本当の〝愛〟ってなんですか?【ACと向き合い続ける人生①】
この日記を見に来てくださった方へ
初めましての方は初めまして!普段読んでくださっている方は、いつもありがとうございます。
私の名前は「Lily Clown(リリィクラウン)」と申します。
普段はデスクワークのお仕事で働いている社会人で、ADHD(ASD)だったり、パニック障害だったり、時折発症する鬱であったりと、様々な精神的個性と向き合う日々を続けながら、自己成長のために日記を書き始めた者です。
拙い文だと思いますが、良ければ最後まで読んでくださると幸いです( *´꒳`*)
今回は、『私自身』に関する今現在も向き合い続けていることを、お話していきたいと思います。
私には、上記で記した個性以外に、心の性別がはっきりとしていない「Xジェンダー」と呼ばれる性別や、家族から上手く愛されなかったことによる「AC(アダルトチルドレン)」の傾向が強くあります。
そこで、本日は今も悩みながら向き合っていること。【AC(アダルトチルドレン)】に関するお話をします。
※人によって、強く共感しすぎるがあまり、心が落ち込んでしまったりする場合があります。苦しくなったり、悲しくなってきた場合は、すぐに読むのをやめて、自分をリラックスさせることだけに専念してください( *´꒳`*)※
↑上記をしっかりお守りの上、記事を読んでいただけると嬉しいです。
私には、お父さんの記憶がありません。正確には、お父さんの写真はあったのですが、見ても自分の父親だとハッキリ認識出来ません。
理由は、私が1歳になってから、父が別の人を好きになったため、母と離婚をしてしまったからです。
そのため、産まれてからはずっと母親と兄の3人家族でした。そこまでなら、きっとごくある「シングルマザー」な家庭。何も問題は無い...と思ったと思います。
ただ、私の家系は〝異常〟でした。
私の祖父は、とても大人しい性格で、常に人目を気にし、困っている人は見過ごせない人でした。
ただ、昔から「現実で起こっていないことを、あたかも誰かにやられた」と、被害妄想をする癖がありました。
実際は、祖父が無意識で片付けただけだったり、捨ててしまっただけということが多いのに、「泥棒に入られた!」「誰か俺の命を狙ってるんだ!」と、物事を悲観的に捉える厄介な人でした。
しかも、この時の発言を、祖父は〝はっきりと覚えていない〟のです。幼い頃の私から見ても、まるで「2つの人格がある」かのように、性格がいきなり変わることがありました。
そして、とても辛いことに「あんたおかしいよ」だったり、「1回病院に行ってきな」など、祖父を否定する発言をすると、優しかった表情が険しい顔に変わり、「俺は正常だ!!おかしくなんか無い!!」と早口でまくし立て、母親と口論しているのを何度も見て来ました。
その極度な「病院嫌い」と、強過ぎる「被害妄想」が故に、
『優しいけれど何処か「人として正常でない」祖父。』
というのが、我が家の〝普通な光景〟になっていきました。
また、母親には兄(以下叔父と記します。)がいました。叔父はとても頭が良く、大学にまで通い、取りたかった資格を取り、無事社会人...とはなれませんでした。
理由は、この祖父が「アルコール依存症」もあったためです。
酒を飲めば性格が一変。誰にでも暴力を振るったり、いきなりキレ散らかしたりと、家庭内では暴れていたそうです。
それ故に、幼かった母と叔父は、それが〝普通〟の光景となり、叔父は常に当たられる対象でした。
「なんで話を聞かねえんだ!!!」とキレられたときには、叔父は黙ってその理不尽な怒りを、受け続けることしか出来なかったのです。
それが原因で、叔父は社会に出てから「声」が聞こえるようになりました。自分を責め立てるような「声」です。
大好きだった車も、好きだったテレビ番組も、「正常に判断」が出来なくなるほど、現実とその「声」の境目が分からなくなってしまいました。
叔父は「統合失調症」になってしまったのです。
だからこそ、私が産まれた時には、叔父は既に病院に入院していました。外に出れば、「声」が聞こえ、ありとあらゆる物が自分のことを「見ている」と錯覚してしまうためです。
母からは常に言われていました。
「じっちゃん(祖父)は、自分のこと正常と思ってるから、絶対に否定しちゃダメだよ。」
「おじさんは、今病気にかかってしまって、入院してるんだよ。」
こうして、家族だろうと「発言を意識」して過ごす。というのが日常になっていました。
私にとって、これが〝普通〟の家族なのだ。と思い、育っていったのです。
ー続くー
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