自分を快適にするという意識

前の投稿から半年ほど開いていた。

その間に、仕事を辞めて、転職活動をした。契約社員から正社員になって、来月から業種も職種も未経験のものになる。コロナと同時に実家に帰ってきて、二年ほど契約社員でぬるく働いていた。もちろん年収もめちゃめちゃにぬるい。一人暮らしなんて到底出来ない金額だった。

転職したら一人暮らしに戻るつもりだったのが、縁のあった会社は実家から通える場所にあった。

私は祖母が使っていた部屋に住んでいる。それまで随分使われていなかった部屋だし、荷物もあって、環境は良いとは言えない。

カーテンは煤けていて、レースカーテンは外から中が見える。すぐ道から人の声が大きく聞こえて、部屋のベッドの中でまるまって過ごすことが多かった(大体スマホを見ながら)。小さい机があるがそこで何かをする気にもなれず、何をするにも基本的にはベッドにいた。

ベッドでPCを打って、本を読んで、寝る。コロナもあるけど休日はそれほど外に出ない。車は家族の物だし、友達は地元にはほとんどいない。病んでしまう程辛いわけではないが、常にきゅうっと縮こまって我慢して生きているような感覚だった。お金をためることだけがその月の生きている意味、みたいな。振り返った時に特に思い出もない、みたいな。なんとなく消化試合みたいな日々だった。(それを二次創作に打ち込むことでなんとか保たせていた)

転職が決まって、もうしばらく住環境が変わらないことが決定した。そのうち一人暮らしもしたいが、多分今はお金を貯めるべきだと判断した。

そうすると、この部屋でこれからも暮らすことが嫌だなと思った。ずっとベッドにいて、集中も出来ないし、縮こまって外からの騒音に耳をふさいで過ごすのは嫌だな、と。

そう思った時に、ようやく「住みやすい部屋にしよう」と思った。荷物をかたずけ足り移動させたりして、自分が常にいるベッド周りのスペースを改造した。

メルカリに出品する時にキレイな背景がない部屋だった。壁は土壁で照明は暗い。壁は、塗ればいいのだと気が付いた。手でぬれる漆喰を買った。その話を友人にしたら、彼女もやってみたいと言った。他人がやりたいと思うようなことを出来る隙間があったのに、私は何もせずに二年ほど耐えているだけだったのだなと気付いた。

中が見えてしまうカーテンを変えることにした。光が入って明るくなる、中が見えなくて防音効果のあるレースカーテンを買った。

12000円した。高いけれど、その機能があれば今まで嫌だったことが気にならなくなる(と思う)。

部屋のガラス戸はガラスが外れていて、防音的な機能はほとんどない。これも新しく戸を買えばいいということに気が付いた。ガラスではなく、木製の引き戸にする。これもまあまあ高い。高いけれど、多分変えたら気持ちがいいだろうなと思った。


これは、私の癖がすごくよく出ていたなと思う。嫌なことがあっても、自分で改善しようとせず、ただ耐える。耐えることを選択しているというよりは、それが当たり前という感覚だ。

不快なことに文句を言いながら、我慢してただ時間だけが過ぎる。もちろん満足感はなく、嫌だな……という気持ちだけが蓄積してネガティブになるのだ。

「自分を快適にする」という意識が、とにかくなかった。今も、そこに気が付いただけである。

でも、もう少しその意識を大切にしていこうと思った。不快になることはしない。快適になるように変える。

そうしたら、もしかしたら自責癖が弱まるかもしれないし、もっと心地よく日々を過ごせるのかもしれない。嫌な気持ちになる人とは付き合わないし、楽しいことに手を伸ばせるようになるかもしれない。

そんなことを思った。気付くのが遅かったなあ、と思った。出た自責癖。そんな感じ。


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