消したい視点 〜幻聴編〜

どういう本があったらいいなぁとか読みたいとかたまには、少し時間に余裕がある日々が続いているので、ブログでも書きながら考えてみたいと思います。


人生はわからないことだらけです。本を読めば人生が変わるとか世界観が変わるとか聞いたことあるのですが、果たして今の自分にない考え方とか知識とかストーリーってなんだろう。的に当てるというか?かゆいとこに手が届くというか?何か自分探しの哲学めいた問いを解いているわけではありません。もっと自分で楽しく自由に考えて2次元オタクのような頭でっかちのストーリーに一喜一憂したいわけでもありません。正直にざっくり書くと、自分をメタ認知する具体的に言うと、幻聴から聞こえる声なのですがすべてじゃないですが、読むことや書くことによって、そういう視点から見えるいくつかの考えを消したいのです。

実は私は中高一貫の新学校に通っていました。そこで成績が上がってくると勉強を必死にやって勝つ人よりは、興味の対象を広げるもっと自由な学問をやっている人に憧れていました。ぼくも何かパワーの源みたいなもの変えるともっといろんなことが見えてくるんじゃないか?そんな若かり頃の話ではあるんですが、その時、抱えた欺瞞が、何かのその後の人生を自分で決める行動の指針が立たせるビジョンが全く描けなかった理由になっている気がするのです。何が大事だったのか?大人になっても変わってないと思うんですよね。それが自分の脳の欠陥なのか?そんな気づきを与えてくれる分かりやすい本を読むよりは、もっと空白を楽しめる文化的余裕というかそういうクッションがわたしには、必要なような気がします。

何かこんな文章を書いている自分にイライラしてきました。考えてみれば、クレーンの資格の本でも買って仕事して金稼いだ方がよっぽどいいかもしれません。それが本当の読むべき本かもしれない。無駄なことやって逃げてばかりでは何もはじまりません。私は、本当は、何もわかろうとしてないのかもしれない。なぜそうなってしまったのか?最近では、幻聴もひどいです。教えてくれ!そして、考えさせてくれ!
何か勇気を出して自分のスペースを取り戻したいのです。

社会で要求される仕事というのは、当然ですが、よくわかんないとこがあります。たまたま見つかったりもする。また、全く仕事などできないんだから、遊べよ。そういうこと言う人もいますが、自分が属している共同体の中で人はいろんな役割を演じたりする面はあると思います。どこか理想の像とのギャップに逆に否定的な影をつくることで演じ過ぎたのかもしれません。私のスペースはこれじゃつくれません。

少し冒頭の話に戻しますが、危ない危ない。わたしは、何か文章でも演じてたのです。
これじゃいくつかの視点はなくならない。

どう言う文章を読んでもっと深く対話して視点を消した方がいいのか?読むことによりそれに没頭する時間はある意味、視点が消える瞬間かもしれません。幻聴というものは、恐ろしいものです。

ひょっとして、今興味の対象は、恐らく私小説よりは、Web3.0やDaoや公営競技など予備知識を勉強してからの、ギャンブル3.0の未来を描くSFの本なのかもしれない。実体験に裏付けられた何となくそういう本をつくったり見つける旅なのかもしれない。

また繰り返してる。人間はまた繰り返してしまう。やれ!やるのだ。書け!書くのだ。そうすればオリジナリティさえ空白さえ確保できれば道は開けるかもしれない。


結局、考えきれてないのは、メタ認知にこだわり過ぎて欲望がないだけなんだけども、空白を楽しむみたいなことはできるかな(笑)

空白ってなんだろう。自分の欲望には、敏感で意欲的でありたい。

空白を正当化する論理をいくら考えても、繰り返すだけだな。自由な絵は書けないな。

一発当ててぇな。空白を埋めず楽しむのは、文化的に本の内容も含めて正解がありふれているなかでそんな文章があるなんて思わない方がいいかもな。きっと囚われてるものを再構築しよういう努力をしない人間にとって一生運のいい出会いでもない限りそういうものなんだよ。


また聞こえてきます。悪循環は好循環促す強い言葉で勝つしかないのかもしれません。何か学生時代と変わってない気がしますが、スペースって言うのは、本来は作法を学ぶじゃないですが、楽しむ要素が決定的にかけてんじゃないか?それは、好きな人の欲望を必死に満たしたかのように勘違いする勝手な勘違いかもしれません。そのバランスにおいて、常に意識的でないと、社会や共同体で演じる役割はありますが、バランス悪ければ修正するしかないのです。そう言う意識において、切り替えは早くても思考は断裂します。なにか頭悪くて執念で書いてる気がしますが、また同じとこに帰ってくるというか囚われてるものを再構築するのも、また別の視点かもしれません。そこには、まとまりきれないいろんな個性があって、その人を特徴づける言葉だったり、考えがあります。迷ってはないのですが、努力、忍耐、根性は言っていた塾の学習3則です。僕の場合スペースとは、そう言う概念とセットのモチベーションを生み出す精神状態だったりパワーで子供の頃ままなのかもしれない。物を高度に考えると脳の血量は上がってくる問題はあるかもしれませんが、また呼吸は繰り返します。欲望がない男は自分に正直じゃなくてモテないといいます。  

よく言えば、その視点がアイツらの萌えポイントなのでしょう。

脳の周波数の研究を長い間やっていて、いくつかの視点において、伝わる何かとは、貧乏人が金持ちか?

揺れているようで、考えきれてない何か、勝手なものですが、なるほどというよりは、むしろ継続するもの。別に完璧な世界観に憧れているわけでも何でもないですよ。分からないですが、逆にそういうものってそういう人から見たらつまらないのかもしれない。

この視点において、かけているのは、日本のお茶に通ずる「作法」ですよ。できるから、面白いじゃなくて、次は「作法」ですよ。そこは、すごく協力しますよ。

面白さも徐々になくなりますよ(笑)

ぼくも、頭の中で鳴っている音楽を再現する音叉リストは、卒業して、今度は、お茶の作法でも勉強してみようかな。あまり考えなくていいし、いくつかの視点において、割とスペースをつくっているような気はします。

お茶を入れて客をもてなす作法とその文化ほんと素敵だな。

誰に言ってんだか(笑)まだ聞こえるよ。


やれやれ。 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?