万葉集 第1巻 5-6

霞立つ 長き春日の 暮れにける わづきも知らず むらきもの 心を痛み ぬえこ鳥 うら泣け居れば 玉たすき 懸けのよろしく
遠つ神 我が大君の 行幸の 山越す風の ひとり居る 我が衣手に 朝夕に 返らひぬれば 大夫と 思へる我れも
草枕 旅にしあれば 思ひ遣る たづきを知らに 網の浦の 海人娘子らが 焼く塩の 思ひぞ焼くる 我が下心

反歌
山越しの 風を時じみ 寝る夜おちず 家なる妹を 懸けて偲ひつ

長かった春の日も暮れてしまう
鵺が物悲しく泣くように鳴く
山を越えて吹いてくる風が袖を揺らす
旅の途中で慣れないところで寝る

「ますらを」を自認する男性が、不安を感じ、家に残してきた奥さんを思う
オオキミの随行ならそれなりの人数、それなりの装備。
それでもこのような環境の変化に「こころをいたみ」「おもひぞやくる」。

男性がたおやかな感情をあらわにしてもそれが美しいと評価される価値観。
自由で豊かな時代だと思う。

精神の豊かさっていうのは、こういうことなんじゃないか。

反歌の「山越えの風が吹くときは家の妻のことを思う」
をみると、山を越えて吹いてくる風に何らかの呪力のようなものを
感じでいたのかも。

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