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最後まで上手くなりたい - 上村仁之介

こんにちは。
東京農工大学サッカー部を支えてくださってる方々、見守ってくださっている方々、お世話になっています。

サッカー部副部長
工学部 機械システム工学科 現3年の
上村仁之介です。

 この場で僕は、今の自分の起源のようななにかを知ってもらいたいと思い、自分のサッカーにおける体験談を書こうと思います。
 僕は勉強嫌い?の三好とは違い、レポート課題は得意ではありますが、センター国語で200満点中109点を叩き出した実に国語力のない男です。ですので、どうか文中において稚拙な表現等があっても心優しく見過ごしてくださったら幸いです

幼稚園、小学校時代(ジョイフルFC)

 サッカーは、幼稚園の年長から始めました。そのきっかけというのは、幼稚園で行われていたサッカークラブの練習を見かけ、楽しそうと思った、本当にそれだけでした。母に頼んで、そのチームに入れさせてもらいました。当時、右と左が分からなかった僕は、加入当初にコーチに右利きであることを間違えて左利きと伝えてしまったことで、レフティーになってしまいます。小学校も同じチームのまま、小学校の終わりまで、プロ選手の動画を見て「こんなプレーができるように上手くなりたい」と思っては、練習や放課後のサッカーをひたすらに楽しんでいました。当時は真似事が得意だったおかげか、徐々にサッカーが上手くなっていったのを自分でも感じられました。チーム内のセレクションに選ばれ、チームは小さいカップ戦で優勝したり、4種リーグでは県大会ベスト32くらい?まで勝つことができました。

中学校時代(朝霞第二中)

 中学でのチームは、県大会出場経験があり、地域で有名な監督がいる地元の中学のサッカー部を選びました。小学生時代に取り組んだドリブルもあってか、1年のときに上の学年の試合に出させてもらったりしました。しかしながら、この頃からパスが苦手なこともあり、段々と雑なミスが目立つようになってました。監督には試合のたびに怒鳴られたり、夏休みは毎日外を走らせれていたり、ゲガを頻繁にしたりと正直辛い日々でした。それでも練習をがむしゃらに行い、トレセンに選ばれたり、3年になると試合では常にゴールに絡むようになるようになりました。チームは学総で県大会ベスト8まで勝つことができましたが、優勝候補の相手に1点差で負け、自分よりうまい選手がたくさんいることを痛感しました。また、チーム自体が相手の最終ライン背後にハイボールを蹴るだけの戦術だったせいか、パスはできないまま、ビルドアップの技術などは全く身につくことなく中学時代が終わりました。

高校時代(川越東高)

 中学の後半から学力が上がったこともあり、高校は偏差値もまあまあ、成績は県大会ベスト16がある勉学と部活を両立できる高校を選びました。クラブチームの出身の選手も多く、彼らと自分のパスセンスや思考力の違いを目の当たりにしました。それに比べ、自分はどんなに不利な状況でも前への突破しか考えないイノシシみたいな選手でした。イノシシパワーか何かは知りませんが、二個上の選手権に出たり、一個上のスタメンに定着したりしました。高校のグラウンドが人工芝になった2年の頃の5月ごろ、サッカー部に全国レベルの中学のクラブチームから新しいコーチが来ました。そのコーチはサッカーにとにかく熱く、指導の技術は相当高い人でした。よく僕は練習中、試合中にきつく怒鳴られたりしました。当時の僕はサッカーに少し飽き飽きしてたせいか、そんな日々がとても辛く、つまらないと感じていました。特に手を抜いてミスもある先輩ではなく、なんで自分だけが?という感情が強かったです。「部活に行くのが辛い → 部活を辞めれば良い」、そんな短絡的な考えが常に頭の中にあり、最終的には部活動を2年の夏休み前に辞めました。当時は両親に心配をかけ、今思えば弱っちい奴だなと思います。それから長い間サッカーを観たり、やったりはしませんでした。そして、3年になり、受験は失敗、浪人へ。。。

  • 浪人時代(駿台お茶の水校)

 浪人になって、暇な時にサッカーを観るようになりました。(こんなプレーしてみたいな。)といつのまにか思うようになり、(俺サッカーしたいんだ。)と自分の中で気づき始めました。そして、大学に入ったらサッカーをまたやろうと決心しました。多分、この浪人期間はサッカーをやり直すきっかけとなったし、人間的にも成長した時期かと思います。しかしながら、浪人はお勧めしません。

  • 大学時代(東京農工大)

 大学に入った途端にオンラインの日々でした。zoomでアイコンがサッカーの写真にしてたやつを見つけ、声をかけてみました。そいつとは大学近くの公園でたまにボールを蹴ったりしてました。「サークルとかどうする?」と話し合っていた中、とりあえず一緒にサッカー部見てみようという結論になりました。実際に足を運んでみると、中学、高校の時とは考えないほど少人数で部活をしてる姿を見て、(なんだこれ。。。)と衝撃を受けました。自分はフットサルではなく、とにかくサッカーをしたかったので、サッカーサークルのない農工大ではサッカー部を選ばざるを得なくなり、「つまらないと思ったら辞めれば良いか。」という失礼極まりない理由で入部しました。(藁さんをはじめとする当時の先輩方々、本当にすみません。)

  • 現在

 サッカーをしていくと、やっぱり楽しいし、もっと上手くなりたい、という気持ちが高ぶり、今はもう「つまらないと思ったら辞めれば良いか」という気持ちは当たり前ですが、一切ないです。今はサッカーが楽しくて仕方がないです。辛いこと、悩んだりすること、嫌になることは正直あります。だけど、そこには最後までやり抜きたいという気持ちしかない気がします。なんで高校の時と違って「辞める」という選択肢がないんだろうと考えたところ、多分サッカーを始めた頃にあった「サッカーが上手くなりたい」という同じ気持ちがあるからだと思います。部活の仲間と最後まで「サッカーが上手くなりたい」、そして「試合に勝ちたい」、それが僕の原動力です。

  • さいごに伝えたいこと

 サッカー部に所属して今一番痛感したことは、サッカーは「一人じゃできない」ということです。15年以上サッカーをしてきて、「サッカーができるのは周りの人たちのおかげです。」というお決まりセリフをほかの人が言っているのを聞いてきました。「そんなの当たり前じゃん」なんて、聞くたびに常に思ってました。しかし、今までの僕は、多分本当の意味を知らなかったんだと思います。副部長となった今では、プレイヤーやマネージャーの仲間や、両親、そしてOB・OGの皆さん、いろんな人たちが自分をいろんな面で支えてくれていること、そして、その力の大きさの偉大さを感じています。サッカー部として残りわずかな期間ではありますが、自分もチームのみんなのためにひたすら頑張って、感謝の気持ちを忘れずに最後まで走り続けたいと思います。

次回は、3年の問題児?天真爛漫キャラ?の豊田和樹です。
何を書いてくれるか乞うご期待です!!

2022年6月3日 東京農工大学サッカー部 副部長 上村仁之介

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