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はじめてのnoteは忘れたくない大切な思い出を。今から15年前、私はまだ専門学生やった。よくウチに遊びに来ていた親戚のおじちゃん(昔からいつも犬を連れていたので犬のおっちゃんと呼ばれていた)が酔っ払った勢いで近所のホームセンターで仔犬を買った。

出不精の母を心配して散歩に行けるようにと思って買ってくれたらしい。ウチには昔雑種が2匹いて、その子たちが居なくなった悲しみが忘れられずに母は二度と犬は飼わないと言っていた。それでも急に連れてきた仔犬のかわいいこと。パピヨンの仔犬は両手に収まるくらいに小さくて綿みたいにフワフワで元気いっぱいの女の子で、マコと名付けた。
もともと近所の犬を散歩させてもらうくらいの犬好きだった私はマコが来たのがホントにうれしかった。パピヨンは小型犬だけど散歩が大好きで、当時からあまり体力がなかった母では持て余すほどの元気があった。月日が流れるとマコが居る生活が当たり前になってきた。でも私たち家族はどこにいくにも3人一緒で休みの日に何かするとなると、マコも一緒に行ける場所に行った。金比羅山の奥の院まで行って脱水症になったり夏に鳥取砂丘に行って砂が熱くて歩けなくてずっと抱っこしてたり、そこまでして連れて行かなくてもって思われるほどホントにずっとずっと一緒にいた。
私は就職して家族で引っ越ししたり、留学したりいろいろなことがあったけど帰ったら必ずマコが居た。一年留守にしようとマコは私を忘れずに飛びついて来てくれた。一度仕事から帰ってきた時にマコのお迎えがないからおかしいなと思って母の寝室に行ったら母が転倒して動けなくなっていたなんてこともあった。思えばずっと一緒に居たのは5年くらいで残りの10年くらいは月に1.2回会えればいいくらいの感じだったな。  

歳をとってくるとマコも病気がちになって何かしら病院にお世話になる事があった。犬だから痛いとかしんどいとか言わないから食欲がないとか、元気がないとか表情がいつもと違うとかコチラが気づいてあげないといけないのに私たちはなかなか気づくのが遅くて大晦日とかに緊急で診てもらうこともあった。病院が嫌いで尻尾を丸めて目で見てもわかるぐらいガクガク震えてたな。好き嫌いが激しいから手術して入院しても病院の治療食を食べなくて看護師さんたちも困って術後2日で試験外出したらあまりに元気になったから先生がそのまま退院させてくれたこともあった。ここ数年は母もマコもヨボヨボになっていて散歩の距離も短くなって。そして1年前の冬にマコは死んじゃった。前日まで母と一緒に散歩に行って、足の不自由な母を心配する素振りを見せていたらしい。乳癌が肺に転移して余命わずかと言われて1週間も経っていなかった。実家から離れたところに住んでいたけど、その日は帰ることにしていた。少しでも顔を見ておきたくて。でも、昼ごろ電話があり仕事終わりにかけ直すとマコが死んだと母から聞かされた。実家に帰る車内、運転しながら恐ろしいくらい涙が出た。もうちょっと待ってよ。って何度も思った。母からは急に痙攣をして苦しみだして数分後に息を引き取ったと聞いた。長く苦しまなかったらしいのがせめてもの救いだった。1年たった今でも思い出して寂しくなる。でもまた犬との生活がしたいと思う。

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