新年度
年度が替わり、組織はいじられ、人が右に左に、あるいは上に下に、と動いたが、あまり大きく変わったようには思わない。
特に自分は、上や左右に行きたいわけではないが、同じ場所で動かないのは、なんだかつまらない。環境が変わらないと、惰性に流されやすい。。
いわゆる、性善説とか性悪説とか、人間をバッサリと白黒分けるのを好むわけではないが、人間は弱くて怠け者だと思う。環境が「変わる」ことは受け入れるけど、「変える」こと、変えるためにエネルギーを出すことは、めんどくさがる怠け者。だから、誰かが変えてくれるとありがたい、周りが変わってくれるとありがたい、ちょっと小突いて動かしてくれるとありがたい。そわそわと、変わってほしいような、変わってほしくないような、キョロキョロとご様子見。
周りの風景が多少変わっても、自分が感じなければ何も変わらないまま。なにも新しくなんかない。
じゃあ、このまま何年も、このまま何も、変わらなかったらどうしますか。
その時は自ら変えるかな。いや、世界が勝手に変わってくれるだろ?誰かが勝手にいじってくれる。未来が自然にやってきてくれる。 だから、わざわざ自分で変える必要なんて、ないんじゃない? 怠け者は、そう考えるのだ。だって、自分で変えたら、変えたのはお前だ!って、他の怠け者から責任を問われる。だから自分からは動き出したくない。成否は人のせいにしたい、自分もそんな怠け者。
明日は、何も起きない、来月も何も起きない。起こさない。今日と同じ仕事をつづけながら、次の仕事を待つだけ。
待っていたら来るのなら、楽なもんさ。口を開けていたら食べ物が入ってくることなんて、ありはせん。でも、自分から取りに行って、ケガして帰ってくるよりも、安穏と機嫌よくただ待っている方が、みんなのためにもいいんじゃない? 切株の陰で、じっとウサギがすっころびに来るのを、待っている方が。
ウサギはいつまでも来ないかもしれない。
大群が通り抜けても、一匹も転ばないかもしれない。
ただ待つだけなら、せっかくだから、ウサギが来やすいように、しかけようか。ウサギが転ぶようにしかけようか。
ウサギがこけて、そいつを捕まえた奴は右か左か、あるいは上に動くことになるかもしれない。