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変わった死生観について

こんにちは。Lilyです。

7月は、梅雨明けからの怒涛の灼熱ラッシュでとても暑かったですね(笑)
私は、恋人さんと一緒に有名な花火大会を見に行ってみました。
花火って、ひとつの玉の中に大量の火薬があるわけで、その火薬の量を調整すると大きさや形や出てき方が変わったりするのですから、本当に不思議で日本ならではの伝統ですよね( *´꒳`*)
これからも、花火大会は消えずに残っていて欲しい文化だなあと感じました。

  さて、今回の題材ですが、6月のきっかけ(内容は下記のブログに載ってます。長文+精神に影響をきたす内容になってますので、閲覧注意です!)の後から、私の『死』に関しての考え方が少しずつ変わって言っていますといったお話となります。

前回のような長文にならないように(というか、読みやすいのがブログですので💦)、なるべく簡潔にまとめようと思いますので、こういう変わり方(成長の仕方)もあるんだなあと見ていただけると幸いです。

1.今までの私の死生観

  幼少期に両親が離婚してから、母親と兄の家庭で育った私ですが、兄は父親でもあって、いつも背中で語るような親代わりの人で、母親は家庭を支えるために働きに出ており、親らしいことをして貰えた!と感じたことは、あまりありませんでした。
  そのため、〝未完成な家族〟で育った私は、家族の中で尊敬出来る人は「兄」でありました。母親が尊敬出来なかった理由は、きっとあまりにも私の事より、兄ばかり見つめていると幼いながらにも感じていたからこそでしょう。
  兄は、私のやりたいことや出来ることを素直に褒めてくれました。でも、母親は褒め方が上手くなく、どちらかというと〝出来ないこと〟に対してばかり目を向けて、そのままでいいと肯定していました。こういった部分が、私の中でとにかく不幸な私でいなければ居場所が無いと、いつの間にか感じさせてしまった原因であり、いつまでも抜けられない負の循環に苦しまされてきました。

  そのストレスが、精神状態に現れ始めたのは、中学生の頃。いじめにより、居場所が無くなった私は、とにかく家にこもり不登校になりました。生きているのが辛いと感じており、お腹の痛みなど体調にまで異変が出ていました。
私自身、遅刻癖があったり、周りのしていることが理解出来ない部分があったりと(きっと、当時からADHDの気質があったと思われます)、その部分でも悩んでいたのですが、先生や親は理解が出来ず、ただ怠けているだけだと判断し、とにかく責められる毎日でした。

  不登校になった後も、そういった子達に向けた支援施設に通い、勉強は何とかついていけました。定時制ですが、高校も通え、短期大学にも通えました。勉学に関しては、何一つ問題なく、友達作りも高校に入ってからは恵まれましたが、不登校になった当時から今年の6月まで、私の心境は『早く死んでしまいたい』『この世から消えてしまいたい』と思うばかりでした。

きっと、誰にも見て貰えない現実が、心の底から苦しかったんだと今の私は思います。
当時の私は、『自分自身から望んで死を望んで』いました。

2.現在の私の死生観

  そんな日々から今年の6月の出来事が起き、自分の生きる意味を見つめ直してきましたが、大きく心境が変わることが増えました。

  まず、恋人さんの家族や私の友達、そして恋人さんからの大きな支え(愛情)を感じ取ることが出来、『嬉しい』『楽しい』といった感情が芽生えました。
  そして、恋人さんからの提案で、ショッピングに行ったり、遠方に出掛けて行ったり、キャンプを始めてみたりと、何かを始める『達成感』を学びました。

そうして行くうちに、気が付いたら私が今いる環境全体が大きく変わっていったなと感じ、『当たり前の幸せ』というものを体感出来るようになりました。

  こんなにも恵まれた環境に今居られることが、私としてはとてもありがたく、たとえ、不治の病にかかりました。と言われても、きっと自分のやり残しのないように過ごして、安らかに死を受け入れられるだろうなと、感じられるようになりました。

つまり、『自分自身から』ではなく、『自然のままを受け入れる』考え方に変わっていきました。
この考え方は、絶対に今までの私の中では芽生えなかった考えですし、環境が変わるだけでこんなにも受け入れ方や感じ方が変わるのかとも知ることが出来ました。

3.まとめ

  こういった形で、自分でも感じ取れたことは、私の中で大きな学びと成長になれました。

自分から望んで思う事と、変化により幸せを実感しながら望み思う事とでは、死の受け入れ方や考え方が、同じ意味でも大きく変わるんだなと感じました。

  今月中には婚姻届を提出予定ですが、私や恋人さんの誕生日も近づいてまいりました。
今年はどんなお祝いになるのかなと、前向きな幸せを考えられる。そんなごく当たり前な幸せを、きっと〝日常〟と呼べるのだろうなと思います。

皆さんの死生観は、どんな考え方ですか?
考え方は人それぞれですので、私はどんな考えでも正解だと思います。
生きているのが幸せと感じる人もいれば、死ぬ事の方が幸せと感じる人もいる。
そういう考え方って、宗教にもあったりして、ある意味考え方ひとつで、その人自身にとっての正解なんです。

そんなことに気が付けた本日のLilyの日記でした。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます。
また、気付きがあったら更新致しますので、よろしくお願いします( *´꒳`*)

Lily Clown

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