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嫌いな奴の話

人付き合いにおいて、好きの反対は嫌いではなく無関心である。

と言っていたのは高校時代の国語の教師だった。

昔読んだ自己啓発本の中に

嫌いな奴はちょっと自分に似ている

と書かれた一節があり、子供ながら非常に印象深かったのを覚えている。

嫌いになるとき何かそこに理由があり、その時そこには関心が生まれる。無関心では人は人を嫌いになれない。

人に関心があるということは少なからず自分と共通点を持っているということだ。

少し話は変わるかもしれないが、同族嫌悪という現象がある。自分と同じような境遇、生い立ちの人に嫌悪感を抱くことである。

心理学的にこの現象の原因は自分自身にあるらしい。

目の前にいる同族はいわば自分自身を映した鏡であるのだ。つまり心のどこかではわかっている自分の悪いところが見えてしまうのだ。その悪い部分を認めたくないという思いから無意識に嫌悪感を抱いてしまう。

また自分とその人を比べて、自分の方が上だと正当化してしまう。その人と自分は違うという、自分の悪いところを持っているその人を拒絶してしまうのだ。

つまり、同族嫌悪はまた自己嫌悪でもあるのだ。

嫌いな奴が自分と似ているのではなく、似ているから嫌いなのかもしれない。

少しでもこう思えたら、これからの人付き合いはよくなるかもしれない。また、反面教師的に自分のことを見つめれるかもしれない。自分のことを少しでも変えることができれば、その人は嫌いではなくなっているかもしれない。行きつく先は無関心かもしれないが。

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