨こうとしてきたが、結局大切なのは表現したい内容で、それがあるから表現が生きてくる。逆に言えば表現したいことがないのに方法に拘っていても、スカスカなものが出来上がるだけなのだろう。

体裁にこだわり続けてきたような気がするが、なぜだかこの年になってじわじわと、大切なのは中身なんだよなあ…と至極当たり前のことを感じるようになった。

中身を磨きたいが、それも磨くというよりは繊細に感じる、ということが必要なんだろうな。

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