麻酔から目覚めたときの殺人衝動が書かれた俺の日記が秀逸だった

あらまし


10年前虫垂炎にかかり、盲腸を切除する手術を受けました。
その時、全身麻酔から覚醒する薬を打たれたのですが、薬の副作用で脳がバッドトリップしてしまい、その経験を日記に書いてました。
今日たまたま日記の整理などしていたら目にしたので、ネットの海を漂わせておくことにします。

日記

病院で入院中に思ったこと。

全身麻酔の覚醒に使った薬のせいで、人間を殺したいという殺人衝動にかられた。
悪魔ににささやかれる、妄想に取り憑かれるなど、そんな複雑な行程を経てではなく、もっと直接的に本能を直接刺激するような感覚だった。
まず、全身麻酔から目覚めるという経験は文字通り寝覚めが悪い。心底最悪の気分だった。
通常、眠りから目覚めるときは、頭はぼんやりして意識はまどろんでいる。それから徐々に意識が覚醒していくのが日常的な覚醒だと思う。
しかし、全身麻酔から覚醒するというのは、その工程を全てすっ飛ばして、意識のみが突然覚醒するような感覚だった。
それから、目覚めて一番最初に感じたことは、手術で切開したの腹の猛烈な痛みと、吐き気。
のんきに夜道を歩いていたら、急にプロボクサーのボディーブローを食らうような感じだ。
そんな動揺した意識のなかで、はっきりと、確実に、殺人衝動が俺に語りかけてきた。
殺せ!殺さなければ俺が殺される。死にたくはないだろう。今すぐ目の前にいる看護師につかみかかって絞め殺せ。と、、
まさに本能が叫んでいるような感覚。
本能に従い、霞んだ視界に映る看護師を襲おうとしたが、体が自由に動かないことに気がついた。意識のみが先に覚醒していて、体はまだ起きていなかったのだ。
襲えないとわかって、本能が悔しさの色を出したのを覚えている。
しかしそんな状態でも、かろうじて理性は少しだけ生きていた。そして、その理性は危険信号を発信していた。この殺人衝動は危険だ。
そして、理性のとった行動は自分が危険なことを誰かに伝える、ということだった。
しかし、今手術を施してくれた外科医や看護師に「俺は今あんた達を殺そうと思っている」などと言ってしまったらかえって危ないかもしれない。
だから、
「先生、俺なんか変です」
と言った。これが精一杯だった。
外科医は、
「大丈夫、麻酔には麻薬が含まれていてそういう症状も出るんだ。だけど、その薬が一番効くんだ」
と返された。
麻薬と言われれば納得ではある。とはいえ、俺が今危険な人間ということは変わらない。
看護師が「まだ18ですし、若いから」「半覚醒状態です」と話していたのを覚えている。
その時、視界の端に見舞いに来た父親と母親が見えた。
「ダメだ!近寄るな!」俺はとっさに叫ぶ、事は出来なかった。
声をを出そうと腹に力を入れると激痛が走る。
近寄ってはいけない、今の俺は危険なのだ、と伝えたい。悔しさを噛み締めたところで、言葉は発せられない。
近づいてくる家族に、俺は右手で精一杯振り払うような仕草をして見せた。「あっちに行け」っと。
正しい意図は伝わらないかもしれないが、これで無理に近寄って来ることもない。
家族を守ったのだ、俺が俺自身から。
この経験は俺にとってかなり感慨深かった。
普段、家族への感謝や、心の繋がりは目には見えないし、わざわざ感じようともしない。とくに、独り暮らししはじめてから、別段寂しいとも思わなかったし、ホームシックなんてちっともならなかった。
だから、もしかして俺はたいして家族を好きでないのかもしれない、家族が大切だなんて思っていなかったのかもしれない、そう思う事があった。
しかし、この一件から、殺人衝動が自分を襲ったとき、家族だけは何とか守らなければと第一に迷いもなく考えたことがわかった。つまり、本当は家族がなによりも大切だったのだ。
俺はこの事を誇りに思う。その迷いない行動と心の力を自分自身から感じて、そう思った。

当時、家族は「なんや、せっかく見舞いに来たのに愛想悪いな」と言っていた。

読み返して、極限状態の覚醒のフェーズが興味深いなと。

  1. 意識の認知

  2. 生命の生存本能

  3. 社会性動物としての理性

  4. 知的生物としてのメタ認知と情報伝達

まぁ、そんな感じ

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