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エルヴェ ル・テリエ『異常【アノマリー】』-『ユリシーズ』とS・キングの異常な出会い-

概要

フランスの小説家、エルヴェ ル・テリエが2020年に発表した小説。本作はフランスの文学賞・ゴングール賞を受賞している。

たまたま新宿の紀伊国屋書店をぶらついていた際に、平積みになっていた本作を発見。中々に目を引く表紙のデザイン(ジョーダン・ピールの『us』のような不気味さもある)と、「あらすじすら検索禁止」という煽り文に轢かれて早速購入。早速読破してしまった。

あらすじ

断章ごとに登場人物が切り替わるオムニバス形式。
正体不明の敏腕殺し屋、翻訳で生計を立てる小説家、倦怠期を迎えた建築家、ペットの蛙を愛する少女、巨大案件を抱える弁護士、ゴキゲンなミュージシャン・・・

一見なんの関わりも無さそうな登場人物たちは、どうやらかつてある同じ飛行機に乗り合わせていたらしい。フランスからアメリカへと向かう最中、超巨大乱気流の中に飛び込んだ飛行機は無事フライトを終え、登場(搭乗)人物たちはそれぞれの日常に戻っていったと思われていた。しかし、実は世界の存在を揺さぶる大事件が起きていたことが明らかになる・・・

感想(ネタバレ無):S・キングの文学的分身

オムニバス小説の面白さは、長編小説でありながら短編小説でもあること、多彩な視座、視点、経験、思考を楽しめることにあるが、小説というテクストに目を向ければ、そこには文体自体の多様性という愉しみがある。

断章ごとに文体がガラリと変わるだけでなく、切り替わる文体が使用言語圏の歴史そのものである、というとんでもない作品といえばJ・ジョイスの『ユリシーズ』である。翻訳者の計り知れない努力にも頭が上がらない英語圏文学のひとつの到達点である本作では、主人公のある1日の生活が、古英語から「意識の流れ」まで、時代もジャンルも縦横無尽に飛び回りながら描写される。

一方で、文体遊びを娯楽小説のフォーマットに落とし込んでいる作家といえばS・キングだろう。デビュー作の『キャリー』は新聞記事や裁判所の書類を巧みにコラージュした構成となっているし、『ミザリー』も小説内小説やタイプライターといったギミックを活かしたサスペンスホラーだ。

本作『異常』も、ハードボイルド、恋愛、社会派、家族などのジャンルに加え、視点移動、コラージュ、メタ言及といった文体自体も断章ごとに切り替わっていく構成で、ジャンル小説の皮を被ったジョイス、文学としての愉しさに溢れたS・キングとも言える面白さに満ちた作品だった。

感想(ネタバレ有):M・ウェルベックの娯楽的分身

S・キングの大長編『ランゴリアーズ』は、飛行機が時空の裂け目に飛び込んでしまった結果、崩れ落ちていく「超近過去」の世界に迷い込んでしまう搭乗客のサバイバルを描いた作品だが、『異常』における飛行機は、乱気流に飛び込んだ結果、時間を超えて全く同じ航空機そのものが複製されてしまう。

航空機が複製された理由については作中で「シミュレーション仮説」に基づく仮説が提示されるが、SF的厳密性は本作において重要ではない。作中で9.11をきっかけに策定されたプロトコルには宇宙人襲来やゴジラ来襲も想定されているとあり、物語をドライブする以外の意味はない、ちょっとしたジョーク的な位置づけである。

作中には『異常』という同名の小説内小説を執筆する小説家が登場するが、彼の存在により、「小説『異常』を読む現実の我々」「小説『異常』内の世界に生きる架空の”粒子”」の関係性がシミュレーション仮説的な意味合いを孕み始める。

小説内の世界はでも9.11が起き、習近平は厳格な情報統制を敷いており、米国大統領はスタートレックとミッキーマウスにだけ食いつくアホで、コロナウイルスも流行っているらしい。終盤にさらっと描かれるキリスト教狂信者による凶行は直近刊行された超大作SF『疫神記』を彷彿とさせる。

文学は常に、作者-作品-読者の関係性を問うてきたが、本作もまた、現実世界とシミュレーション世界で上記の関係性を2重にも3重にもダブらせて揺さぶりをかける、文学についての文学である。

もちろん、自分自身の分身と対峙した者と、その瞬間に立ち会った者の、その後の人生の変化の多様性をオムニバス形式で描くことに本作の主眼があるわけだが、その対峙者ないし立会人として本作を読む読者も否応なしに引きずり出されるところに、本作が与える居心地の悪さがある。

M・ウェルベックの『地図と領土』では、M・ウェルベック自体が作中に登場し、虐殺されるが、『異常』では作者(名前こそ違うが)は自死の後復活を果たすことで、イエス・キリスト的存在を勝ち取ることになる。

作中で作者の分身は、シミュレーション仮説世界において創造主に人類としての価値を示すためには、英雄の出現を待望するのではなく、個人が変わり、適応することこそが必要と呼びかけるが、その言葉は、ついつい既存の宗教・信念や大きな物語に依存したくなってしまう、VUCA時代を生きる我々をも射程に捉えている。




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